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私の窓の外へ。



ブログをまた始めました。
お久しぶりです。

東京でフロムTokyoというバンドをやっています、詩とギターの佐々木泰雅(ササキタイガ)です。
以前のブログはこの東京に来てから2年経ったら一旦辞めようと、そんな気持ちで始めたモノでした。


とてつもない決意と覚悟を持って、上京資金を稼ぐ日々を過ごしていたのを、最近は少し思い出したりします。
朝から夕方まで古着屋で働いて、それから朝方まで深夜のスーパーの品出しをやっていました、だいたい半年くらい。
深夜のスーパーの従業員駐車場は、スーパーの屋上にあり、20時以降は屋上行きのエレベーターも使えなくなるので、車が下ったり登ったりする用の坂道を、毎晩歩いて登り車に乗って帰って、また朝に古着屋に出勤するってのをやっていました。
まだ春が遠い季節だったので、深夜の坂道は真っ暗闇で凍りついていて、イヤホンで音楽を聞きながら屋上に登ると、そこからは手稲の街の夜景がパノラマのように広がっていたんです。
そのイメージをまるで自分の誇りかのように旗にして掲げ、東京で何かを始めてみようと思った。
温かくならぬよう、穏やかな夜に身を任さぬよう、繋いだモノを痛みを伴ってでも切り離せるよう、優しくなんてならぬよう。

ここは僕の生まれた街ではなくて、選んで好んでこの街で存在しようとして、今ここにいて、ここでしか出逢えなかった何かに、いちいち意味を見出だして。
やっぱりちょっとぬるくなっちまったな、って。
僕はだいぶ良くなくなったな、って。

それでも良しとするならば、2年経った今、ブログもまた始める事はしなかったし、音楽も辞めてよかった。

でも、やっぱりそれで良しにはならない。
自分のぬるくなった浅くなった達成感の海の水嵩じゃ、自分がしてきた行動の全てのケツを自分で拭く事が出来ない。

僕は新しく住んだ街で、新しく出来た友達や大切な人に、また新しい目的を持たせられました。
僕一人だと到底描けなかった想像すら出来なかった、大きな大きな最高な到達点。
それは、もっともっとたくさんの人に自分が作った詩を歌って欲しい、ということ。

「私の窓。」
覗けるけど、玄関じゃないから、部屋には簡単には入れない。
そんな?ブログを書いていきます。
ちょっといじわるかつ、赤裸々に綴ります。
空気の入れ換えをして待っているので、カーテンを揺らしに来てくださいね。
撮影 伊藤惇

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