8.0 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ 8月 10, 2015 夏は続いている。 もう終わりそうだ。 新宿の大都会の真ん中にボロボロの猫がいた。 全然鳴かない猫。 警戒しているけど、逃げる力もないんだろうな。目の周りの毛が抜けて今にもそこに横になりそうな程に弱々しかった。 後でしっかりとBLOGを書きます。 ボイガルと対バンしたいなー リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ コメント
①1年前 5月 23, 2025 長くなりそうだがゆっくりでも書いていこう。 ちょうど1年前くらいの5月にニュータウンというバンドをやっていた柳田と吉祥寺で飲んだ。その少し前に渋谷ラママで開催された「少年の叫び2024」に僕は出演していて、そこで柳田と4年ぶりくらいに再会した。柳田はGABIGABIに出演していて、アコギで歌っていた。 出番が終わった柳田に話しかけて、一緒に矢野さんがやってる「はまこ」に行った。 それから少し経って吉祥寺のハモニカ横丁で柳田と待ち合わせをした。同い年であの頃新宿JAMで何度も共演してたけど、2人で飲むのは初だった。その日のハモニカ横丁は活気があり、立ち入った飲み屋の2Fから酔った客が路地に転がり落ちてきていたりした。僕らは、何気ない音楽の話や、生活の話なんかをした。柳田は、もうすぐ2人目の子供が生まれるんだ、と嬉しそうに言った。 あれから1年経つがそれっきりまた逢えていない。またハモニカ横丁に誘ってみようかな。2人目の子供もそろそろ1才になる頃かもしれない。 柳田と逢った少し後、初めて阿佐ヶ谷でライブする機会をもらえた。下北沢のモザイクやDYキューブでブッキングを担当してたミエダさんが僕を誘ってくれた。初めて出演する阿佐ヶ谷ロンサムで、僕は初めてサンプラーとエレキギターでライブをした。めちゃくちゃ緊張したし、どんな風に思われるか、分からなかったけど、自分にはこれしかないと思っていた。その日のライブを気に入ってもらえたのか、それからはロンサム店長の森本さんが、毎月のように呼んでくれるようになった。ライブがなかなか出来ていなかった僕にとってこれ程嬉しい事はなかった。 その頃、リンラバの2023年に作成していたデモをRemixしていた。よくDTMと向き合って1日に何時間もヘッドフォンをしていた。完成したものにゆっちが映像をつけてくれて、リンラバの2023年末までの活動が一段落ついたような気がした。作成した4曲は、今でもとても特別で、まだまだ何か伝えられる力を持っていると思っている。 青春の光 OVER DRIVE 未来 メロディライン 初めてまともに田高くんと話したのもこの時期かもな。一度豪徳寺で共演しているけど、あんまりちゃんと話してなかった。LOVE TKOでワンマンを終えた彼に少しだけでも逢えて良かった。 それからまた少しライブが空くんだけど、幼馴染の健太と... 続きを読む
10年、 5月 21, 2025 随分とまたまた間が空いてしまったけど、思い出すたびに書きたいと思っていたこのブログ。2015年から始めたが機能していたのは僅かだったから、もっとちゃんと書いて伝えられる事は伝えたい。しばらくライブが空いているこの隙を狙って、実はずっと書きたかった昨年の夏から今この瞬間までを、分作にして書き上げたいなと考えていた。これはそれ自体を宣言する為に、自分のけつを叩く為に書いている。東京に来てから気づけば12年程が経ち、6月を前にしても、梅雨に怯えなくなった。慣れというのは凄い。それでも今でも東京に対しては途方もない程の歌う理由を持てていると信じている。窓からは涼しい夜風が吹いて、スピーカーからは阿部芙蓉美さんの詩が流れている。どんなに沢山の音楽を知っても、ぐっと来る音楽は決まってあんな曲だ。「ライブがしたい」けど、「ライブでしたい」事は何度も分かんなくなった。そんなツアーのような、僕にとっては普通の日常を書けるだけ書いてみます。 続きを読む
⑥手紙に出来ない思い 6月 14, 2025 ワンマンまでの日々を、ツアーと銘打つまでには、ワンマン発表から2か月の時間がかかった。 それまでに何を感じていたかを今正確に思い出すのは難しいが、2024年の11月8日に大塚SOHOでライブした日を境に、めちゃくちゃ久しぶりに”今日の手紙”を復活させた。これは2013年5月1日に東京に引っ越してきて、その翌日から出演したJAMFESで書き始めたものだ。何かに感化された訳でもなく、必然的に気づいたら書いていた。新宿JAMの1階のスタジオ前に、雑に作られた物販スペースがあり、僕は遠慮気味なのかB5サイズで印刷したその手紙を並べていた。酔っぱらった奴らがその上にビールグラスを置いているのを見て、許せなかったのを今でも覚えている。 それからしばらくは、ライブの度にその手紙を書いていた。”今日の手紙”なんて名前も、当時は何もついてなかった。ただ、自分にとって必要な行為だった。いつからか分からないが、今から5年前くらいから、ぱったりと書くのを辞めてしまった。それはライブに対する気持ちの変化と直結していたと思う。寂しいことです。 でも、僕は、やっぱりライブは辞めれなかったし、何か月もライブがない日々も、毎日毎日ライブや音楽の事を思って電車に乗ったり降りたりした。ライブだけがやりたいわけじゃないけど、ライブ以外の事がやりたい事なのかと自分に問うと、それはやっぱりライブや音楽の為にやってるんだという答えが何度も心の中で聞こえた。 何かに感化されて始めた訳じゃないこの手紙を書くという行為に、数年ぶりに自分で自分に感化されて、”今日の手紙”なんて名前まで付けて、また書き始めた大塚SOHOの夜。 ライブオファーの募集を見て連絡くれた店長の長谷部さんに感謝、めちゃくちゃ久しぶりだった。共演者はアコギで歌っていたが、僕はサンプラー、エレキギターで爆音でライブ。お客さんはシュンペイだけだった。でもとても嬉しくて来るのを入り口で待ち構えていた。 振り返ると、様々な出来事や行動の純度は低くなる一方だけど、未来を見てると、そんなことで走り始める事が出来なかった気持ちなんて、どこかへ吹き飛んでいた。 まだまだここからだと、 続きを読む
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