スキップしてメイン コンテンツに移動

抱きしめるふりして、抱きしめてもらってた。


7月24日。
去年は最終日の深夜からしか行けなかったフジロックフェスティバル。
今年は初日に行けた。

新宿から埼京線に乗り、赤羽で乗り換えて群馬県高崎へ。そっからJR上越線に乗って越後湯沢へ。シャトルバスに40分くらい乗って苗場スキー場についた。

ゲートから入場して一番デカイGREENSTAGEにつくと、吉川晃司がちょうどBE MY BABYを始めるとこだった。超いかしてた。
その後に泉谷しげるが出てきて、春夏秋冬を歌ってくれた。初っぱなからめっちゃ最高で、その次にTHE VACCINESってバンドが出た。特に2曲目が最高だった。
WHITE STAGEに移動してペトロールズを見た。上手すぎて引いた、、。
少しして、木道亭で井乃頭蓄音団が始まった。
僕にとってのフジロックのベッドライナー(フェスの目玉バンド。)でした。
聞いた事ない曲も何曲かあったけど、全編通して、全曲が必然的に流れてきて、本当に感動した。今まで見た井乃頭蓄音団のライブで一番良かった。

またGREEN STAGEに戻って、ONE OK ROCKを見た。なんか音が凄すぎて引いた。かっこよすぎた。

少しだけmotorheadを見て、ハナレグミを見に行った。最後の曲でクラムボンの原田郁子と、RADWINPSの野田洋次郎が出てきて、みんなで野田洋次郎がハナレグミに提供した歌をやってくれた。良い曲過ぎてその場にいた人、みんな固まってた。
蝋燭きれい!

その後に奥田民生を見て、GREEN STAGEに戻ってFOOFIGHTERSを見た。デイブグロールが骨折しているのか、松葉杖だった。ギターが超爆音。ステージの装飾が他のバンドより豪華だった。


2日目も見たくてたまらなかったけど、なくなく東京に帰った。越後湯沢からの電車が3時間おきくらいにしか動いてなくて、1時間半くらい電車を駅のホームに座って待った。
めちゃくちゃ気持ちの良い風が吹いてた。

気づいた時には埼京線に乗っていて、20駅くらいがあっという間で、

またいつもの新宿についた。

コメント

このブログの人気の投稿

8.26"生きる事の意味なんて誰も聞いちゃいないぜ。"

    この気持ちをなるべく早めにここに残しておく。 今日のライブで6月から続いた毎月末のリンラバのライブが一旦一区切りした。 8月末の夜は、汗が滝のように溢れて、目眩がしそうなくらい輝いていた、ように思う。 新しい曲を書くのなんて当たり前過ぎて、偉そうに新曲です、なんて言う必要無いんだけど、頑張って歌詞を書いたから、少しくらいいいだろう、と思ったりしながら本編最後の曲を歌っていた。 声は枯れるし、髪の毛はびしょびしょで、Tシャツはへばりついて、もうちょっとクールにカッコ付けて熱くならずにやれないもんかと、今まで何度も思ったわ。僕は熱い人が苦手だけど、どう考えても、いつも熱くなって歌ってしまう。 きっと、真っ直ぐなんて綺麗なもんじゃないし、何だかうまく言えない居心地の悪い気持ちが、時折目の前を横切るけど、それにさえ素直になって、もっと自由に、でも優しい詩が歌えたらいいのに。 ただ、ライブをやるだけで、全てが満たされるような、そんな時間が出来る限り、ライブ中に長く感じられたらいいな、とライブしながら思っていた。 もっと上手く歌えたら、もっと上手くギターが弾けたら、もっと上手くリズムが取れたら、もっと自由になれるのかな。 分からんけど、でも僕は、これから先、全く別人になるくらいに変わっていかないと、変わらずにいれないんじゃないかな。 それは、今夜のライブが今までで一番良かったと、4人が思えたからだ。 あと、少しだけ、また東京で1人で歌いたいなと思ったりもした。久しぶりだ。 元気になっているのかもしれない。 いや、、ずっと元気なはずなんだけど。 とにかく、もっともっと新しい曲を書いて、どんどん良くなっていきたい。 今日の新曲の歌詞を載せて終わる。 8.26、札幌LOG、リンダリンダラバーソール ありがとう。 "未来"  地球で遊んでた頃の記憶 子供のふりした私利私欲 止まった時計の針を指で回してた ずっと先の過去からずっと この国道を南へ向かう 僕たちはそれがなんなのか 分かっているはずなのに 素直になれずに子供のふりをしていたんだ "誰かの為に自分らしくいる事" それは正しいから 「そのままでいてね」って、 世界は言う でも自由だよ、未来。 命かけてく 生きてるうちに 間違えた事 間違いじゃない 信じるモノが無いなら神を恐れ

7.4"あの直線的な透明感を求めて。"

  書かずに三ヶ月以上も経ってしまった 今年の3月下旬、 内藤重人with???でのグレフルでのライブ以降の話になる。 あれから少しだけ経って、シゲさんと一緒に作った"Re:tters"が配信された。 シゲさんのトラックに僕がメロディと詩を書いた。一度書いたものを全部消して、また一から書き直したんだけど、シゲさんが喜んでくれていたのが一番嬉しかったし、頑張って書いた甲斐があった。沢山の人にこの曲が届け!!って感じとはまた違うんだけど、この瞬間にしか書けない温度が詰まってますので気が向いたら触れて欲しいです。 https://open.spotify.com/album/1eaJrBFGdIQGkcoDN8zQHv?si=6v5CUSXQRP2-DqcFvUY3tg 季節も移り変わって、春になっていた。 しばらく書いてなかったから少しずつ思い出しながら書いていく。 4月に入ると、7日と10日に両日ともに下北でライブがあった。佐々木泰雅ソロってやつ。7日はロクヨルのいずみさん、10日はDY CUBEのみえださんに呼んでもらった。どちらのライブも、とても良い詩が歌えた自信があった。だけど、それから佐々木泰雅ソロのライブは今日までやっていない。またいつか出来る日が来るだろうか。それは明日かもしれないし、10年後かもしれない。うまく説明出来ない心の重々しさが晴れた暁にはやりたい。 5月に入り、ゴールデンウィークのほとんどを札幌で過ごしていた。2日から7日まで。 リンラバの練習がメインではあったが、中高の友達とゆっちの家でバーベキューして、夜に海を見に行ったのがハイライトだろう。海はとっても寒かったけど、軽やかな風が吹いて心が弾んでいた。こんな気持ちでバンドや音楽を死ぬまでやっていたい。 5月の下旬になり、シゲさんのPaleというアルバムのツアーファイナルにfeaturingゲストとして佐々木泰雅で出させてもらった。 素直に大切な日に呼んでもらえるのが嬉しかったし、佐々木泰雅としてやれる事を精一杯やろうと思った。ちょうど一年前の3月に、同じくラママで、シゲさんのAUMADOKIのツアーファイナルにベースとギターで参加してから一年と少し経っていた。 あの日は、咳止めを1日に飲んで良い限界まで飲み、喘息の薬も使ってステージに立っていた。 なんて事を当日思い出さな

12.3"死ぬまで歌う事は出来ない"

  2023年は丁寧に生きることを心がけた年だった 喉にしても、体調にしても、いつも今まで以上に気を遣って生きた そうじゃないと、絶対に辿り着けない自分の理想があったし、もう2度とあんな敗北的な気持ちにはなりたくないと強く思っていた 1人で歌う事を止めて、ほとんどバンドでの時間に費やした ライブ本数で言うと僅かだが、365日のほとんどがバンドの事でいっぱいだったと思う それくらい一本一本懸けていた バンドは今はリンラバだけしかやってないので、イコール、リンラバの事ばかり考えていた事になる これについて客観的にも自分を冷静に見ていた だからこそ、しっかり曲も書いて、ちゃんと歌いきって次に進んで行かなければいけない そんな時に体が耐えられなければ話にならない 昨日はリンラバの6年ぶりのワンマン、 15曲のセットリストを駆け抜けられるように最善を尽くした サトシを含めた5人編成の新曲"OverDrive"は僕のソングライティングのまだまだ一部だと思ってもらいたいと(ポジティブな意味で)歌いながら考えていた まだまだ色んな世界を書ける事を伝えていきたいし、見せてない曲達なら沢山あるんだ そして、曲なら死ぬまで書けるかもしれないが、それよりずっと前に詩は歌えなくなるんだろう 詩が歌えなくなっても僕は曲を書き続けるのかは分からないが、今この瞬間を一番若く生き続けられるように、これからまだまだ素晴らしい詩を歌えるように、もっともっとすごいライブが出来るように、また今この瞬間から頑張って鍛え直すつもりだ 佐々木泰雅