2021年7月28日水曜日

しらけちゃうね

 

今日もBLOGを書いてみる。

歌詞を考えていてとにかく歩いてる。
東京の街は沢山の人が居て、歌詞を考えるのには不向きだ。
でも、それは僕があんまり人が居ない街で生まれたから、ってだけかも知れない。
だから、歌詞を考えるのに不向きだ、って事を歌詞にしてみる。
そうやって、今まで色々な事に見切りを付けずに順応してきた。
生まれた街を出て東京に住むというのはそーゆー事だと思う。
沢山の人が居て、沢山の価値観を感じて触れて、自分をもっと知る機会に変えてゆく。

渋谷の宮下公園が見違えるくらい改築されてて驚いた、そして、若者たちで溢れていた。
それはとてもドキドキして、なんだかとっても嬉しかった。
何年も前に、under、という曲のMVを改築される前の宮下公園で撮った。カメラマンの惇君と二人で、エレキギター を地面に叩きつけて破壊する、ってゆー映像を撮った。
改築された綺麗な宮下公園じゃ、そんな映像を撮りたいとは思わない。
変わったことで、良いとこと悪いとこがある。

4時間くらい歩いた。
そろそろ家に帰ろうかな。
歌詞も少し書けた。

2021年7月24日土曜日

ずっとだ。

 


誰が見ているのか分からないBLOGを更新してみる。
どうやら何人かは見てくれているらしい。
アクセスがある。もちろん誰かは分からないけど、0じゃない限り何かしら書きたい気持ちにはなる。
夏だなー。めちゃくちゃ暑い。
年々暑さにも寒さにも弱くなって来た。
東京来て一年目はクーラー使わなくてもなんとかなったのにな。
でもやっぱり夏のワクワク感は年を重ねても無くならないね。
ここ最近は新宿JAMで良く対バンしていたバンドやシンガーの事を思い出していた。
YouTubeで久しぶりに歌っているとこみたら、すんごく面白くて当時より笑ってしまった。
特にアザラシの夜という曲はとても良いなーと改めて思った。
みんな元気にしているかな。
僕はきっとずっと音楽好きだし、生み出していたいし、またとっても笑える感じで再会して、かっこいいライブやりあえたらいいなと、思っている。
ホントだよ。

2021年7月18日日曜日

命を巡らせる

 

自分の詩を聞く深夜2時。
窓に映った自分の姿の先に新宿の街が広がる。
バンドをやりたくて東京に来たんだと思い出す。
毎日が必死過ぎて音楽なんてやる余裕がなくても、コツコツ録り溜めて来た。
アルバムを作ってる。
全ての工程を一人でやってみたくて、やっている。誰にも届かなくたって、意味がある。
自分の為に音楽やりたくて、バンドで歌っていた時の気持ちがそれだからだ。
いつから誰かに届かないとダメだなんて思い出したんだろう。
自分の為にもっと音楽を作れたら良かった。
僕は生まれた意味を詩に残したい。
自分がこれからも生きていけるように、そして自分が生きてきた道が確かにあった証の為に。
必ず自分でアルバムを作って、それを聞いてほしい。
そして最悪だれも聞いてくれなくたって、それでも胸を張れるように、ちゃんと出来る限り一人でやり遂げたい。
生きてる事を後悔しないように。
僕が生きてる事に何か意味がありますように。

また、
夏が来る。

2021年5月17日月曜日

偽物の言葉。

 僕としっぱいまんの話。

東京の東新宿という街の小さなライブバーで定期的にしっぱいまんと企画をやっている。

しっぱいまんは僕が地元札幌に居た頃に出逢った。2007年くらいに一方的にライブを見た時に歌っていた「小銭をじゃらじゃら鳴らしながら」って歌にグッと来てから、しっぱいまんがやってたJET THUNDERSってバンドの大ファンになった。JET THUNDERSのライブに沢山行った。アクメナイトって企画をJET THUNDERSはやっていて、東京のめちゃくちゃかっこいいバンドや札幌のめちゃくちゃかっこいいバンドが出てた。僕はそのバンド達に影響受けまくって、バンドとライブハウス以外の事はどうでも良くなった。JET THUNDERSと対バンするのが夢だったし、アクメナイトに出るのは夏フェスに出演するくらいの憧れだった。初めてアクメナイトに呼んでもらえた時は飛び上がるくらい嬉しくて、ライブスケジュールに自分のバンドの名前があるのを見て、ずっと幸せな気持ちだった。僕はJET THUNDERSのコピバンが出来る自信があった。あるアクメナイトの企画で、JET THUNDERSの曲をカバーしてくれるオープニングアクトを募集しているのを見てすぐ連絡して、出演もした。「夜はまだ始まったばかり」という曲を家でしょっちゅう歌ってた。カルトフラワーズとキンゴンズをゲストに呼んだアクメナイトに僕らもバンドで呼んでもらえた日、最後のJET THUNDERSのライブ中にステージに呼ばれしっぱいまんのギターを弾かしてもらった。しっぱいまんはダイブしてフロアにいた。ステージには、僕となおやんとジョニーさんの3人で、僕は夢を見ているのかと思った。あの日部屋で一人で夢中でコピーしていたバンドの人達と、夜はまだ始まったばかり、を一緒に演奏する日が来るなんて。僕はもしかしたらJET THUNDERSになりたかったのこもしれないとその時思った。

時が経って、なおやんとジョニーさんと離れたしっぱいまんは上京していった。
僕も上京してなんだか少し距離が近くなった。でもやっぱりあの日の2007年の小銭をじゃらじゃら鳴らしながらの衝撃が消える事は無くて、僕にとってはずっと憧れの存在のまま、だから一緒に企画なんてやりたくなかったな、ってたまに思ったりした。だから、自分のままでなんて居たくなくて、壊して再構築する意味でも、企画名には、レイプミーと入れたかった。

世界が大変な事になっていても、もっと凄い事が心の中では巻き起こっている。その推進力は何よりも素晴らしくて素敵でこれからの生きる力です。

2021.5.25
東新宿LOVE TKO
瀬川浩平a.k.aしっぱいまん×佐々木泰雅(フロムTokyo)企画
"淵の先でレイプ・ミー5"

OPEN 17:00
START 17:10
ADV¥2000
DAY¥2500

出演
瀬川浩平a.k.aしっぱいまん
法橋ハジメ
アサトアキラ
佐々木泰雅(フロムTokyo)

是非来てください。

2021年5月12日水曜日

また逢えるかな。また逢えるかな。

 


随分と何もやれてない気がしている。
「何かやれている」って気持ちもよく分からないけど、たぶんオレは今何もやれていない。
BLOGを書いている場合じゃないんだろうけど、ご飯が出来るまでの間くらいならいいんじゃないかな。
ほとんどの時間を新宿で過ごしている。東京に一人で来たあの日から今日までの年月は、札幌でバンドをやっていた年月を越えた。もうそんなに経ったか。なんかよく分からないけど、人生の時間の進む感覚ってのは20歳でもう折り返してるらしい。頭の良い人が言っていた。僕が生きている時間は実際に通り過ぎた時間の中にどれだけあったのかな。全力で何かをやった事なんて、ほんの少ししか無かった気がする。全力ではやってるけど、気持ちの良い汗とか、気持ちのよいノリみたいなのは、ほんとに生涯を通じて少ない。何百年も先に届く音楽をやる、とかそんな感じで逃げてるみたいなのが嫌だなーと思う反面、そーゆー音楽にグッと来る自分がいる。生きている間に出来る事は少ない。
この文章を書く時間もご飯が届いたら終わり。
そして届いたので終わる。
また書きます。
みんな元気で、また必ず逢おう。

2021年5月8日土曜日

5月。

 

緊急事態宣言が延長された。
正直なところ、個人的には本当にどうでもいいのだが、本当にどうでも良くない方々も沢山いて、そーゆー社会の歯車の一部な以上は意識しなくてはいけない出来事である。
しばらくニュースもまともに見てないし、SNSも僕はやってない。このブログと公式ラインで発信するくらい。初めてそれ系の事書くけど、コロナなんてマジでどーでも良いんだが、マジでどーでも良くない方々が沢山いて、そーゆー社会の歯車の一部な以上は、マスクしたりするのはある意味ちゃんと挨拶したりする今流の礼儀であったりする。狂った社会だなと思いながら、その中に溶け込んで、狂ったふりしながら、まともでいる。僕はそもそもずっと自由になりたいだけだ。愛する人達と幸せになれたらいいし、何のしがらみもない世界が良い。今んとこそれは記憶の中と、音楽の中だけだ。いつか振り返らなくても前向きになれたり、イヤホなくても世界がうるさくなくなったら良い。そしてそれはもうほっといても出来上がらないことにも気付いたから、自分で作らなくてはいけない。何かもっと生み出したい。新曲作ったりもそうだけど、もっと面白い事を思いついたり、ふざけていたい。だから、やっぱり、バンドがやりたい。僕はピン芸人には向いていないのかもしれない。昨日のJAMFESは本当に楽しかった。最後のステージにシゲさんもアサトもいて、なんだか僕は幸せだった。機材とギターを背負ってカズマさんから貰ったチャリで帰る。荷物重すぎて肩おかしくなりそうになりながらも、心は跳ねるように軽かった。ずっとここにいれるなら、ずっと居たい、と思った。みんな最悪な夜を超えて、何か手探りで探してた。笑っていたけど、本当はいつも泣いているかもしれない。生きている時間で幸せな瞬間なんてほんとに少しかもしれない。そんな時いつも音楽が助けてくれるのをみんな知ってる。
僕もきっとおんなじだ。

2021年5月6日木曜日

傷だらけの青春に。

 


風が強い。
今日は東京の空がとっても綺麗でした。
これを見ている皆さんお元気ですか?
僕はなんとかやってます。
まだまだやらなければいけない事が沢山あるので元気にやっていかなければと思う今日この頃です。
くだらない事ばかりで頭がおかしくなりそうになるけど、多分僕は何が起こっても大丈夫って感じもあります。

長くなりそうです。
では行きますね。

あれは僕がまだ札幌の手稲ってとこにある実家に住んでいた頃。毎日、毎日部屋中に貼られたバンドのポスターやフライヤーばかり眺めながら、リンダリンダラバーソールってバンドをやっていた。札幌でライブをやりまくっていた僕は、その頃東京の街でライブをしたいと思い始めていた。東京から札幌へライブをしに来るバンド達が軒並み輝いて見えて仕方なかった。そんなバンド達が住んでいる街はどんなだろう。どんなライブハウスがあるんだろう。一度も東京に行った事のない僕はただただイメージを青い海みたいに広げていた。そして手紙を書いた。20通くらい。返ってきたのが下北にある屋根裏ってライブハウスと、新宿にあるJAMってライブハウスだけだった。二つしか返って来なかったので自ずと、その二つのライブハウスでのライブが、初めての東京になった。2011年の2月8日にはじめて下北に行った。とにかく全てが輝いていて、本当に楽しかった。トップバッターのバンドがリンダリンダラバーソールという曲をやっていた。翌日はこれまた初めての新宿に行った。新宿はとにかくデカくて、とにかく臭くて、とにかく汚くて、とにかく美しかった。色々な人達が馬鹿でかいゴミ箱のような街でがむしゃらに楽しんで生きているように感じた。JAMというライブハウスに呼んでくれたのは内藤重人という男だった。その人は逢って早々に、ツアー行かない?と言ってきた。めちゃくちゃな話だけど、僕はそれがめちゃくちゃ嬉しかった。そして、また5月にJAMに行けることになった。イベント名はJAMFES。その時がはじめての開催だった。朝から次の日の朝まで24時間ぶっ通しのイベントとの事で、僕らは三回出させてもらった。あの時もらった音楽における宝物のような時間があるから、僕は今でも歌っていられる。
それからJAMFESには毎年のように出て、上京してからもフロムTokyoで出たり、ソロで出たりした。リンラバでも四人で出た。
そして、2017年に新宿JAMが無くなって僕がJAMに出勤する時に乗っていた自転車も無くなった、というか撤去されだけだけど。僕は新宿JAMで3年くらい働いていた。

と、この辺まで書いたとこで、指が進まず、書けなくなった。5月6日の14:30にJAMFESでの僕のライブは終わった。JAMFESでやるのは初めての曲だけのセトリ。でももっと最新の曲だけでライブしたかったのが本音。

僕の思うJAMFESって何があれば成立するんだろう。今日は新宿JAMの店長だった石塚さん、一緒に働いていた同僚の矢野さんや野口さん、そしてシゲさんやアサトもいたり、新宿JAMの副店長だったカズマさんが西永福JAMの店長だったり、ホームイズのヌマタさんや、アイムホームの石垣さんもいて、あの日の新宿を思い出していた。でもなんだろう。みんなそんな事思い出してないみたいな気もした。この気持ちはなんなんだろう。

まるで何も無かったみたいだ。
もしかしたら僕の気のせいで何も無かったのかもしれない。新宿JAMなんて気のせいで、あの場所で起こった事は幻だったのかもしれない。
そんくらいまるで何も無かったみたいだった。
今日のそれはあの日のJAMFESではなかった。こんな時代なのももちろんあるけど、あの日のJAMFESとは全く別物だった。
新宿のあの感じが焼きついて離れないで、そこから僕は未だに踏み出せてないのかもしれない。
楽しかった。あの頃本当に毎日楽しかった。
あの頃良く話していた友達やバンドマンはどこへ行ったのだろう、そんな風に僕も思ってもらえてるかな。
詩を歌いたい、バンドがやりたい、と初めて思った気持ちに似ている。

僕はここにいて、ずっと忘れないでいるよ。