朝から湘南の海にやってきた。
人がたくさんいたけど、海の水も暖かくて、海に入ってあんな風にびしょ濡れになって泳いで遊んだのは、本当に久しぶりで。
毎週遊びに来たいくらい楽しかったなー。
足の指に砂がたくさんくっついたまま、湘南新宿ラインで東京に帰ってきました。
みんな今日までいろいろあったし、オレももちろんいろいろあった。みんなこれからいろいろあるし、オレもこれからいろいろある。
新宿駅のJR中央東口の改札の前で、抱き合ってるカップルがいる。彼女の方は泣いてる。
少し前まではこんな光景が腹立ってしょうがなかったけど、今日は幸せに感じた。僕んなかで何か重要な部分が変わってきてる。感覚的でしかないのだけど、とても良い事だと思う。ブログは楽しいね。好きに書けるし、見たい人しか見ないしね。これからも読んで下さいね。
フロムTokyoの事。
何回も書いてる事だけどまたしっかりまとめてみます。長くなるかもしれないけど、知ってもらいたいからじっくりと書こう。
とりあえず僕は以前にリンダリンダラバーソールってバンドを5年くらい北海道の札幌って街でやってました。
ボーカルギターが僕、ギターが奥山京、ベースが外山広人、ドラムがゆっち。友達と最高なバンドをやった。
人気無かったけど、本当に最高なバンドをやった。そして辞めた。2012年の12月14日の事だ。
リンダリンダラバーソールが掲げたのは「死ぬまでドキドキワクワク」っていうテーマだった。解散の理由はこの4人でリンダリンダラバーソールをやるという事に「ドキドキワクワク」できなくなったから。どうしてなのか。。解散したいと言い出したのは僕だった。はっきりとした理由はなんだったのか。どうして「ドキドキワクワク」出来なくなったのか。音楽に対して。メンバーに対して。ライブに対して。
そもそも「ドキドキワクワク」とは何なのか。。簡単に口に出来るから、あんまし深く考えた事が正直無かったんだけど、
良く路上で歌うハナレグミの「光と影」って歌のBメロが好きな理由は、もしかしたら答えに近いかなって思いました。気になった人はハナレグミの「あいのわ」ってアルバムを買って聞いて見てください。3曲目。
リンダリンダラバーソールを解散して、僕はさらに一層バンドがやりたかった。
やるなら東京。そう決めて、金貯めた。毎週月曜日には狸小路二丁目で路上をやった。あの日々はツラかったけど、歌っている時は本当に楽しかった。いろんな人が聞きに来てくれた。嬉しかったです。
2013年の5月 1日に一人で東京に来た。
4月30日の夜に狸小路二丁目で聞いたあいつの歌を札幌で聞く最後の曲にして、飛行機が東京に着くまでは音楽を聞かず、ついた時にはmr.childrenのある歌を聞いた。僕にとっての大切なおまじないの2曲。
まずは生活でいっぱいいっぱいの日々。
空気は体に合わないし、気候も札幌とは全然違うからしばらくは戸惑う事ばかりでした。
バンドが始まる前に、未完成VS新世界のレコ発ツアーで札幌にライブをしに行った。一人。
THE BOYS&GIRLSのシンゴが喉をぶっ壊して、2曲だけど僕も歌いました。メルとハローグッバイサンキュー。
辛い日々が続く中で、東京でバンドを始める準備を始めた。素直に一緒にやりたいなって思ったメンバーに声をかけて、サポートだけどメンバーが集まった。
ギターにはTheHomesicksの赤堀超太郎、ベースには楽団 象のダンスの吉廣俊平、ピアノにはThreeQuestionsの内藤重人、ドラムにはザ・ラヂオカセッツの大谷ペン。
初めてこの5人でスタジオ入ったのが、2013年の8月15日。新宿JAMのボロボロのAスタジオだった。その日がフロムTokyoの始まりの日。
「フロムTokyo」ってバンド名は僕一人で決めた。だから、僕そのもので、佐々木泰雅と同義語と思ってもらって良いです。
やるなら、(from東京)の中で一番かっこいいバンドになりたいと思って、このバンド名にしました。
バンドの初ライブは2013年の10月11日、新宿Marble。未完成VS新世界、THE BOYS&GIRLS、泣いてばっかのヒルギのスリーマンライブのオープニングアクトでの出演でした。
そのライブ中にササキタイガバンドから、正式なバンド名「フロムTokyo」を発表。
2013.10.11 新宿Marble
その10日後の10月21日には新宿JAMでフロムTokyo初自主企画「WE ARE THE ROMAN'S」を開催。共演は、金田康平(THEラブ 人間)、JET THUNDERS、toitoitoi、最終少女ひかさ(札幌)
この日を持って、サポートギターの赤堀超太郎がバンドを卒業。
そして、今ではめちゃくちゃお世話になっているBeatHappening!にフロムTokyoで初出演。11月13日、渋谷LUSH。
この日で大谷ペンがバンドを卒業。アンコールされてないのに、無理矢理アンコールで友達の唄をやった。主催の水口さんが最高な事を言ってくれた。
12月16日には2回目のフロムTokyo自主企画「WE ARE THE ROMAN'S 2」を吉祥寺SILVER ELEPHANTで開催。
共演は、アサトアキラ、ゆうせいから、WINDOWZ。
一夜限りのサポートドラムとして、THE COKEHEADSの日向寺ようじさんが叩いてくれた。
アンコールに新曲で「WE ARE THE ROMAN'S」を発表。
そしてこのライブを持って、サポートしてくれたメンバーとは一度サヨナラをした。
ドラムをやりたいと連絡をくれた、元軟弱金魚の小島良介を招き、2014年1月1日に「レインマン」のスタジオライブ映像を発表。
レインマン
ベースを以前弾いてくれていた俊平にまた声をかけて、スリーピースでまた活動を始めた。
すぐに良介が抜けてしまい、同年2月からは俊平がドラムを叩き、僕がアコギと詩を担当するツーピース編成での活動になる。
ソロでアサトアキラとハロのさきたろーと関西をまわったり。
北海道札幌にもライブしに行きました。
そして4月19日に大塚MEETSにて3度目のフロムTokyo自主企画「WE ARE THE ROMAN'S 3」を開催。共演はニュータウン、キングサーモン、アザラシ、みずすまし、ミナミトモユキ、アサトアキラ(泣いてばっかのヒルギ)
転換アクト:原田卓馬(WINDOWZ)
FOOD:超矢野
同日ツーピース編成での録音による「アーケードソング/レインマン」を50枚限定で発表。
5月、新しくドラムにまる子を迎えて、スリーピース編成に戻り新宿JAMで開催されたJAMFESにて初の大トリでの出演をしました。
6月になり、新たにドラムに元HOW MERRY MARRYの河添将志がサポートで加入。
7月には大阪アメリカ村での「見放題」に出演したよ。
バンドが始まった8月15日には、ササキタイガVS佐々木泰雅っていうタイトルで、新宿JAMにて単独フロアライブを開催しました。
ライブハウス規模でワンマンをやるのは初めてだったけど、なんとか2時間、20曲歌う事が出来ました。
9月8日の下北沢GARDENで開催された、ThreeQuestionsのレコ発ツアーファイナルから、リードギターに元WONDERVERの吉田直弘が加入。
四人編成での活動を開始。
吉祥寺のINDEPENDENCE DAYにも初出演。
前年は出演出来なくて、フライヤーだけ配っていたらそれを覚えてくれた人がいたのが本当に嬉しかった。
10月29日には新宿JAMで4回目の自主企画「WE ARE THE ROMAN'S 4」を開催。ゲストにはMY WAY MY LOVEを招いた。
4人編成での活動は2015年3月31日の下北沢GARDENで終了。ギターの吉田直弘がバンドを卒業し、スリーピース編成に戻りました。
同年5月の新宿JAMで開催されたJAMFESで2年連続の大トリでの出演。
6月には一年間フロムTokyoを支えてくれた河添将志がバンドを卒業。
それと同時に、元BAND Aの中島元良がサポートで加入。
新たなスリーピースとして活動を再会しました。
長いね。笑。
読んでくれてありがとうございます。
とりあえず年表みたく、表面的にフロムTokyoの歴史を書いてみました。
少しでも知ってもらえたらなと思っています。
来たる8月15日で、僕が一人で始めたフロムTokyoという船は三周年目の航海に旅立ちます。2年経つんです、あれから。沈みかけた事が何度も何度もあったのですが、たくさんの人にオールを濃いでもらったり、大きな船に牽引してもらったりして、なんとかかんとか、今日まで来ました。
8月15日に大切な発表があります。
そして、何よりその後にこそ、注目していていただきたいです。
僕はこの船を、また大きく羽ばたけるように持ち上げてくんで、見守っていて下さいね。
では。
死ぬまでドキドキワクワク。
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