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2016.12.31

"わたしも花になって"レコ発ツアー 12.28 と12.29 どちらも新宿JAM 終えて12.7からのツアーも6本目が終了 これでオレの2016年のライブは終わった 2016年12月31日 昨年の大晦日にフロムTokyoでカウントダウンイベントをJAMでやってバンドは一度無くなり僕もステージに立つのをしばらく辞めた。 何故辞めたのか。結局それも上手くは伝えられないんだけど、、何の為にやっているのか、何の為に歌っているのか、何の為のバンドなのか、どうして音楽が好きなのか。根っこにある一番初めの部分。意味なんて無くていいじゃん、楽しければいいじゃん的なニュアンスで、上手く逃げれる人はいいんだけど、僕は自分でも把握出来ないくらい、勝手に自分を縛り込んでしまうみたいで、その自分は音楽をやる事、バンドをやる事の揺るぎない理由を欲しがってしまうんです。 結局それは「愛」でしかない。 「愛」のある事は意味に理由に近い気がした。 そもそも僕が音楽を好きになったのは14才でmr.childrenの「口笛」を聞いた時だ。音楽って「いいな」って初めてはっきりと実感した。 そしてGOING STEADYの「童貞ソーヤング」を聞いて、初めて音楽で泣きそうになる経験をした。あの時、僕もバンドやりたい、そう思った。 あの時聞いた優しい「口笛」のような詩を歌える、そんなバンドをやりたい、きっとそう思ったんだ。 僕は自分自身の音楽への愛を確かめたくて、一度ステージに立つのを辞めてみた。その間、ホントの事言うともう二度とステージに立たないのかもな、とも思った、何度も。バンドもやらないかもしれない。SNSやNETだけで配信したりする形で音楽やってみよっかなとか、いろんな事を考えた。サウンドクラウドに詩をアップしてみたりした。隣の部屋への音を気にしながら小さく歌ってみた。ダサい話だが再生回数を見て、あ、聞いてくれてるんだなーと、励まされた。 その延長でって訳じゃないけど、iPhoneで録った音源を欲しいと連絡くれた方に無料で送るってのをやってみた。僕は欲しいと言ってもらえた事がホントに嬉しくて、ホントにホントにありがとうと思った。 2016.7.29の新宿JAM ThreeQuestionsの少年の叫びというイベントからまたステージで歌いたい、そう思った。 そして、た

12.18 午前4時

起床。まだ外は真っ暗で日の出前。 ツアーに必要な荷物を再確認し、4時半には家を出た。 まだ外は冷え切った真冬、東京。乾いた風が突き刺さるのを感じた。 いつもの京王新線に乗り込む。アコースティックギター、エレキギター、物販や着替えなどを入れたエフェクターケース。肩が千切れそうになりながら、心はワクワクしている。 新宿につき山手線で日暮里へ。京成線の改札で駅員さんに現在一番早く空港に着く電車を教えてくださいというとこれだよと10分後くらいのスカイライナーを教えてくれた。駅員のおじさんは優しい笑顔だった。 スカイライナーで成田空港第2ビルへ向かう。窓の外で日が昇りだしていた。 飛行機は無事新千歳につき乾いて冷えた空気が背筋をしゃんとさせた。 とわちゃんからメールが来ていた。富良野の駅まで迎えに行くよ。そんな内容だった。今この瞬間を大切にしている、気持ちが伝わった。 新千歳から札幌へ向かう中、何か考えていたけど忘れてしまった。いつも札幌に帰る時は決まって同じようなことを考えているんだけど、何を考えていたかは忘れてしまう。 札幌についた。久しぶりだ。何だろな、やっぱりオレの生まれた街だ、変わらない。 札幌バスターミナルから富良野への直通のバスが出ていて、バス停の列に並んだ。 バスが来て荷物を積んで椅子に座って眠った。 2時間半バスに揺られ、終点の富良野についた。富良野はいつぶりだろうか。 何年も前にリンラバと青空教室と武田組のえーすけさんと三組で富良野でライブをやった。 リンラバと青空教室は一緒に富良野へ向かった。楽しかったな、りょーちんがめっちゃ面白かった。青空教室がライブをして、オレらリンラバがライブをしている時に窓の外を見た時にふと映画みたいだなと思って、そして神様になりたいを歌った。打ち上げでめちゃくちゃ遊んだ。真夜中。どこか森の中の広場みたいなとこで、満天の星空の下、みんな全裸になって遊んだ。えーすけさんとあんな風に遊んだのは最初で最後かもしれない。それを見た時に、ふと、映画みたいだな、と思った。 それ以来の富良野。 富良野駅に着いて荷物を降ろし、ストーブであったまってると、清掃のおばちゃんが話しかけて来た。音楽やってるの??髪型でわかるよ。荷物いっぱいだから気をつけるんだよ。と優しい声をかけてくれた。久しぶりにそんな事

2016.12.20 「死ぬまでドキドキワクワク」 奥山京についての話

16歳の4月に新学期が始まり、オレは奥山京っていう細い男と同じクラスになった。 京から見たオレの初めての印象は知らないけど、オレは細い人だなーと思っていた。その頃の京の髪形ってしばらくその後変わっていなかった気がする。 いつも教室の後ろでぴゅーと吹くジャガーを読んでいたような気がする。 京とちゃんと話すようになるのは、オレがいろいろ悩みだして孤独になっていた頃からだと思う。 ある日から一緒に帰るようになった。帰りの方向も一緒だったから一緒にスクールバスで帰った。 あの思い出のバス停で何十分も二人で待っていたんだろう。あの頃オレら何を話していただろう。忘れてしまったよ。 オレが経験した恋愛やどうしようもない事も、京はだいたいを知っているし見ている。京が経験した恋愛やどうしようもない事も、京がオレに思うようにオレも知っているつもり。わからんけど。 17才になった年の年末に初めてバンドを組んで札幌のサウンドクルー(もうなくなってしまった旧の方)でライブをした。バンド名は「さくらボーイス」、ゴーイングステディの「さくらの唄」から影響うけたの丸わかりだね。メンバーはボーカルギターがオレ。ギーターコーラスさとし。ベース千葉しょー。ドラムはゆっち(リンラバの)、曲はゴーイングステディ。 京は計5回やったさくらボーイズのライブを唯一5回全部見に来ていた。今思うと何でかわからないけど。京はいつもいた。 オレ達は高校を卒業した。 17歳は終わり、それぞれの道に進んだ。オレは専門学校へ。京は大学へ。 オレは専門に行きながらもバンドがどうしてもやりたくて、外山君とゆっちを誘い「ウンコワープ事件」を始めた。ウンコワープ事件は精力的に活動して、オリジナル曲でライブをするようにもなる。 ちなみに「ウンコワープ事件」というとても印象的な名前にスピリチュアルラウンジの店長新保さんが反応し、オファーの連絡をくれたのが僕らの大きな一歩だったと思う。今でも本当に感謝しています。その頃に京が一体どんな風に生きていたのか僕は知らない。 しばらくして京から連絡があり待ち合わせをして僕の車の中で話した。 「ウンコワープ事件にギターで加入させて欲しい」との事だった。白いダブルのライダースに白いボトムを合わせた良くわかんないファッションセンスでよくわからないバンド名のバンドに強

"わたしも花になって"全曲解説。解説というか、、。

なんだかんだアルバムを作ろうと決めたのは2016年が夏になりかけの頃だったと思う。7.29にThreeQuestionsの少年の叫びに出る少し前くらい。あなたは花になって、と、under、という新しい曲があり、そこを中心に構成して行きました。ではでは、長くなりそうですが、1曲ずつ書いて行きますのでお付き合いよろしくお願いいたします。 はじまりはじまり~ 1.MrTokyoUnderGround 自宅のアパートのすぐ横にゴルフの打ちっ放しがある。そこを右に見て自宅に帰る時に見上げた斜め上正面には、新宿の高層ビルが見える。それが夕方から夜にかけて赤い点滅が光っていて、上京したての頃はそれを睨むように家路についていた。右手のミュートを刻みながらの詩がまぁまぁむずくて、ソロで初めライブでやってからたくさんはやっていない。その後フロムTokyoでもやるようになる。きっとこの曲はバンドの曲なのかもなと思った。ただ作った時にバンドが鳴る事を一切イメージしていない。ちなみにここだけの話し、、冒頭の「奇しくも」という日本語の使い方について、オレは大きな誤解をしていた。。調べた所良く間違えられてるらしいが、、本来は「不思議なことに」「偶然にも」という意味。オレは完全に「悔しくも」や「惜しくも」という意味で冒頭で歌っている。ただ響きが好きなので敢えて訂正はしない、、笑。 2.under 歌詞で「under world響く渋谷」という箇所があるが、これはサマソニの宣伝で流れていたunder worldの音ではなく、自身のイヤホンから流れた音の方である。 Barbara Barbara we face a shining futureという新しいアルバムが今年発売された。3月くらいかな。アルバムタイトルはメンバーの父が、重い病により息を引き取る直前に、父のいない将来に不安がっていた母であるバーバラに対して言った言葉から引用したもの、というようなコメントが載っていて、中身も聞かずに購入。見事下半期のベストヘビロテアルバムになりました。ちなみに2016年一番聞いた曲はぶっちぎりでBallsのメルトサマー。うん。 、、話を戻します。underは結局under worldからの何か感化された思いで書いた曲では全然なくて。渋谷のタワレコに夜に良く行く機会があって、、たくさんの音楽を試聴機で聞いたりして

但野正和(最終少女ひかさ)2017.2.8 下北沢SHELTERの対戦相手について

確か札幌のスピリチュアルラウンジだと思うんだ。 但野は今程髪は長くなかったはず。その時の但野のバンド名は覚えてないけど、もしかしたら今と同じだったかも。ライブを二曲くらい見て楽屋に戻って来た但野とホントにちょっとだけ話した気がする。そん時に同い年って事知った。そん時オレはリンダリンダラバーソールってバンドをケイ(奥山漂流歌劇団)と2人編成でやっていたはず。オレよりも但野はケイと仲良かった。そのあとに共演したのが、ケイが長い事やっていた「ティティの音楽祭」というイベントだった。場所はLOG。但野と、堀木君とリンラバとあと何組かで。但野はキリストって曲をやっていて、あの曲いいねってオレは但野に伝えた。 んで、その後に対バンした記憶ではっきり覚えてるのが、2013年の2月にアサトがLOGに歌いに来た時だ。オレは上京するまで毎週月曜日に狸小路2丁目で路上をやると決めていた。その日が月曜日だった。自分の出番が終わって、ホントありえないんだけど早々と1人狸小路2丁目に歌いに行った。んで路上が終わって、LOGにまた戻った。もちろんLOGでのイベントは終わっていて、白シャツに絵の具が塗られた服を着た但野がソファーに少しシャイな感じで座っていた。そこでオレらは何か話したんたけど、なんだったっけな。忘れてしまった。 そしてオレは1人上京した。 リンラバが解散した2012年の12月、但野がブログにこんな事書いてるよーとケイが教えてくれた。そこには「解散したら伝説になってしまうじゃないか。ギャフンと言わせたかったのに。」みたいな内容が書いていて。そうか。もうしばらく一緒に対バンする事もないのかもな、とその時は思った。 その後、オレはフロムTokyoというバンドを東京で始めて、初めての企画に「最終少女ひかさ」を呼んだ。誘わせてもらったバンド全てに、あなたにとってロックとは?という質問に答えてもらう動画を企画前に作っていて、ひかさは札幌だったから動画撮って送ってと但野にお願いしたら「これがオレらの限界です」という言葉と一緒に動画が送られて来た。動画内で喋っていたのはほとんどがギターのシュンキだった。 それからも東京ではソロ同士で何度か共演した。でもいつもそんなにたくさん話す仲ではなかった。 2013年の9月に吉祥寺でインデペンデンスデイというサーキットイベントがあった。毎年やってるんだけど

WE ARE THE ROMAN'S(2016.12.7)

当日はよく晴れていた気がする。 14時頃に家を出て、14:50頃には下北沢について風知空知へ昇るエレベーターのスイッチを押した。スタッフの顔ぶれはいつも通りで、僕を優しく迎え入れてくれた。 初めに風知空知の斉藤さんに当日発売のアルバムを渡した。斉藤さんは間に合ったんだねーありがとう。と言っていた。一人で裏の出演者スペースでコーヒーを飲んだ。外はよく晴れていて、午後の下北沢の爽やかな陽気が風知空知に差し込んでいた。 少ししてリハをやろうと準備を始めたくらいで重さんが来た。挨拶をしたのと同時に背筋が伸びるのを感じた。2013年の6.26に上京したての僕を迎え入れてくれるイベントとして重さんが初め企画してくれた。タイトルは泰雅が決めていいよと言われて「フロムTokyo」にした。まだバンドを東京で始める前の話だ。その後「フロムTokyo2014」、「フロムTokyo2015」とイベントは毎年6.26に僕が開催する形で続いた。重さんが生んでくれた一日を僕なりに育ててみた。ただ今年は僕がステージに立つのを辞めていた事もあり6.26にイベントをやることができなかった。でも毎年やっていたこのイベントの事はずっと心の中にあって、だから、2016の最後にこの日が来て良かったなと思ったのと同時に、何とも言えない責任を感じた。それは周りのあらゆるモノを、また巻き込んでゆく事の覚悟を確かめさせられるモノだった。 重さんがリハ終えるくらいで、充が来た。毎年やってきたイベントに今回初めて誘わせてもらったハートたちの秋村充は、京都から来た同い年のバンドマン。僕がステージに立つのを辞めていた時期に一番傍にた友達で「サンキューエレキギター」という曲を録音してくれた人。僕はその事を本当に感謝していたし、今年は一緒にやりたかった。そのあとにペン、ヒデちゃん、アサトという順で、みんなリハ時間ギリギリに風知空知にやってきた。僕の背筋はさらに伸びて、本当にこの日がまた来たんだな、という実感を噛みしめていた。そういや初めて開催した2013.6.26は出番直前でボイガルのシンゴからメールが来ててそれをみんなで見たなーとか、あん時はホントに凄い気持ちを抱えていてギリギリだったなーとか、なんかたくさん思い出した。オレは東京に住んでるんだなーと改めて思った。ここは今下北沢なんだなーと。少し自分の街に思えるように

08 マイフレンズアンセム

マイフレンズアンセム 眼下に広がった暗黒の海 遥かに遠ざかった一筋の光 震える足を踏み出す舵を オレたちやがて死んでしまうさ それなら今を生きてやるさ ここまで来れた日々の 軌跡の証明に 一人で逝くのですね どうか元気でいて 振り向くことなかれ その道険しい限り 叶わない願いが届かない祈りが この胸を幾千と叩く時 金にならない詩で 始まりの鐘を鳴らして 燃え尽きた「灰」を集めて燃やす マイフレンズアンセムソング 段階別の痛みの色 犯罪的な縛りでテロ 全てはIと愛の戦争 焦げ付いた暁 滲んだ性 澄んだ目をして住んだ東京 未だ聞こえるエール 1986 一人で逝くのなら 全てを手に入れろ 老いて朽ち果てても 屍越えて羽ばたいて 誰も知らない場所で 誰も知らない時に 誰かを求めた声が鳴り響く たった一人の夜に 誰にも出来ない何かを 成し遂げるお前のそばにいる マイフレンズアンセムソング これがオレの最高 ここがオレの限界 フルテンの光の闇で 爆音の静寂の声で お前を呼ぶよ たったひとつの言葉 たったひとつのメロディー オレと君を繋ぎ止めるワンフレーズ 生み出す為の記憶を生み出す為の明日を 擦り減った踵で駆け抜けてく 叶わない願いが届かない祈りが この胸を幾千と叩くから 金にならない詩が 本当の糧を見つけて 燃え尽きた「胚」を何度も燃やす マイフレンズアンセムソング 眼下に広がった希望の海

07 あなたは花になって

あなたは花になって 例えば君が傷付いてくじけても 夢が果てなく叶わないと知っても わたしの心の中で笑っていてね 約束よ STAND BY ME あなたは花になって わたしの血に咲いた 花びらみたいに舞って 綺麗に散ってしまっても BABYいつも心であなたを感じているよフレンズ チャーミングな顔で笑って 愛する人より強く手を繋いで 獣のように鼓動を晒して 心は光るあなたの星のそばよ ぐるぐると STAND BY YOU 悲しみ歌になって わたしの血になった 花びらみたいになんて 綺麗になれなかったけど BABY 涙は祈り 慟哭を叫び夜の先に チャーミングな歌を届けるから そして わたしも花になって あなたの血に咲くわ 命を燃やし続けて いつか枯れ果てるその時も BABY強く心で わたしを感じていてねフレンズ チャーミングな顔で笑うから

06 July

July 飛行船の背中に 飛び乗って旅に出たんだ 北から南へと 青い風の音鳴る国へと 機能性の優先に 取り組んで街は変わった ピカから未来へと 青い風の音鳴る国へと 私は今日も稲穂と揺れる 額縁の中 香りふわり いつかは消えてしまう事さえ 忘れさせてくれたJuly 飛行船の背中に 飛び乗って旅は続いた 悪魔の森を抜け 渡り鳥の羽鳴る国へと 私は今日も夕凪通り 茜色の空にゆらり いつか大人になる事さえも 忘れさせてくれたJuly

05 アーケードソング

アーケードソング 最近めっきりあいつと 話していなかったなって あいつって誰かと思ったら オレの事だったよ 寂しいはずなのに 強がっているから 面倒くさくなって ほうっておいたんだ 最近めっきりあいつと 遊んでいなかったなって あいつって誰かと思ったら オレの事だったよ 誘って欲しそうなのに 孤独を気取りやがるから 面倒くさくなって ほうっておいたんだ 本当はそんなに全然 優しくなんかないって 誰かに言いたいのに 誰にも言えないでいる 本当はあなたにもっと 優しくなれたらなぁ 変わりたいはずなのに 変われないでいるんだ もう2度と逢えない人 いつかまた巡り逢えたらな 僕は忘れない 僕の声は忘れない 生まれたあの街へ いつか歌いに帰るから その日まで僕を 忘れないでね 人気のない大晦日の 狸小路商店街の詩を 最近めっきりあいつと 逢わなくなったなって あいつって誰かと思ったら お前の事だよ 生活や仕事に追われて メールの返事も出来ないかい オレお前にライブ告知を し続けてやるからな でも返事はいらない 僕 東京の街で 元気に暮らしているからさ 僕は大丈夫 君は大丈夫かい 生まれたあの街が 少し悲しい色に見えても 君を思い出すと 鮮やかに蘇るんだ 僕しか知らない 「転がる石のような歌」が今も響いてる アーケードソング 何もかも失くなったと 思った夜もあったけど ゴミ箱の奥の方から 君からの手紙が出てきたよ ちゃんとご飯は食べてるかい 痩せたりはしていないかい 風には気を付けなよ 喉は大事にしなよ オレは大丈夫だから お前の心配でもしてろよ オレは2013年4月29日のまんまさ 生まれたあの街へ いつか歌いに帰るから どうかその日まで 僕を忘れないで アーケードソング

04 わたしのこと

わたしのこと あの日を思い出す 真っ白な骨になって7月の空に 舞う雪のような あなたを思った夜 あなたにもう一度逢いたい 一目でいいから逢いたい 通り過ぎたふりをして 背中向けた 「そばにいて欲しい」 泣いてくれた あなたがすべてを 抱きしめていて くれたから わたしどこにでも行けた事 嬉しい寂しいぼんやり 胸、灯る明かり 幸せで泣きたい あの日の少年は 小さな部屋の中で 掌ばかりを見つめてこんな街で 綺麗に生きていたい 君にもう二度と逢えない こんな気持ちは歌えない 通り過ぎたふりをして わたしだけがそこにいる 「愛するものが多過ぎて 飛び立てないなら 振り切る事の切なさも 君を思うが故だ」と 歌ってくれた、泣いてくれた あなたが全てを 与えてくれて わたしの命の 中で生きていてくれる事 嬉しい寂しいこんなに 胸、灯る明かり 幸せで泣きたい

03 DAYS

DAYS 暗い坂を登る どれくらい行けば辿り着けるだろう あの丘の向こうに希望の光が あると信じて今夜も地を這う 深い穴を進む どれくらい行けば辿り着けるだろう あの闇の向こうに希望の光が あると信じて今夜も地を這う 左手に満月を 右手に太陽を 純血とは直線と曲線の交差点 さぁ行こうぜ 闇を切り裂いて 踵を鳴らして 憂鬱を振り払って 歌を歌って たった一人で見つけた答えを 信じるDAYS 永遠に逢わなくてもいい 別れなどあるはずもなく 思い出して振り返ってばかり 後悔ばかり それでも今を信じる力と 勇気をくれた君を信じてみたい 左手に砂漠を 右手に愛しさを 自由とは記憶の中だけにあるのか 今この瞬間か まだわからない さぁ行こうぜ 大好きな詩を 裏切ったとしても 全てが嘘になってしまっても 消えてくれなかったオレたちの命の詩 さぁ歌おうぜ 声が枯れても 体が壊れても 逢いたい人に逢えるその日まで たった一人で見つけた輝きを 信じるDAYS