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12月革命 ミュージックビデオ 完成

確か9月に入ってすぐだったはず。 フロムTokyoチームは朝6時くらいから千葉の九十九里浜へ車で向かった。 フロムTokyo始まって以来、初のミュージックビデオを撮影する為に。 事前にロケハンに行った時は快晴だったのに、その日は朝から小雨が降る曇天の空でした。 浜辺について早速撮影を開始。 撮影をしてくれたのは僕が絶大な信頼をおいている、伊藤惇君。 雨はさらに強くなり、風も強く吹いてきて、波がどんどんと高くなる中、ギリギリの撮影は7時間程で無事終了。 詳しく調べていなかったから知らなかったのですが、台風が来ていてあと少し時間がずれていたら、とても撮影できるような天候ではなかったようです。 悪天候のおかげで、二度と同じモノを撮る事が出来ないリアルを封じ込める事が出来ました。 前にやっていたリンダリンダラバーソールを辞めてからの日々の詩。 もがいてもがいて、それでもどうにもならなかったけど、それでもまだ、それでもまだって歌ってきました。 バンドを始めてからの、始めてのしっかりとしたミュージックビデオです。 ずっと忘れないと思います。 見てくれた皆さんにとって、何か意味のあるモノになってくれることを願います。 それではどうぞ。 うれしいな。 たくさん見てね。 フロムTokyoミュージックビデオ「12月革命」 そしてそして。 来る12/1の下北沢SHELTERで開催されるフロムTokyo企画「WE ARE THE ROMAN’S」へ向けて。 出演してくれるTheFlickersと撃鉄に、僕がインタビューをさせていただきました。 そしてフロムTokyoにも、僕自らインタビューしましたので、こちら合わせてご覧ください。 僕らが何故共演することになったのか、少しでも伝わればなと。 フロムTokyoインタビュー TheFlickersインタビュー 撃鉄インタビュー そして。これらすべてをひとまとめにした企画特設ページができました。 企画の最新情報などはこちらで随時更新していきますので、気にしていてくださいね。 WE ARE THE ROMAN'S特設ページ

2015.12.1 下北沢SHELTER「WE ARE THE ROMAN'S 」開催。

いよいよ発表です。 フロムTokyoを始めて5回目の自主企画を、 12月1日、場所は下北沢SHELTERです。 共演は、TheFlickers、撃鉄。 スリーマンライブです。 「WE ARE THE ROMAN'S」 僕が、僕の音楽の力を信じる事。 あなたにそんな音楽が届く事を諦めない事。 ボロボロの美しい希望を込めて、存在を海賊旗のように掲げる夜です。 12月1日(火) 下北沢SHELTER フロムTokyo企画 「WE ARE THE ROMAN'S」 OPEN18:30/START19:00 ADV¥2300/DAY¥2500 出演 フロムTokyo/The Flickers/撃鉄 ※枚数、期間限定の早割チケット¥2000を、フロムTokyoメンバー手売りのみで、本日8.15から9月末まで販売する。 ライブ会場、佐々木泰雅の路上ライブなど、フロムTokyoメンバーから直接買って下さい。 ※一般発売チケットについて。 チケットプレイガイドe-plusの取り扱いがあります。 こちら→ e-plusフロムTokyo企画ページ  その他、下北沢SHELTER店頭、手売り、出演バンドHP予約、全て本日から発売と予約が開始です。よろしく。 あと、明日8.16に新宿JAMで急遽一人で歌います。13:10から。 急だけどもし都合合えば聞きに来て下さい。 予約くれたら特典がつきますよ! もちろんチケットも売りますので。 ついに下北沢SHELTERで自主企画をする日が来るんだ。すごく憧れていたライブハウスだったからとっても嬉しい。 3ヶ月半後だけど、きっとすぐに当日が来るんだろうな。チケット、たくさん本当に買って欲しいです。たくさん皆さんの前に立つので、声をかけて下さい。 何よりも共演バンドがマジで最高です。 僕は上京してから今日まで、かなりの時間を新宿JAMってライブハウスで過ごしてるんですが、そんな日々の中で良く「TheFlickers」の名前を聞いた。JAMでたくさんライブもしていたし、JAMでたくさん練習していた、っていう話をたくさん聞いた。今年の4月にメジャーファーストフルアルバム「UNDERGROUND POP」の発売を記念したレコ発ライブをFlick

私の船。

朝から湘南の海にやってきた。 人がたくさんいたけど、海の水も暖かくて、海に入ってあんな風にびしょ濡れになって泳いで遊んだのは、本当に久しぶりで。 毎週遊びに来たいくらい楽しかったなー。 足の指に砂がたくさんくっついたまま、湘南新宿ラインで東京に帰ってきました。 みんな今日までいろいろあったし、オレももちろんいろいろあった。みんなこれからいろいろあるし、オレもこれからいろいろある。 新宿駅のJR中央東口の改札の前で、抱き合ってるカップルがいる。彼女の方は泣いてる。 少し前まではこんな光景が腹立ってしょうがなかったけど、今日は幸せに感じた。僕んなかで何か重要な部分が変わってきてる。感覚的でしかないのだけど、とても良い事だと思う。ブログは楽しいね。好きに書けるし、見たい人しか見ないしね。これからも読んで下さいね。 フロムTokyoの事。 何回も書いてる事だけどまたしっかりまとめてみます。長くなるかもしれないけど、知ってもらいたいからじっくりと書こう。 とりあえず僕は以前にリンダリンダラバーソールってバンドを5年くらい北海道の札幌って街でやってました。 ボーカルギターが僕、ギターが奥山京、ベースが外山広人、ドラムがゆっち。友達と最高なバンドをやった。 人気無かったけど、本当に最高なバンドをやった。そして辞めた。2012年の12月14日の事だ。 リンダリンダラバーソールが掲げたのは「死ぬまでドキドキワクワク」っていうテーマだった。解散の理由はこの4人でリンダリンダラバーソールをやるという事に「ドキドキワクワク」できなくなったから。どうしてなのか。。解散したいと言い出したのは僕だった。はっきりとした理由はなんだったのか。どうして「ドキドキワクワク」出来なくなったのか。音楽に対して。メンバーに対して。ライブに対して。 そもそも「ドキドキワクワク」とは何なのか。。簡単に口に出来るから、あんまし深く考えた事が正直無かったんだけど、 良く路上で歌うハナレグミの「光と影」って歌のBメロが好きな理由は、もしかしたら答えに近いかなって思いました。気になった人はハナレグミの「あいのわ」ってアルバムを買って聞いて見てください。3曲目。 リンダリンダラバーソールを解散して、僕はさらに一層バンドがやりたかった。 やる

8.0

夏は続いている。 もう終わりそうだ。 新宿の大都会の真ん中にボロボロの猫がいた。 全然鳴かない猫。 警戒しているけど、逃げる力もないんだろうな。目の周りの毛が抜けて今にもそこに横になりそうな程に弱々しかった。 後でしっかりとBLOGを書きます。 ボイガルと対バンしたいなー

サンキューエレキギター様

僕の自転車が見つかった。 4月の頭に下北沢で無くして以来、もう盗まれたかなんかで帰ってくる事はないかと思っていた。 7月28日に家にハガキが届いていて、6月18日に下北沢南口で撤去したから、取りに来てくれってやつだった。見つかってホントに良かったけど、謎の2ヶ月間に何があったんだろう。 小田急線で千歳船橋に向かい、20分くらい歩いて保管所についた。 扉には空き缶が入った袋が取り付けられていて、開けた時にガラガラと音が鳴って、その音を聞いた管理人のおじさんがこっちに歩いて来て、こちらです、みたいな感じで案内されて、諸々手続きして、ついに自転車と再会した。 無くす前よりもボロボロになっていた。 サドルには三ヶ所ガムテープが貼られていて、僕がそれを剥がすと、残ったテープの後をおじさんが綺麗に拭いてくれた。 久しぶりの自分の自転車は元気だった。 晴天の下、千歳船橋から下北沢まで自転車を漕いだ。汗だくになったけど最高な気分。 7月の最後の日。 JAMでライブをした。 popiyaってバンドのライブを最近は良く見るんだけど、スゲーいい歌歌うなー。キラキラしてる。 何人かにライブを褒められた。見てくれた皆さんにも本当にありがとうを。最大に感謝してます。楽しかった。良い曲を書こうと思う。もっともっと高く昇りたいのです。見届けて欲しい。写真の彼はハートたちのベース。 8月はすぐにやって来て、もう今夜にはライブがある。膝の皿ジャックってバンドのレコ発。 今年のJAMFESの最後のライブに感動してくれて、どうしても企画でトリ前にライブをして欲しいと、ボーカルの竹迫からメールがあったし、直接も言われた。 どうしてもフロムTokyo全員では出演できないんだけど、それでも良ければって伝えたら、それでも全然よろしくお願いしますと言ってくれて出演が決まった。 オレらが撮影で新宿駅東南口に集まった日、膝の皿ジャックのドラムのハヌケスキーが死んだ。電話が来ていて、折り返したらそんな電話だった。ぐっっっとなって、撮影が終わった後にメンバーには伝えて、頑張ろうってすんごく思った。 めっちゃ楽しい日になるといいし、僕も心の底から楽しもうって思う。胸いっぱい。

抱きしめるふりして、抱きしめてもらってた。

7月24日。 去年は最終日の深夜からしか行けなかったフジロックフェスティバル。 今年は初日に行けた。 新宿から埼京線に乗り、赤羽で乗り換えて群馬県高崎へ。そっからJR上越線に乗って越後湯沢へ。シャトルバスに40分くらい乗って苗場スキー場についた。 ゲートから入場して一番デカイGREENSTAGEにつくと、吉川晃司がちょうどBE MY BABYを始めるとこだった。超いかしてた。 その後に泉谷しげるが出てきて、春夏秋冬を歌ってくれた。初っぱなからめっちゃ最高で、その次にTHE VACCINESってバンドが出た。特に2曲目が最高だった。 WHITE STAGEに移動してペトロールズを見た。上手すぎて引いた、、。 少しして、木道亭で井乃頭蓄音団が始まった。 僕にとってのフジロックのベッドライナー(フェスの目玉バンド。)でした。 聞いた事ない曲も何曲かあったけど、全編通して、全曲が必然的に流れてきて、本当に感動した。今まで見た井乃頭蓄音団のライブで一番良かった。 またGREEN STAGEに戻って、ONE OK ROCKを見た。なんか音が凄すぎて引いた。かっこよすぎた。 少しだけmotorheadを見て、ハナレグミを見に行った。最後の曲でクラムボンの原田郁子と、RADWINPSの野田洋次郎が出てきて、みんなで野田洋次郎がハナレグミに提供した歌をやってくれた。良い曲過ぎてその場にいた人、みんな固まってた。 蝋燭きれい! その後に奥田民生を見て、GREEN STAGEに戻ってFOOFIGHTERSを見た。デイブグロールが骨折しているのか、松葉杖だった。ギターが超爆音。ステージの装飾が他のバンドより豪華だった。 2日目も見たくてたまらなかったけど、なくなく東京に帰った。越後湯沢からの電車が3時間おきくらいにしか動いてなくて、1時間半くらい電車を駅のホームに座って待った。 めちゃくちゃ気持ちの良い風が吹いてた。 気づいた時には埼京線に乗っていて、20駅くらいがあっという間で、 またいつもの新宿についた。

この街に帰りたくない、と思った。

7月15日。 ばぁちゃんが亡くなった。 86才だった。 ばぁちゃんは40歳そこそこの頃に、じぃちゃんを亡くしてる。だから僕は父方のじぃちゃんに逢った事がない。それから40年以上、 ばぁちゃんはじぃちゃんの仏壇に手を合わせ続けてた。 ばぁちゃんはいつも保育園の帰りに北24条まで迎えに来てくれた。一緒にハイヤーで家まで帰った。タクシーじゃなくて、ハイヤーだった。ばぁちゃんの20代の写真を見た事がある。とても綺麗な人だった。 僕は28才。ばぁちゃんとは60才くらい違う。オレが生まれるまでの60年。どんな事があったんだろう。 昨年の10月に札幌帰った以来、全然逢いに行けてなかった。 あん時に東京戻ったら「ばぁちゃん」って詩を録音して、CDウォークマンと一緒に送ろうと思っていた。ごめん結局送れなかった。 母さんからLine来て、それで知って、 涙止まらなすぎて道でうずくまってたら、めっちゃ急に雨降ってきて、なんか泣いちゃダメって言われてるみたいだから、泣くの辞めた。 でも、 札幌に帰る飛行機が飛び立つのに合わせてばれないようにめっちゃ泣いてしまった。 シャワーあびるふりしてばれないようにめっちゃ泣いてしまった。 札幌に着いた夜、ばぁちゃんと同じ部屋で寝た。変な夢を見た。 いろいろと終わった夜に、父さんと弟とカラオケに行った。 僕が歌いたい歌を入れているだけなのに、父さんも弟も大好きな歌だった。やっぱ家族なんだなって思った。 「いっつも部屋でミスチルばっか歌ってたんだからミスチル歌いなよ」って父さんに言われた。でもミスチルは結局歌わなくて、代わりにって訳じゃないけど、森山直太朗の「さくら」を歌った。 「うまくなったな」って父さんが褒めてくれた。 一緒に父さんと玉置浩二の「メロディ」を歌った。完璧なハーモニーだった。 一緒に弟とGOING STEADYの「The Bridge」を歌った。めちゃくちゃ良かった。 嬉しくて呑みすぎて、その後はほとんど覚えてない、、、。 甥っ子の名前が「虎じろう」っていう。 まじかよって感じだ。 弟夫婦にもうすぐ子供が生まれる。 虎じろうの弟。 出産予定日、ばぁちゃんの誕生日と一緒だってよ。 良かったな、ばぁちゃん。

キリスト君。

7.15 こんなに猛烈な暑さの中、風邪を引いてしまった。。。喉がいてー。。 昨夜は三人でスタジオに入って、新曲をバンドで組み立てた。ボロボロな希望に満ちた名曲になるはずの詩。早くみんなに聞いて欲しい。 最終少女ひかさがライジングサンに出演が決まったらしい。 悔しい。非常に悔しい。そうか、そうか、決まったか。 ボーカルの但野は同い年の男だ。初めて逢ってからは3年そこらかな。。 オレがリンラバを解散した時の但野のBLOGに「解散しちゃったら伝説になってしまうじゃないか。。ギャフンと言わせたかったのに。」って書いてた。 初めて見たあいつは、なんか女の子みたいだった。でも、今年の3.31にGARDENで見たあいつは、めっちゃ男の子だった。かっけー男になったなーって思った。 オレももう少しで、長いトンネルから抜け出せそうだから。 そしたら、お互い苦手なお酒で乾杯しようね。

夏な。

やべー暑い。 梅雨が明けたらこれだ。 完全に夏が来た。 青。 網戸にカナブーンがいた。 夏だ。 7.11 ラジオの収録で吉祥寺のスタジオへ シンデレラボーイズってバンドのドラムをやっている、ハカセの番組。東京ネットラジオ「ハカセラボ」に出させていただいた。一番、みなさんに聞いて欲しい一曲をかけていただいた。フロムTokyoの詩も流れます。ハカセ、マジサンキューでした。 放送は7.16.放送日が過ぎても聴けるってさ。こちらから→ http://www.tokyonetradio.com/ch/hakase.html パーソナリティーのハカセとシンデレラボーイズのボーカル、がんちゃんと。 7.12に下北沢で仮で録音なんかをしていた。 仮にしては、なかなかいいのがとれた。 早くしっかりしたものを作り、たくさんの人に自分の詩を聴いて欲しい。 夜は撮影で新宿東南口へ。 僕が一番「Tokyo」を感じる場所。 たくさんいろんな事があった場所。傷だらけの場所。 この日、僕にとってすごく悲しい事があった。 悔しいけど、元気にまっすぐに歌うしかできない。 あいつの背中をさすりながら、竹迫は、「こいつ全然お酒飲めないのに、今日頑張っちゃったんです。なー。頑張ったもんな。」って言ってた。 8/3、最高のライブしなくちゃ。

この夜だけが。

7.10 もう夜が明けそうだけど、ブログを更新してから寝る。短いけど。 僕は新宿のJAMってライブハウスで今でもアルバイトしてるんだけど、、今夜はTHE君に話すよってバンドの企画があった。一日通してすげー良かった。特に転換中の君に話すよのベースのビート武田の歌は、めっちゃ良かった。あいつあんな風に歌えるんだって初めて知った。 まちぶせも爆裂していた。なんたって曲がいい。 そしてトリのTHE君に話すよは、今まで見た中で一番かっけかった。こいつらと友達になりたいって思った自分がいた。ボーカルの片野が口にする「オナニー」って歌詞に、嘘がなかった。片野はお客さんにはもちろん、共演者やスタッフに、誰よりも深々とお礼をしていた。そういうのってやっぱ当たり前にすげーかっこいいと思う。ホントぼろぼろでびしょびしょでめちゃくちゃだけど、今夜の片野はヒーローに見えた。人生を炸裂させてる奴の歌には誰も敵わないよな。 40分歩いて家まで帰った。 とてもいいモノを見た。

7.10 今日の詩。

山の手線、渋谷方面 発車と同時にクラムボンのあかり どこかへ向かう少女達 地面に寝転がるオッサン達 ここが最果ての始まり 未来は私達の手の中に 流行りすたりにぶらさがり 綱渡りする誰かの日々に 無関心な誰かの日常が 交差してぶつかる無音が まるで音楽のように 祭り上げられて微睡み ロックで淘汰され消える時 未来は私達の手の中に すぐに新しくなろう ずっとこのままここにいるなら 誰かを自分を 殺したくなるだろう 頭の悪い奴がついさっきまで 世界の王様だったけど 今この瞬間から 未来は私達の手の中に

渋谷。

久しぶりのビーハプで一人で歌ってきました。 さっきまで降ってなかった雨が急に土砂降りになって、少しそれが嬉しかったりした。 その日はお昼まで全然寝れなくて、なんなら朝ご飯食べてから眠った。それでも最近は以前よりも声が出るようになった気がする。 相変わらず出掛ける時はずっとmr.childrenの新譜を聞いている。どんどん良くなってくる。どんどん良く鳴ってくる。本当にすごいなー。 LUSH、宮崎からベランパレードが来ていて、前に逢ったのは5月のJAMFES、ちゃんと対バンしたのは昨年の10月10日のさきたろーの企画だっけ。やっとちゃんと見れたあびちゃんの歌はとっても瑞々しかった。そしてそれだけじゃなく、バンドとして、ちゃんと「バンド」になっててめっちゃ良かった。見ていてとっても悔しかった。次は必ずバンドで一緒にやってこいつらボコボコにしてやろうって思った。 隣のHOMEでもライブやっていて、往来が自由だった。グルパリ君の歌はいつも最強。トリはヤスエさん、一曲目から東京で僕は本当にワクワクした。もうツーマンやったのも一年前か。少しまた遠くに見えた。 23時くらいにLUSHを出た。 次回は7.16ビーハプ下北沢BasementBarでフロムTokyo。22時~トリです。 渋谷の空からは涙というよりは汗みたいな雨が強く降っていた。 元気になる雨だった。

7.9

夢を見たのさ 絶対に叶わない夢を見たのさ ピカソにも、ダ・ヴィンチにも 描けないデカイ夢を見たのさ ホラをふくのさ 絶対にバレないホラをふくのさ ミックにもディランにも 歌えないデカイ嘘をつくのさ 棺にはチョコレートと サージェントペッパーのレコードをよろしく 恋をしたのさ それはそれは甘い恋をしたのさ キャメロンもハドソンも 羨ましがる程の恋をしたのさ 愛を知ったのさ それはそれはひどく打ちのめされたのさ 人生とは死に行くとは 全ては「愛に行く」事だと知ったのさ 海岸線を駆けていく ミッドナイトが焼けていく いつか 大人になってしまっても つまらない奴になっても 忘れちゃいけない事は胸の奥に 君が話してくれた事 ずっと忘れないでいるよ 算数ドリルの端の落書き

あなたはハナになって、僕の中に咲いて、

7.7 今夜は七夕か。 本州は一ヶ月早いんだっけ。 僕は誰かも知らない人に自分の願い事が知られるのは嫌だから、短冊は書きたくない。 その代わり自分の願い事を聞いて欲しい人には口頭で伝える。 下北沢GARDENに撃鉄を見に行った。 撃鉄だけを見て帰ろうと決めていた。 最後に行ったライジングサンで、初めてクリスタルパレスだっけな、撃鉄見たの。 ボイガルのシンゴと「あのバンドまじやべーまじやべー!!」って言ってたのを思い出した。 今夜も天野ジョージはマジヤバかった、イカれてた。 20分くらいしかGARDENには居なかったかな。あんまし誰にも逢いたくなかった。集中していた。下北沢駅の南口の前にあるマックで30分くらい考え事をして、その後はミーティングに向かった。頭の中のイメージをまずは具体化する為に、口に出して伝えて、出来る限りイメージ通りになんならそれ以上に実現させなくちゃ。まだ始まってもいない。 ミーティングが終わって俊平と二人でスタジオに入る。ERAバーで少し話してAM2時くらいに解散した。 歩いて幡ヶ谷まで帰った。 ずっと新しく発売になったmr.childrenのアルバム、REFLECTIONを聞いている。忘れ得ぬ人が大好き。 家に着いてすぐに荷物をまとめて近所のスタジオへ。メルマガ用の弾き語りを録音した。 2ヶ月配信出来てなかった、、、登録してくれてる皆さんごめんなさい。 またちゃんと配信するね。 全然ご飯食べてない。

旅に出るなら

旅に出るなら今行くのだ 太陽が昇ってからだと 宿に辿りつくまでに 日が沈んでしまうから 旅に出るなら今行くのだ 誰かに気付かれて 後ろ髪引かれるのが おちなのがわかるから 旅に出るなら今行くのだ 恋人と手を繋いで 永遠に二人で生きる 夢を見てるうちに 旅に出るなら今行くのだ 橋の下に住む老人が 口にした夢の国を まだ疑ってないうちに

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自分が絶対間違いないって思った輝きは、何が何でも守らなくちゃいけないし、信じていなくちゃいけないね。99999999人に共感されなくても、それでも信じれるなら、その強さはきっと一億人より勝る。 誰にも左右されずに、何かを信じ続けるのは孤独だけど、一番強い。 誰にも何も言わないで、一人で立ち上がったり、歩き出したり、きっとそれが本当に大事だ。 初めて。東京は人が多すぎるって思った。新宿駅で立ち止まり、改札を流れる人のスピードと、この街のスピードがイコールかどうかは知らないが、やっぱり人が多すぎる。 あの日のあの輝きが絶対に間違いないと思い続ける事に、なんて向いてない街だろう。 でも、だからこそここでそれを失わないでいれたら、それはきっととても強い。 だからフロムTokyoって名前なんだ。

外山んぼ。

大阪では今年も見放題が開催された 。 昨年の2月に千日前TRIBEで福実行委員長のdai-changに初めて逢って、その場で誘ってもらって、昨年はフロムTokyoでの出演が決まった。 当日の会場はミナミのアメリカ村にあるHOKAGEってライブハウスだった。クウチュウ戦ってバンドの後に出た。全然無名だったオレら、セッティング中のフロアはガラガラだった。始まる時には少しずつお客さんも入ってきた。THEラブ人間がライブし終わったSUN HALLの階段で配ったチラシを見て、ライブ見たいと思って来ましたって人がいて嬉しかった。ラブ人間の康平、ケンジ、最終少女ひかさの正和、toitoitoiの二人、見放題の共演者達が見に来てくれたのも嬉しかった。正和はライブし終わった後のオレに、今見たくないくらい良いライブだった、とだけ伝えて、HOKAGEのステージに歩いて行った。その日のひかさのライブは、今見なくちゃ意味の無いスゲーライブだった。 昨年の見放題が終わって少し経ってから、dai-changから電話があった。 10月にあるFM802主催のサーキットフェス「ミナミホイール」と見放題のコラボイベント「見な放題」に、佐々木泰雅として出ないか?との事だった。 僕は、一瞬で「出ます」と伝えて出演が決まった。 そして僕が見な放題に出演した数日後にdai-changは急に亡くなった。 今年の見放題にはフロムTokyoでは出演できなかった。昨年よりもかっこいいステージをdai-changに見せたかったから悔しかった。 でもそもそも昨年のHOKAGEでの歌も、見な放題のFanjtwiceでの歌も、dai-chang見てくれてたのかな。大して感想も言ってくれなかったっけ。東京での見放題も本当は誘いたかったって言ってたなー。元気にしてるのかな。 そういや、 前のバンドをやってた時にベースを弾いてくれていた外山君と、今年の2月ぶりに逢った。 東京で、新宿歌舞伎町で、二人で逢うなんて、きっと15年の付き合いの中で初めてかな。 外山君との付き合いは、中学で同じクラスになったとこから始まった。あまりに太い眉毛だったもんで、初対面から、僕は外山君をいじり倒していた。 いつも5.6人で集まってエロ本読んだりAV見たりカラオケ行ったり胆試し行ったり鬼ごっこしたりプロレスご

いつかは消えてしまう事さえ、忘れさせてくれるJuly。

7月 フロムTokyoには「July」って歌がある。スゴくとっても大切な歌だ。出来たのは今年の1月だけど、7月って意味のタイトルをつけた。誰かに思いを馳せたい時、この詩を飛行船の膨らみに代えて、どこまでもその思いを飛ばしていければいいし、この詩にそんな気持ちを持ってもらいたいって、7月になって思った。 7.2 新宿のマーブルで久しぶりにライブをした。 いつぶりだろう。良くライブは見に行っているけど、バンドでやるのは半年以上ぶりだろうか。ピンクシガレットのボーカルのメアリーとはいつも話さなくてもいいどうでもいい話しばっかする。今日はそんな事すればするほど、話さなくちゃいけないどうでもよくない話しばっかしたくなった。本当はあいつにはこんな感じでこんな感じの話をしたいんだけど、なんとなくまぁ別にいっか。ってなる。なんかそれはそれで、それでいいんだと思う。 あいつは頑張っているなって、実はいっつも思っている。すごく直向きだと思う。ピンクシガレットの歌はまだ正直良く知らないんだけど、メアリーの事はわかる。あいつは頑張っている。なんかめっちゃ、 0時まわってから、新宿二丁目へ。 絵描きのサリーさんの誕生日を祝いに顔だけ出した。マヤーンズのりょうたの歌がとっても良かった。彼は同い年で、でもあんまり話したりはしないけど、歌を聞くと別に対して話さなくてもいいかな、そんな風に思った。でもやっぱりちゃんと話したい、って今は思っている。 次は7.9。渋谷LUSHで佐々木泰雅ソロ。 その前に今日。

たった一人で見つけた光を信じるDAYS

東京には梅雨が訪れて、時折、壮絶な湿気に襲われる瞬間がある、もう少しで7月になる 昨年、最終日の深夜からしか行けなかったフジロックフェスティバルに、今年は初日から行こうと決めている。 昨年見たミスタースクラフっていうDJユニットのライブがめっちゃ最高だったのが、未だに忘れられないでいる。スゴく音楽が自由だった。 6月のライブが全て終わった。 6.26が6月最後のライブだったけど、自主企画でした。全部終わって帰ってきて、ドアを開けたまま、 そのまま玄関で寝てしまっていた。そんなの初めてで自分でもびっくりした。 5.31にJAMで一人で歌ったとこからずっと何かが繋がっていた。その日は、頭脳警察、外道、騒音寺のスリーマンのサブステージで出演しました。転換アクトって事で、3回歌う機会があって、4曲歌わせてもらった。一回目はOAのよいの魚が終わった後、2回目は騒音寺が終わった後、3回目は外道が終わった後。 震えた。あんなにちびりそうになったステージは音楽やりだしてから初めてだった。騒音寺のボーカルさんが楽屋通路でめっちゃかっこいい事をオレに言ってくれて、本当に泣きそうになりながら外道と頭脳警察の間で2曲歌った。歌い終わった後にまた震えて、本当に涙が出そうになったけど、堪えた。でもオレはあんとき確かにその日立ちはだかった高すぎる壁に挑んで、ちゃんと引き分けた。負けてもいいなんて一瞬も思わないで挑んで良かったなって、本当に心の底から思った。 頭脳警察が終わって、フライヤー配ってたら、何人かのお客さんから、今夜は君が一番良かった、って言われた。そんな訳あるはずないんだけど、そんな訳がその人達の中であったんだから、素直に受け止めた。 また震えた。 6月が来て、5日には初めて下北沢ERAでライブをした。その日の主役は間違いなく栗橋たくやってやつで、彼とは前の前のバンドの頃から対バンしていた。当時彼は「エレキ、火星の声」ってバンドをやっていて、サンバーストのストラトキャスターを弾いていた。声がミッシェルのチバみたいだって、僕の回りの誰かが口にしていた。 この日で一年間フロムTokyoを支えてくれたサポートドラムのぞえくんが最後の日だった。 ぞえくんはドラマーだけど、どちらかというと精神的な支柱だった。何度もヤバイときにドラムよりも、僕のケツを叩いてくれた。

2015.6.26

「DAYS」 暗い坂を登る どれくらい行けば辿り着けるだろう あの丘の向こうに希望の光が あると信じて今夜も地を這う 深い穴を進む どれくらい行けば辿り着けるだろう あの闇の向こうに希望の光が あると信じて今夜も地を潜る 左手に満月を 右手に太陽を 純血とは直線と曲線の交差点 さぁ行こうぜ 闇を切り裂いて 踵を鳴らして 憂鬱を振り払って 歌を歌って たった一人で見つけた答えを 信じるDAYS 永遠に逢わなくてもいい 別れなどあるはずもなく 思い出して振り替えってばかり 後悔ばかり それでも今を信じる力と 勇気をくれた君を信じてみたい 左手に砂漠を 右手に愛しさを 自由とは記憶の中だけにあるのか 今この瞬間か まだわからない さぁ行こうぜ 大好きな詩を 裏切ったとしても 全てが嘘になってしまっても 消えてくれなかった僕たちの命の詩 さぁ歌おうぜ 声が枯れても 体が壊れても 逢いたい人に逢えるその日まで たった一人で見つけた輝きを 信じるDAYS

あいつに聞かせたらどんな顔するだろう。

日付け変わり6.21。 新宿JAMにて7日間連続で開催されているThreeQuestionsの企画に出演します。 ThreeQuestionspresents 少年の叫び 2015 day7 日付: 2015年6月21日(日) 会場:新宿 JAM 出演: ThreeQuestions セクシーパンサー フロム Tokyo グッバイマウンテンライスフィールド(内藤重人とタグチハナ) JET THUNDERS オナマラ   サブステージ:コダマカズト、他   OPEN/START:18:00/18:30 Ticket adv:2000/door:2500 多くは語りたくないですが、ThreeQuestionsのシゲさんがオレに教えてくれた事って、オレん中で脈々と血液みたいに流れていて。 そんなオレに反応してくれた後輩達にもまたそれが脈々と血液みたいに流れている。 その全てが "友達の唄"でした。

6.16初夏

6.18に下北沢THREEでライブをします。 誘ってくれた高木さんに、とんでもなく良いイベントにするよ、と言われて、それはきっとオレらがとんでもなく良いライブをする事が前提にあっての、そっからの話しだなって、そんな事を思って、本当にいつでも頑張らないとなって、 例えば、もう本当に無理だって時があったとして、もう本当に一歩も前に進めないって時があったとして、、それでもステージに立たなければいけないなら、きっと僕はステージに立ててしまうし、なんとかやっていける。 みんなはそんな気持ちになれるような事ってある? オレらのライブを見に来る気持ちがそれっぽかったらね。いいなー。 最寄り駅の改札の中にある売店のおばちゃんは、僕がコーヒーを買う度、四回も「ありがとうございました。」という。一回目はコーヒーをレジに置いた時、2回目はコーヒーの値段を告げた後、3回目はお金を払った後、4回目はコーヒーを持って僕が立ち去る時。。 それの全部がとても気持ちがこもっているから、そのおばちゃんが売店にいる日はだいたいを自販機ではなく、おばちゃんから買う。 このおばちゃんは一日に何回ありがとうございましたを気持ちをこめて言ってるんだろう。 少し疲れて気持ちをこめられない時もあるんだろうか。 オレがコーヒーを買う時くらいは、おばちゃんの気持ちが楽になってたらいいなと思った。 言葉って大切だね、伝えたい事があるなら、ちゃんと伝えたい温度で、伝えれる距離で、声をかけられるような奴でいたいね。

祈りを込めて百万本の薔薇のような詩を。

少年の叫びが始まった。 まさひこが歌い、チクシくんが歌い、ヨッチンが歌い、田中雅紀くんが歌い、心光さんが歌ってる。 今日から一週間、新宿JAMでThreeQuestionsのイベントが続く。 初めて東京に来てライブをして、そん時のイベントタイトルも少年の叫びだった。 昨年も少年の叫びは一週間やっていて、フロムTokyoも出演させてもらった。そん時にオレは、ThreeQuestionsに向かい、オレに音楽を今日までやらせてくれてありがとう、とか調子こいた事言ったんだ、でも本当にそう思った。そんくらいの事を言ってしまえるイベントだった。そして一曲目のバンドインでギターのシールドが抜けた、すげーださかったなー、でも紛れもなく僕は僕のまま僕の詩を歌えた。 今年は6月21日の最終日に、トリのThreeQuestionsの前にライブする。最低限、ThreeQuestionsがオレ達のライブまでにする6回のライブを越えなきゃいけないって事だ。燃える。 大事なポジションを任せられるバンドになってきたって事だ。 オレ達のライブを見てThreeQuestionsに燃えてもらわなきゃ困る。 そして7回目のライブで、またオレを燃やしてもらいたい。

もう二度と逢わなくてもいい別れなんてあるのかな、思い出してばかり、後悔ばかり。

ブログをまた始めてみて、結構書きたい事たくさんあるんだなーって、感じてる。書かない日々が続くと全然ブログ無くてもいいかなと思ったりもするけど、やっぱりあった方がいいな。 夕暮れは毎日綺麗だ。 メロディならいくらでも思い付く。 曲になる、ならないは全く別だ。 もっとみんなで歌える詩はないかな、と、自分の中に潜って考えては息が苦しくなり浮上する。 この街のアンセムを歌いたいな、そんな事をしばらくずっと考えている。 世界が終わる一日前に、聞きたい詩を、歌いたい詩を歌いたい。 誰よりもあなたにとって優しい祈りのような、そんな詩を歌いたい。 自転車を下北沢で失くしてから、ずっと移動する時はめっきり電車だ。MOSAICでラヂカセの企画があって、遊びに行った帰りに酔っ払い過ぎて停めた自転車を見つけられなかったんだ。。ペンに安いお酒をコンビニで買ってもらってからの記憶があんまりない。。ずっとずっとお気に入りだった自転車だから、とても悲しい。 6.26に下北沢風知空知で、2013年から毎年やってきた企画、今年もやるんだ。 ラヂカセのひでちゃん、ペン、コジ。 アサト、シゲさん、ゲストに田中雅紀くんを招いてやります。僕の企画です。 6.26 下北沢風知空知 佐々木泰雅企画 「フロムTokyo2015」 OPEN18:00/START18:30 前売り¥2000/当日¥2500 出演 佐々木泰雅(フロムTokyo) 内藤重人(ThreeQuestions) 山下秀樹with小島吉博(ザ・ラヂオカセッツ) 大谷ペン with小島吉博(ザ・ラヂオカセッツ) アサトアキラ(アサトアキラと終わらせた世界の続き) ゲスト:田中雅紀 来てねー。 今、みつるが歌ってる。オレはきっとずっと友達なんだろうな、そんな事を感じれる歌、そんな歌を歌ってくれる奴の本質を信じない理由がない。 そういや、ircleってバンドは最高だ、こんなにいいバンドいるんだな、声も歌いかたも、歌詞もメロディも、放つ色も、いろいろ好きだ、いいバンドだな。 こいつ、マジでマジなんだな、それが伝わってくる、そして本当にいい歌を歌う 男が歌う歌が好きだ

私の窓の外へ。

ブログをまた始めました。 お久しぶりです。 東京でフロムTokyoというバンドをやっています、詩とギターの佐々木泰雅(ササキタイガ)です。 以前のブログはこの東京に来てから2年経ったら一旦辞めようと、そんな気持ちで始めたモノでした。 とてつもない決意と覚悟を持って、上京資金を稼ぐ日々を過ごしていたのを、最近は少し思い出したりします。 朝から夕方まで古着屋で働いて、それから朝方まで深夜のスーパーの品出しをやっていました、だいたい半年くらい。 深夜のスーパーの従業員駐車場は、スーパーの屋上にあり、20時以降は屋上行きのエレベーターも使えなくなるので、車が下ったり登ったりする用の坂道を、毎晩歩いて登り車に乗って帰って、また朝に古着屋に出勤するってのをやっていました。 まだ春が遠い季節だったので、深夜の坂道は真っ暗闇で凍りついていて、イヤホンで音楽を聞きながら屋上に登ると、そこからは手稲の街の夜景がパノラマのように広がっていたんです。 そのイメージをまるで自分の誇りかのように旗にして掲げ、東京で何かを始めてみようと思った。 温かくならぬよう、穏やかな夜に身を任さぬよう、繋いだモノを痛みを伴ってでも切り離せるよう、優しくなんてならぬよう。 ここは僕の生まれた街ではなくて、選んで好んでこの街で存在しようとして、今ここにいて、ここでしか出逢えなかった何かに、いちいち意味を見出だして。 やっぱりちょっとぬるくなっちまったな、って。 僕はだいぶ良くなくなったな、って。 それでも良しとするならば、2年経った今、ブログもまた始める事はしなかったし、音楽も辞めてよかった。 でも、やっぱりそれで良しにはならない。 自分のぬるくなった浅くなった達成感の海の水嵩じゃ、自分がしてきた行動の全てのケツを自分で拭く事が出来ない。 僕は新しく住んだ街で、新しく出来た友達や大切な人に、また新しい目的を持たせられました。 僕一人だと到底描けなかった想像すら出来なかった、大きな大きな最高な到達点。 それは、もっともっとたくさんの人に自分が作った詩を歌って欲しい、ということ。 「私の窓。」 覗けるけど、玄関じゃないから、部屋には簡単には入れない。 そんな?ブログを書いていきます。 ちょっといじわるかつ、赤裸々に綴ります。 空気の入れ換えをして待っ