スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

3月, 2022の投稿を表示しています

最後の旅が、また始まる。

    必然的に表現せざるを得ない感情に動かされて僕は曲を書く。 いつでも、どんな些細なことでも書けないと本当は良くないらしい。 書けなくもないんだけど、そうやって書いた曲を歌いたいとは思えない。 この詩を歌わなければいけない。 そう思わない詩なんて歌えない。 僕がライブをしたい理由がそれなのだ。 その点で言うとブログも一緒かもな、とふと思った。 日記ならもっと些細な事でも書けないと続かないし、書く事無くなりそうだけど、現にどうでもいいような日常をつらつらと書く事は出来ずにいる。それはブログにしなくても良い事だからだと思う。 必然的に表現せざるを得ない感情に突き動かされて、これからも私の窓はありたい。 昨夜のシャングリラでのシゲさんのバンドへの参加に向けた日々の中、色々な感情が巡った。 そしてシャングリラでのライブをして、また沢山の感情を巡る旅に出たいと思った。 3.4のラママでのライブを迎える以前から、3.24にシャングリラでやる、という話はしていた。僕はタイミングさえ合えばなんだってやりたかったのでそういう機会があるなら是非という気持ちだった。 ベースにドブロクの原田さんが参加する事になって、シゲさんと原田さんと3人でシゲさん家で逢った。僕は札幌に居た頃に、初めてドブロクを知った。スピリチュアルラウンジの店長新保さんのイベントに、キヨゲンと一緒に出ていて、僕もそのイベントに出た。存在を知ったのはそれより少し前で、新保さんがグッとくるバンドというようなコメントを書いていたのを見た気がする。何よりドンクラのあんじゅさんとの繋がりが印象的で、なんだか僕は羨ましい気持ちだった。その頃に聞いた曲は今でも焼き付いていて、針と糸って曲は上京する前の路上で何度も勝手に歌わせてもらっていた。 何度か顔を合わせた事はあるものの、原田さんとまともに話した事は一度も無かったと思う。 シゲさんと3人で逢った時は、どこかはじめましての気持ちだった。原田さんはとても酔っ払っていて、話しやすい雰囲気だった。僕はカンジさんのギターの音がとても好きで影響受けているんだけど、その音を作ったのは原田はんらしい。面白い話を沢山聞けて嬉しかった。 上京したら誰とバンド組みたいかってのを考えていた頃、実は原田さんに声かけてみようかなって本気で考えていた事があった。そんな事を 帰り道に思い出していた。 い

試練の山の竜騎士

  幼い僕に母は言った 「子の夢が叶う世界を作るのが私の役目だ」と バッターボックスに立って父は言った 「銀河の形はお前の細胞に似ている」と 「始祖、明日へ飛び立つんだ」 「どうか思想をラストまで導いて欲しいんだ」 リヴァイアサンの背に乗って運命の海へ 幾度目かの最後の旅がまた始まる 3月24日も2022回目か。 今夜は喘息が特にひどい。 明日は全速で生きたい。 佐々木泰雅 フロムTokyo

3.20

  同い年のバンドマンの友達がいる それは言葉を弾ませるような関係じゃないし、 しょっちゅう連絡取り合うような間柄でも無い。 でも歌を聞いたら友達だと思えるのが音楽の凄いところだ。 20才そこそこの頃にバンドを始めたんだけど、 その頃に、同い年の煙草スモーキーってバンドが急にスピリチュアルラウンジに現れた。 リハーサルを見た時点で衝撃的に良かった。 ボーカルの長(おさ)は、上下水色のドラえもんのようなジャージを着て、顔には髭を沢山生やし、文豪がかけるような眼鏡をかけ、サンバーストのフェルナンデスのストラトを胸の辺りで持ち、声は少し枯れていてかつ高音も抜けてきて、それでいて歌っている歌詞もメロディも最強に良かった。 本編で演奏していた、エジソン、って曲を聞いた衝撃を僕はずっと忘れないだろう。 その後、一緒にツアー行く事になったり、なんだかんだ仲良くやってた。 けれど、僕は長の圧倒的な魅力の前で何も出来なかった。 僕が歌いたい事は全部君が歌ってしまった。 と諦めのような感情をもらった。 だから、長がやらないけど、僕ならやれる事を新たな道としてイメージしながら手探りでやってみた。 気付いたら煙草スモーキーは居なくなって、長も歌わなくなっていた。 僕が歌いたい事を全部歌って、そのまま居なくなるなんて、まるで伝説になってしまったみたいだ。 先日、下北のろくでもない夜にライブを見に行った。 同い年の男がやってるスリーピースバンドがトリで出ていた。札幌からやってきたそのバンドは、北国の凍てついた氷柱のような魂で、その日出演していた誰よりも自分の声で歌っていた。 ボーカルの彼と何年か前に、彼の運転する車の中でバンドの話をした。 当時、5人組くらいのバンドをやっていた彼は、本当は親友とスリーピースとかでバンドやりたかった、と話していた。 先日のろく夜で見た彼のバンドは、あん時話していた理想の形にとても近いような気がした。 そして、僕が歌いたい事を歌っている、と長に思ったように、思った。 そして、 僕が歌いたい事を歌ってくれてありがとう。 って、あん時はそんな風に思えなかった事を、思った。 このまま居なくなられたら伝説になっちまうからな、オレも頑張って立ちはだかりたい。 佐々木泰雅 フロムTokyo

また、あの市松模様を思い出す。

   3月4日 めちゃくちゃ久しぶりのライブハウス シゲさんのツアーファイナルにベースとギターで参加する リハ前にメンバーみんなで渋谷のファミリアで合わすってなっていた。 すごくドキドキしていたので、40分前くらいに着いてしまった。 ファミリアの中を覗くと、やっぱりタクミさんがいた。 多分いるだろうなと思っていたけど、やっぱり居たから嬉しくなったけど、恥ずかしくてなかなか入らずに居た。 少し経ってからシゲさんが来た。 シゲさんは松屋に向かっていったので一人でファミリアに入った。 タクミさんは僕に気付くなり、めちゃくちゃ驚いた様子で、逢えた事をとっても喜んでくれた。なんだか泣きそうになった。 そして、とてつもなく勇気をもらえた。 もう今日は大丈夫だと思えた。 リハが終わってシゲさんがくれた箇所に歌詞をはめるためイメトレを繰り返す。 めちゃくちゃ久しぶりのライブハウスのステージ。 必要なのは振り返らない覚悟だという事をめちゃくちゃ久しぶりに思い出す。 とにかくやるしかないのだ。 ドキドキしているからなのか、咳が出てくる。 強めの咳止めを本番前に飲む。 本当は薬辞めたいけどまだ仕方ない。 自分が書いた歌詞の箇所でフロアの様子がクリアになる。その瞬間どうなってももう大丈夫だと思った。 そこから先はあまり覚えてないけど、とにかく楽しかった。 こんな楽しかったのはいつぶりだろう。 2.3年無かったかもしれない。 本当に参加できて良かった。 またみんなで思いっきりやりたい。 シゲさんありがとう。 ラママの皆さんもありがとう。 佐々木泰雅 フロムTokyo

僕が僕であるために。

  最近またゴイステを聞くようになった。 何年もまともに聞いていなかったけど、何故か聞くようになった。 さくらの唄というアルバムに出逢わなかったら僕はバンドなんてやんなかったし、こんなに音楽が好きにならなかったと思う。 高校生の頃に帰りのバスでゴイステの青春時代を聞いていたこともよく思い出す。 さくらの唄はとにかく音がデカかった。 それが衝撃的で、ゴイステを聞く事を親にあまり知られたらいけないような不思議な気持ちにもなった。 渋谷ラママでのオナマシとのツーマンのDVDもめちゃくちゃ見た。 まるでアダルトビデオを見ているかのように、それを見ている姿を誰かに見られてはいけないような、そんな映像を見ている気持ちになった。 とにかくめちゃくちゃ見た。 ギタリストとかベーシストとかボーカルとかドラマーとか、正直そんなものはどっかでどうでも良い事だと思っている。 それよりも、その武器でどんな戦い方をするのか、それを面白がって楽しみながら考えたい。 上手く歌えなくて落ち込んだりしていたけど、今まで一度も上手くなんて歌えた事ないじゃないか。 それよりも、ライブハウスで自分がやらなきゃいけない事があるじゃないか。