2016年12月31日土曜日

2016.12.31



"わたしも花になって"レコ発ツアー
12.28 と12.29 どちらも新宿JAM
終えて12.7からのツアーも6本目が終了
これでオレの2016年のライブは終わった

2016年12月31日
昨年の大晦日にフロムTokyoでカウントダウンイベントをJAMでやってバンドは一度無くなり僕もステージに立つのをしばらく辞めた。
何故辞めたのか。結局それも上手くは伝えられないんだけど、、何の為にやっているのか、何の為に歌っているのか、何の為のバンドなのか、どうして音楽が好きなのか。根っこにある一番初めの部分。意味なんて無くていいじゃん、楽しければいいじゃん的なニュアンスで、上手く逃げれる人はいいんだけど、僕は自分でも把握出来ないくらい、勝手に自分を縛り込んでしまうみたいで、その自分は音楽をやる事、バンドをやる事の揺るぎない理由を欲しがってしまうんです。
結局それは「愛」でしかない。
「愛」のある事は意味に理由に近い気がした。

そもそも僕が音楽を好きになったのは14才でmr.childrenの「口笛」を聞いた時だ。音楽って「いいな」って初めてはっきりと実感した。
そしてGOING STEADYの「童貞ソーヤング」を聞いて、初めて音楽で泣きそうになる経験をした。あの時、僕もバンドやりたい、そう思った。

あの時聞いた優しい「口笛」のような詩を歌える、そんなバンドをやりたい、きっとそう思ったんだ。

僕は自分自身の音楽への愛を確かめたくて、一度ステージに立つのを辞めてみた。その間、ホントの事言うともう二度とステージに立たないのかもな、とも思った、何度も。バンドもやらないかもしれない。SNSやNETだけで配信したりする形で音楽やってみよっかなとか、いろんな事を考えた。サウンドクラウドに詩をアップしてみたりした。隣の部屋への音を気にしながら小さく歌ってみた。ダサい話だが再生回数を見て、あ、聞いてくれてるんだなーと、励まされた。
その延長でって訳じゃないけど、iPhoneで録った音源を欲しいと連絡くれた方に無料で送るってのをやってみた。僕は欲しいと言ってもらえた事がホントに嬉しくて、ホントにホントにありがとうと思った。

2016.7.29の新宿JAM ThreeQuestionsの少年の叫びというイベントからまたステージで歌いたい、そう思った。

そして、たくさんライブをした。
7ヶ月28日の日々を支えてくれた友達やイベンターとまたライブを通して再会出来る喜びを噛み締めた。

そのライブの日々の途中。
僕の人生でとても大きな事。
リンダリンダラバーソールを2016.10.1に復活させた。させたというかさせてもらった。
過去に言ってもらえた言葉。SNSで見かけた言葉。メンバーの存在。京の存在。リンラバを大切に思ってくれる自分を含めるたくさんの存在に後押しされ、復活させてもらったんだ。




僕は、フロムTokyoで、バンドで、東京で一番かっこいい存在になるという事を諦めないし、それしかない。

フロムTokyo、とはなんなのか。

僕は上京して間も無く、自分の全てを否定されるような出来事にあって、、その時に全てを失ったような気持ちになった。僕の存在は札幌にも、東京にも、どこにもいないような気がした。でもオレは今東京に住んでいて、確かに此処にだけ存在して、生きてる。ただただその存在証明をするしかないと思った。バンド名を決める時に、フロムTokyo、しか候補は無かった。今此処にいる事を証明するバンド名は、フロムTokyoが最高だと思った。

たくさん馬鹿にされた。
悔しかったが、当たり前だ、フロムTokyoってバンド名なら東京で一番カッコよくないと、ずっとダサいと感じた。
そんな日々のなかで、今でもフロムTokyoというな名前を支えているのが「レインマン」という詩と、見放題のDai-changがくれた言葉だ。
Dai-changは2014年の2月に出会った。見放題という大阪のサーキートイベントの福実行委員長だ。初めてあった大阪千日前の夜、札幌出身なのにフロムTokyoってなんかえーな、かっこえーやん、って言葉をくれて、フロムTokyoを見放題に出演させてくれた。そして「レインマン」を2014年見放題コンピCDの一曲目に抜擢してくれた。
見放題が終わって少し経った頃、Dai-changから電話が来た。
「佐々木泰雅VSササキタイガとか、なんかおもろいワンマンやってるみたいやね。見てるよ。今度ミナミホイールと見放題のコラボイベント、見な放題があるんだけど、泰雅出えへん?泰雅出てくれたらおもろいと思って。」

僕は食い気味で「出ます。」と答えた。
そして見な放題が終わった10日後にDai-changは亡くなった。
Dai-changはオレの背中を精一杯押して、押すだけ押して、そしてもう逢えなくなってしまった。
Dai-changはフロムTokyoというバンドや精神を全力で肯定してくれた。


_______


そして、それと同じくらい、リンダリンダラバーソールをやりたいと思った。リンダラバーソールでしか歌えない歌があった。それを二度と歌わない自分の人生は全然面白くないし、京とゆっちと外山君と音を鳴らすというのは、ホントに最高だ。それだけだ、と、言葉にしないのはずるいが、ホントに最高だ、の気持ちに尽きる。

どちらもかっこいいと思うし、面白いし、何よりこの世界に必要な音楽を放てる存在だと思うんで、好意を持ってくれるなら応援して欲しい。


僕は欲張りだと思う。でも、それしかない、のだ。
僕の音楽の仲間や友達になって欲しいと思った。

"わたしも花になって"レコ発ツアーの5本目 12.28のライブ後に話しかけてくれた対バンの奴らや、12.29のライブ中に見たあいつの目やそれを見て熱狂するお客さん、楽屋で話した言葉、電話の向こうのあいつの声や、、忘れてはいけない輝きが幾つもあって眩暈がしたが、僕は絶対誰よりもそれを見落とさない男になりたいと強く思った。
それがフロムTokyoとリンダリンダラバーソールのボーカル 佐々木泰雅なのだから。


2016年が終わる。
2017年はたくさんライブをして、たくさんの仲間や友達に巡り逢いたい。混沌とする時代の中、自分の信じるモノを武器に突き抜けて行きたい。そしてどんな時も何があっても、あの、優しい口笛のような詩、を歌うという事を忘れないでいたい。

"わたしも花になって"レコ発ツアー
まだまだ続く。

2017.1.6 北海道札幌moleにて
SAKE祭10にフロムTokyoとして、リンダリンダラバーソールとして出演する。やばすぎる夜だね。

そして2017.2.8 下北沢SHELTERでの但野正和(最終少女ひかさ)とのツーマン
これは絶対来て欲しい。約束する。絶対後悔させない。絶対来てくれ。


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ここまで書いて、そろそろラブ人間のケンジに逢いに行ってくる。

2016年、マジありがとうございました。
2017年、飛躍します。よろしくお願いします。

また。




2016年12月28日水曜日

12.18 午前4時


起床。まだ外は真っ暗で日の出前。
ツアーに必要な荷物を再確認し、4時半には家を出た。
まだ外は冷え切った真冬、東京。乾いた風が突き刺さるのを感じた。
いつもの京王新線に乗り込む。アコースティックギター、エレキギター、物販や着替えなどを入れたエフェクターケース。肩が千切れそうになりながら、心はワクワクしている。
新宿につき山手線で日暮里へ。京成線の改札で駅員さんに現在一番早く空港に着く電車を教えてくださいというとこれだよと10分後くらいのスカイライナーを教えてくれた。駅員のおじさんは優しい笑顔だった。
スカイライナーで成田空港第2ビルへ向かう。窓の外で日が昇りだしていた。

飛行機は無事新千歳につき乾いて冷えた空気が背筋をしゃんとさせた。


とわちゃんからメールが来ていた。富良野の駅まで迎えに行くよ。そんな内容だった。今この瞬間を大切にしている、気持ちが伝わった。
新千歳から札幌へ向かう中、何か考えていたけど忘れてしまった。いつも札幌に帰る時は決まって同じようなことを考えているんだけど、何を考えていたかは忘れてしまう。
札幌についた。久しぶりだ。何だろな、やっぱりオレの生まれた街だ、変わらない。
札幌バスターミナルから富良野への直通のバスが出ていて、バス停の列に並んだ。
バスが来て荷物を積んで椅子に座って眠った。
2時間半バスに揺られ、終点の富良野についた。富良野はいつぶりだろうか。
何年も前にリンラバと青空教室と武田組のえーすけさんと三組で富良野でライブをやった。
リンラバと青空教室は一緒に富良野へ向かった。楽しかったな、りょーちんがめっちゃ面白かった。青空教室がライブをして、オレらリンラバがライブをしている時に窓の外を見た時にふと映画みたいだなと思って、そして神様になりたいを歌った。打ち上げでめちゃくちゃ遊んだ。真夜中。どこか森の中の広場みたいなとこで、満天の星空の下、みんな全裸になって遊んだ。えーすけさんとあんな風に遊んだのは最初で最後かもしれない。それを見た時に、ふと、映画みたいだな、と思った。
それ以来の富良野。
富良野駅に着いて荷物を降ろし、ストーブであったまってると、清掃のおばちゃんが話しかけて来た。音楽やってるの??髪型でわかるよ。荷物いっぱいだから気をつけるんだよ。と優しい声をかけてくれた。久しぶりにそんな事言われたなーと思った。

少しして、とわちゃんが車で迎えに来てくれた。顔を合わすのは本当いつぶりかわからないけど、、とわちゃんはあまり変わらずにシャキッとして車を運転していた。懐かしい話と、今日の話を少しして、ライブ会場へ向かった。

入口が見えた時驚いた。
以前富良野でライブしたライブバーが改装され、別のお店になっていた。その場所が今日やるライブ会場Navoだった。こんな事あるんだなと、びっくりしながら店に入った。店長のタケさんにもその事を伝えると少し喜んでくれた。
Navoの中は秘密基地みたいでワクワクした。以前ライブした時とは少し雰囲気は変わってたけど、カウンターやその近辺の作り自体は一緒で、やはりいろんな事を思い出した。
とわちゃんとタケさんと手伝いに来ていたPAのタイチくん(名前間違ってたらごめん、、)と会場を作った。椅子の並べ方やテーブルの位置、お客さんから見たらどんな風な感じかなーとか、モニターここだと音うるさいかなーとか、物販ここなら買いやすいかなー、とかとか。そーこーしてるうちに、岩瀬敬吾さんが来た。緊張した。挨拶をしたら「佐々木君ね。よろしく」と。笑顔だった。
開場時間より早くお客さんが来ていた。

オレからライブが始まった。
"わたしも花になって"レコ発ツアー 富良野

1、July
2、under
3、神様になりたい
4、アーケードソング
5、レインマン

とわちゃんの大きな拍手が右耳に響いた。

2番手のShanghaiのヨシグチヒロユキさんのライブがマジでめっちゃ良かった。
敬吾さんが歌うのを一歩も動かずに見た。幸せな時間だった。

終演後、煙草スモーキーとのツアーで旭川に行った時にリンラバを見てくれてたゴトウくんという男の子に出逢った。同い年だった。

富良野の夜はとてつもない寒さだった。芯から凍てついていて己の魂が今どこにあるのかわかる程だった。

打ち上げを終えてタクシーで宿まで帰った。敬吾さんと部屋が隣だったのもあって、、泰雅一杯付き合えや、と言われ敬吾さんの部屋でアサヒスーパードライを飲んだ。夢のような時間。ふと、映画みたいだな、と思った。







12.19
朝9時に起きて部屋の窓の外を見ると、富良野は澄み渡る快晴だった。


チェックアウトの時間を少しオーバーしながら宿を後にし、札幌へ直通のバスが止まるバス停へ歩いた。
途中、女の人に呼び止められた。誰かと思ったらNavoにライブを見に来てくれていた女の方だった。何してるんですかー?と聞かれ事情を話すと、わたしたちも札幌に行くんです!乗っていっても大丈夫ですよ!との事だった。僕はまた事情を話し後ろ髪引かれながらもそれを断った。でも本当に嬉しかった。

久しぶりにそんな事言われたなーと思った。


またバスに揺られ札幌に戻ってきた。いい天気だった。
札幌から手稲に帰った。弟の奥さんと、とらじろうと、一歳になったばかりの華ちゃんが迎えに来てくれた。

実家につきとらじろうといろいろな遊びをして、気付いたらとらじろうの布団で眠っていた。日が落ちた後起きて、但野のワンマンで二曲を聞いて、京ちゃんに少し逢いに行って、カフェインのPAJAMARSのライブを一曲見て、その横のシーラカンススタジオでリンラバの練習を2時間やった。
新しい曲を詰める。鏡を見ながら今のオレたちをオレたちが見た。大人になった。
スタジオを出た瞬間、京も誕生日を迎えリンダリンダラバーソールは4人全員30才になった。
今のオレたちならどれだけの事が出来るんだろうと、少し寂しくて、でもたくさんの幸せな未来を想像してドキドキワクワクした。


翌日
12.20
昼までゆっくりと寝て、起きて2時間くらい練習してLOGに向かった。

上京してから初めてやるLOG。オレに今出来る事はなんなのか考えながら地下への階段を下りる途中、京のピアノが聞こえた。扉を開けずに少し聞いた。
おっすー、と軽くいつも通りの感じ。LOGはストーブの灯りに照らされて、でもまだ肌寒かった。不思議と3年以上の時間が流れたような気はしなかった。
オレがリハやってると長津さんがきた。本当に久しぶりだ、とその時思った。長津さんはおれがLOGに送った郵便物を手に持っていた。届いて良かった。ギリだ。

LOGの楽屋(物置)で今日のライブの事を考えてると、toitoitoiのまきさんと安全ピンのあずまの声が聞こえた。

オレからライブは始まった。
"わたしも花になって"レコ発ツアー 札幌

1、あなたは花になって
2、under
3、DAYS
4、君に彼氏が出来た夜
5、あなたのうた
6、WE ARE THE ROMAN'S
7、マイフレンズアンセム
8、レインマン
9、アーケードソング

本当に久しぶりの二曲。
MCで話したけど、その日僕にとって必要な二曲。
会場SEがmr.childrenのit's a wonderful worldだったのもすげー偶然だし、やっぱ京ちゃんすげーなと思った。

京のライブを途中から最前で見た。ピアノ上手いなーと思ったし、何より歌うまくなったなーと感じた。すげー良かった。

京のアンコールに呼ばれ、二人で神様になりたいをやった。オレらを見てくれてるみんなとLOGのステージに立ってる事、これはリンラバだという事。

ふと、映画みたいだな、と思った。

あきそばが来てくれた。あきそばは一時期ドラムでバンドをサポートしてくれた。SEXが嫌い、SEXが好き、の頃だ。
久しぶりにあったみんなと話すのは幸せだった。幼馴染のケンタがライブには間に合わなくても逢いに来てくれた。ケンタは小学生にあがる前からの仲でもう25年くらいの付き合いになる。お互いずっと音楽好きでいる。

但野がLOGに迎えに来てくれて、少しだけ撮影へ。この時の写真は近々発表。
5分だけでもじかんくれ!とオレは頼んでいたにも関わらず2時間くらい撮影は続いた。車で但野といろんな話をした。こんなに話したのは初めてだったけど不思議と自然だった。でもやっぱりオレはすげー嬉しかった。但野は最後笑っていた。またね、と別れた。

また京のところに戻りいろんな事を朝の7時まで話した。
札幌の朝は極寒だった。突き刺さるような寒さの中LOGに戻り荷物を持って実家に戻り、夕方には飛行機で東京に帰った。実家に帰るとか、東京に帰るとか、怒涛の日々の中、大切なモノがたくさんある時間が、確かに流れて過ぎ去って行く事を尊く感じた。



翌日
12.22
新宿JAM
ニュータウンの柳田の誕生日イベントにサブステで呼んでもらった。柳田も30才になった。楽屋で、もう、ドントトラストオーバーサーティー歌えないねー、と笑いながら福島と話した。

"わたしも花になって"レコ発ツアー 新宿

1、under
2、サンキューエレキギター
3、マイフレンズアンセム

サンキューエレキギターの時、ステージから柳田が見てくれてるのが見えた。
歌い終わった後、ずっとおれを見てるホストっぽいやついるなーとおもったらホノオミカのベースのすずなだった。すげー久しぶりに再会。元気そうだった。来年JAMで週4でライブやることになったんですー、、と苦笑いしていた。めちゃくちゃ元気そうだった。

ニュータウンの2人と話したくて打ち上げに出た。暗く嫌なヴァイブスが流れてもニュータウンの2人は優しかった。最高だなと感じて朝4時過ぎに1人で打ち上げを後にした。
アルプスを出たらそこは歌舞伎町のど真ん中だった、日は登り始めていて、ホストやホステス達の顔を青白く照らしていた。

12.26
下北沢BASEMENTBAR
東京来てから一番出演しているビーハプ。
会場入りして少ししたらAndareのメンバーが集まり出していて、リハ前に挨拶をした。
Andareのリハを見て少し泣いた。

2番手での出演
"わたしも花になって"レコ発ツアー 下北沢

1、あなたは花になって
2、under
3、マイフレンズアンセム
4、サンキューエレキギター
5、MrTokyoUnderGround

柱の横で国吉さんが聞いてくれてるのが見えた。
はいからさんの近田さんのライブがなまらよくて本当最高だった。
Andareのライブが始まった時に12.18からのいろいろとそれよりずっと前のいろいろが重なって全てが繋がっていきそうな気持ちがした。
東京という歌を初めて聞いた。曲を始める前の国吉さんのMC。渋谷のスクランブル交差点の話。オレは東京という街をまだ自分の街だなんて思えていない事、フロムTokyo、という名前を掲げるにはまだまだ小さい自分の事。あの日どんな気持ちで上京したっけとか。片道のチケットで乗った2013.5.1の飛行機の中、何を感じていたっけとか。Andareのライブは僕自身で救うことの出来なかった僕を救ってくれるような、そんなライブだった。

打ち上げで国吉さんの横に座り初めてちゃんと話した。僕はずっと泣きそうで、話したい事は一つも話せなかったな。
心の中でずっとずっとただただありがとうございますと言った。
守りたいものは果てし無く広がる、強くならなきゃ、でもそれよりも優しくなれたらな、と僕は思った。

気付いたらBASEMENTBARには誰も居なくなって、楽屋で片付けてる僕んとこに、こっけが来た。こっけは僕がステージに立つのを休んでいた時期にメールをくれた事があり、僕は今でもそれを感謝していた。

こっけんろーる解散するんすよー、、これからはソロでやってくんです。と。
こっけは少し寂しそうに、、でもたくさんの幸せな未来を想像して、ドキドキワクワクしているように僕には見えた。

Andareを聴きながら下北沢から歩いて帰った。



ふと、映画みたいだな、と思った。

2016年12月15日木曜日

2016.12.20 「死ぬまでドキドキワクワク」 奥山京についての話


16歳の4月に新学期が始まり、オレは奥山京っていう細い男と同じクラスになった。
京から見たオレの初めての印象は知らないけど、オレは細い人だなーと思っていた。その頃の京の髪形ってしばらくその後変わっていなかった気がする。
いつも教室の後ろでぴゅーと吹くジャガーを読んでいたような気がする。
京とちゃんと話すようになるのは、オレがいろいろ悩みだして孤独になっていた頃からだと思う。
ある日から一緒に帰るようになった。帰りの方向も一緒だったから一緒にスクールバスで帰った。
あの思い出のバス停で何十分も二人で待っていたんだろう。あの頃オレら何を話していただろう。忘れてしまったよ。
オレが経験した恋愛やどうしようもない事も、京はだいたいを知っているし見ている。京が経験した恋愛やどうしようもない事も、京がオレに思うようにオレも知っているつもり。わからんけど。

17才になった年の年末に初めてバンドを組んで札幌のサウンドクルー(もうなくなってしまった旧の方)でライブをした。バンド名は「さくらボーイス」、ゴーイングステディの「さくらの唄」から影響うけたの丸わかりだね。メンバーはボーカルギターがオレ。ギーターコーラスさとし。ベース千葉しょー。ドラムはゆっち(リンラバの)、曲はゴーイングステディ。
京は計5回やったさくらボーイズのライブを唯一5回全部見に来ていた。今思うと何でかわからないけど。京はいつもいた。

オレ達は高校を卒業した。

17歳は終わり、それぞれの道に進んだ。オレは専門学校へ。京は大学へ。
オレは専門に行きながらもバンドがどうしてもやりたくて、外山君とゆっちを誘い「ウンコワープ事件」を始めた。ウンコワープ事件は精力的に活動して、オリジナル曲でライブをするようにもなる。
ちなみに「ウンコワープ事件」というとても印象的な名前にスピリチュアルラウンジの店長新保さんが反応し、オファーの連絡をくれたのが僕らの大きな一歩だったと思う。今でも本当に感謝しています。その頃に京が一体どんな風に生きていたのか僕は知らない。

しばらくして京から連絡があり待ち合わせをして僕の車の中で話した。

「ウンコワープ事件にギターで加入させて欲しい」との事だった。白いダブルのライダースに白いボトムを合わせた良くわかんないファッションセンスでよくわからないバンド名のバンドに強い意志で加入を希望をしているのが伺えた。僕は少し考えさせて欲しいと伝えた。その話をゆっちと外山君
に話した。二人は京がギターをちゃんと弾けるのか、そこを気にしていた。案の定悪い予感は的中し、初めての4人のスタジオはひどいもんだった。次のスタジオまでに最低限弾けるようにと京に伝え、京はその瞬間から「ウンコワープ事件」のリードギターになった。

4人初めてのライブもスピリチュアルラウンジだった。
そして4人2回目のライブが「煙草スモーキー」という同世代のバンドの企画。この日に4人で出演した事がオレらにとって何か大きな一歩になった気がする。この日初めて「ハローエッチな女の子」を新曲として演奏。2008年の頃だ。京は煙草スモーキーのメンバーと仲良くて、その関係で煙草スモーキーと後に改名後リンダリンダラバーソールとして北海道ツアーもやった。このツアーで京はなんかの罰ゲームの罰で頭のてっぺんを剃られ河童になる。その後さすがに人間界で河童としては生きられないので僕が断髪し坊主にする。煙草スモーキーの長はそれを見て「シリアス坊主」と呼ぶ。京が行っていた大学のイベントに出たり、勝手に学校に侵入してPCで作業したりと大学にはかなり世話になった。


このペースで書いてくと日が昇るので少し割愛、、、。


4人で活動できなくなり3人になり、最終的にリンダリンダラバーソールは京とオレの二人になる。2011年の頃だ。一緒に東北にもツアーをし、衝撃的なモノをたくさん見た。
それから少ししてオレらはアルバムの録音を始める。「ぼくらの旗」14曲入りのフルアルバムだ。
そのレコ発として3デイズで企画をした。ザ・ラヂオカセッツと内藤重人を東京から呼んで。ホントに言葉にならない程素晴らしい3日間だった。そしてリンラバは解散した。

ここまで書いてて気づいたけどオレにとっての京の記憶って、オレの事なんだな。なんだそれって感じだけど。オレが一人東京行く寸前の路上から京は遠くで見守ってくれていたのだろうか。それともオレなんか嫌いになっただろうか。オレが京の事を思い出さない時も、誰かが「京が泰雅を思っているよ」と教えてくれたりすることが何度もあった。


今年の4月、下北沢で京と2人で呑んだ。
京は「JAMFESに二人で出ないかい?」と僕に言った。リンラバをやろう。ということだ。
僕はしっかりと受け止めしっかりと断った。ステージに立つのを辞めていた時期だったし、リンラバだけをJAMFESでやるのは出来ないと伝えた。京は少し寂しそうに笑っていた。そして「だよね」みたいな反応をしたような気がする。
「JAMFESでまた」と別れて僕はチャリで10分の自宅へ、京は札幌へ帰った。

京率いる奥山漂流歌劇団は今年のJAMFESの大トリだった。なかなかやるなと思えるライブだった。その何日か後に新宿Marbleで「アーケードソングフロムシンジュクマーブル」っていうやばいタイトルのイベントがあって僕は出来る限り気付かれないようにMarbleへ行った。その日の奥山漂流歌劇団はさらになかなかやるなというライブだった。オレは少しだけ「京に負けるかも知れない」と初めて思った。

それから少しして京からツーマンを札幌LOGでやろうと連絡が来た。
僕はすぐに承諾した。それは勝つか負けるかわからないギリギリの勝負が出来る奴だと思ったからだ。絶対伝説の夜になる。そう思った。
でも自分の30歳の誕生日にかぶせてくんのはホント意味わかんないけどね笑


いつからか魔法や奇跡のような出来事が起こる事を僕らは忘れてしまったけど、今からでも遅くない。またありえないような不思議な出来事が僕らに巻き起こるような、そんな夜にしたい。また心の底から嘘偽りなくドキドキワクワクしたい。そんな夜にしたい。


12.20札幌LOGに来てほしい。
オレが京に負けるかも知れない夜を見に来てほしい。
そしてただのクラスメイトのツーマンを見に来て欲しい。








2016年12月13日火曜日

"わたしも花になって"全曲解説。解説というか、、。


なんだかんだアルバムを作ろうと決めたのは2016年が夏になりかけの頃だったと思う。7.29にThreeQuestionsの少年の叫びに出る少し前くらい。あなたは花になって、と、under、という新しい曲があり、そこを中心に構成して行きました。ではでは、長くなりそうですが、1曲ずつ書いて行きますのでお付き合いよろしくお願いいたします。
はじまりはじまり~




1.MrTokyoUnderGround

自宅のアパートのすぐ横にゴルフの打ちっ放しがある。そこを右に見て自宅に帰る時に見上げた斜め上正面には、新宿の高層ビルが見える。それが夕方から夜にかけて赤い点滅が光っていて、上京したての頃はそれを睨むように家路についていた。右手のミュートを刻みながらの詩がまぁまぁむずくて、ソロで初めライブでやってからたくさんはやっていない。その後フロムTokyoでもやるようになる。きっとこの曲はバンドの曲なのかもなと思った。ただ作った時にバンドが鳴る事を一切イメージしていない。ちなみにここだけの話し、、冒頭の「奇しくも」という日本語の使い方について、オレは大きな誤解をしていた。。調べた所良く間違えられてるらしいが、、本来は「不思議なことに」「偶然にも」という意味。オレは完全に「悔しくも」や「惜しくも」という意味で冒頭で歌っている。ただ響きが好きなので敢えて訂正はしない、、笑。



2.under

歌詞で「under world響く渋谷」という箇所があるが、これはサマソニの宣伝で流れていたunder worldの音ではなく、自身のイヤホンから流れた音の方である。
Barbara Barbara we face a shining futureという新しいアルバムが今年発売された。3月くらいかな。アルバムタイトルはメンバーの父が、重い病により息を引き取る直前に、父のいない将来に不安がっていた母であるバーバラに対して言った言葉から引用したもの、というようなコメントが載っていて、中身も聞かずに購入。見事下半期のベストヘビロテアルバムになりました。ちなみに2016年一番聞いた曲はぶっちぎりでBallsのメルトサマー。うん。
、、話を戻します。underは結局under worldからの何か感化された思いで書いた曲では全然なくて。渋谷のタワレコに夜に良く行く機会があって、、たくさんの音楽を試聴機で聞いたりして、一体このCD達はこの先どこへ行くのだろう。音楽の形は触れないものへと変貌し、一体どんな風に自分に響くのだろう。そして、どうしてやっぱりCDが無くならないで欲しいのだろうと、深く考えていた事があります、今でも考えてますが。いずれ形を失くすであろうモノが触れるくらい強く温かく優しい精神や想いだったらなと、そんな願いが込もったりも実はしています。舞台は渋谷や新宿の底辺。自身が大好きな曲です。ちなみに仮タイトルは「under word」でした。




3.DAYS

「フロムTokyo2015」というイベントを2015.6.26に下北沢風知空知でやった際に、新曲として歌った詩。メロディや曲の芯みたいなもんは、遡ると上京資金稼ぎの深夜アルバイトの頃に培っていた。夜中3時にバイトを終えて、バイト先の屋上へスロープを歩いて登る。その道はいつも真っ暗闇で凍りついていて、その時に良く頭の中で流れていたメロディがDAYSの原型。Bメロの歌詞もその頃に大体は出来ていたけど、中々曲全体としてまとまらずに、ライブで歌うまでに時間がかかった詩。ちなみにまだどこか完成していなく、じりじりと足踏みしながら踏ん張っている様が歌詞と重なって、いつも良い意味で苦しい現状を実感させてくれる。8ビートでもバラードくらいゆっくりでも似合う曲。



4.わたしのこと

初めて出演しなかった今年のJAM FES。その開催寸前に作っていた曲。当初はタイトルがなかった。ずっと詩にしたい心の奥にある一番基盤になっていた想いがやっとメロディと一つになった感じ。タイトル通りオレそのものな一曲だと思います。大人になった今と幼い頃の記憶も交ざっていて、Aメロのメロディは父さんと初めてカラオケ行って、玉置浩二のメロディを一緒に歌った時の記憶が作り出した音。Bメロは祈り、サビの歌詞はもう過ぎていってしまったかつての僕を支えてくれたかけがえのない命について。この曲をsound cloudにあげて、すぐにラヂカセのヒデちゃんからメールが来たっけ。



5.アーケードソング

2012.12.14にリンダリンダラバーソールを解散してすぐに僕はソロで活動を始めた。同年の大晦日に狸小路で路上ライブをした。その時に3人の女の子が2時間も極寒の中、毛布に包まりながらずっと聞いてくれた。確か一曲目はチャットモンチーの恋愛スピリッツ。それから毎週月曜日に上京するまで一度も欠かさず路上をやった。その最終日。僕は5曲入りの音源を50枚作って路上ライブをしたら全部無くなっても足りないくらいたくさん人が駆けつけてくれた。ひかさのギターのシュンキも間に合わなくても駆けつけてくれたり、あいつが遠くで見てくれてたり、ホントたくさんいたな。それが2013.4.29でその翌日にオレはある男から呼び出されて再度狸小路二丁目へ向かった。そいつは12月革命と、もう一曲新曲を歌ってくれて、オレはその曲を札幌在住時に聞く最後の音楽にした。飛行機が東京について聞いた詩はmr.childrenの名もなき詩。この曲が出来たのは確か上京した年の11月くらいかな。iPhoneにはゴミ箱っていうPCの機能があり、消えたと思っていたあいつやあいつからのエールがゴミ箱の底にあったのを見つけたとこから始まった詩。



6.July

フロムTokyoで半年間ギターを弾いてくれたヨッシーは半年間僕と同居していた。2014年の夏の頃だ。人生初のライブハウスでのワンマンを開催したあたりの時期かな。ヨッシーには地元にいる頃からギターを教えてもらって来た。あいつはホントに良いギタリストだと僕は今でも思っている。サラバーズの夏の夜?って曲だっけな。。すごくいい詩があって、それを聞いてすぐにギターを弾いてメロディを作った。ある日作りかけのそのメロディを家で弾いてると、ふとヨッシーが、次の新曲それでいいんちゃう?と言ってくれたのがきっかけ。初めてバンドで合わせた時はとてもゆっくりなバラードだったが自然と熱を帯びたアップテンポな曲になり、最終的にまたゆっくりになった曲。僕の曲の中では珍しく歌詞に自我を出来る限り込めないよう作った曲。なので自然と湧き上がる気持ちが曲を彩ってくれるので、ずっと歌える詩だなーと感じてます。初めてスタジオで合わせた日が1.9で個人的に想いがたくさん詰まった曲。ちなみにJulyとは七月の意味。



7.あなたは花になって

この曲の歴史は実は古く、上京前のソロ活動に遡ります。サビの頭のメロディはリンラバをやっている頃から既にあり、しっかり完成させたのはリンラバを解散してから。同タイトルで解散翌年の1月に、まりんちゃんという女の子の企画で披露。ただその時はAメロの歌詞もメロディも全体的な雰囲気も全然違う曲。でもサビのあなたは花になってわたしの血に咲いた 花びらみたいになって綺麗に散ってしまっても のメロディラインはその頃と一緒。いつかまた必ず生まれ変わって良い曲になると信じていて、やっと今書ける歌詞と出逢って一つになってくれた曲。この曲を聞いて欲しくてアルバムを作りたいと思ったくらいです。ボロボロになった友人へ、その勇気を讃えて花を渡せるような、砕け散った情熱と輝きに敬意を払えるような、そんな人間でありたいという思いが込もった詩。



8.マイフレンズアンセム

アルバムのレコーディングが始まるか始まらないかの時期に一人で良くスタジオに入っていた。その時に何の気なしに歌ったメロディラインがきっかけで生まれた曲。歌詞はなんだかんだレコーディングする前日、いや当日の早朝に完成。録り終えた音をエンジニアの平崎さんと聞いている時、あまりにも歌詞が自分に響き過ぎて泣くのを我慢していた。僕としては珍しく途中転調がある曲。メロディはあくまでPOPソングなのですが、歌詞には佐々木泰雅らしさを詰めれるだけ詰めた命の詩。ライブでやっている一番新しい曲であり、今一番好きな詩。それはとても幸せな事だなと感じてます。ラストの 眼下に広がった希望の海 という歌詞から、そのまま頭のMrTokyoUnderGroundを繋いで聞くと、この作品がアルバムだという事がわかるのではないかと思います。結局歌いたい事は「生きる」事と「死ぬ」事だけだなと思いました。





、、、長くなりましたが、以上です。
どうか優しく響くかけがえのない音楽の一つになれますように。

2016年12月12日月曜日

但野正和(最終少女ひかさ)2017.2.8 下北沢SHELTERの対戦相手について



確か札幌のスピリチュアルラウンジだと思うんだ。

但野は今程髪は長くなかったはず。その時の但野のバンド名は覚えてないけど、もしかしたら今と同じだったかも。ライブを二曲くらい見て楽屋に戻って来た但野とホントにちょっとだけ話した気がする。そん時に同い年って事知った。そん時オレはリンダリンダラバーソールってバンドをケイ(奥山漂流歌劇団)と2人編成でやっていたはず。オレよりも但野はケイと仲良かった。そのあとに共演したのが、ケイが長い事やっていた「ティティの音楽祭」というイベントだった。場所はLOG。但野と、堀木君とリンラバとあと何組かで。但野はキリストって曲をやっていて、あの曲いいねってオレは但野に伝えた。
んで、その後に対バンした記憶ではっきり覚えてるのが、2013年の2月にアサトがLOGに歌いに来た時だ。オレは上京するまで毎週月曜日に狸小路2丁目で路上をやると決めていた。その日が月曜日だった。自分の出番が終わって、ホントありえないんだけど早々と1人狸小路2丁目に歌いに行った。んで路上が終わって、LOGにまた戻った。もちろんLOGでのイベントは終わっていて、白シャツに絵の具が塗られた服を着た但野がソファーに少しシャイな感じで座っていた。そこでオレらは何か話したんたけど、なんだったっけな。忘れてしまった。

そしてオレは1人上京した。
リンラバが解散した2012年の12月、但野がブログにこんな事書いてるよーとケイが教えてくれた。そこには「解散したら伝説になってしまうじゃないか。ギャフンと言わせたかったのに。」みたいな内容が書いていて。そうか。もうしばらく一緒に対バンする事もないのかもな、とその時は思った。
その後、オレはフロムTokyoというバンドを東京で始めて、初めての企画に「最終少女ひかさ」を呼んだ。誘わせてもらったバンド全てに、あなたにとってロックとは?という質問に答えてもらう動画を企画前に作っていて、ひかさは札幌だったから動画撮って送ってと但野にお願いしたら「これがオレらの限界です」という言葉と一緒に動画が送られて来た。動画内で喋っていたのはほとんどがギターのシュンキだった。
それからも東京ではソロ同士で何度か共演した。でもいつもそんなにたくさん話す仲ではなかった。
2013年の9月に吉祥寺でインデペンデンスデイというサーキットイベントがあった。毎年やってるんだけど、オレは来年は出たいなと思って、でもやれることは会場をまわって手書きのフライヤーを配る事くらいだった。2014年にフロムTokyoでの出演が叶ってシルバーエレファントでライブをした。トップバッターだったかな。そのあとに時間置いてひかさがシルエレでライブしてるのを初めから見た。そして豊平川って曲くらいで見るのを辞めて外に出て、最後の曲でシルエレに戻った。但野はお客さんに肩車されながら会場の外に出て来ていた。上裸だった。
着替えてシルエレから出て来た但野を呼んで、ホントにカッコよかった、負けたよ。と伝えた。あいつはあいつらしい言葉で返答をくれた。
その数ヶ月前に確か大阪の見放題でも一緒だった。そん時もあいつらしい言葉で声をかけてくれた。打ち上げには出ないと言ってた。
その後はフロムTokyoでギターのヨッシーが最後のライブ、下北のGARDENかな。キラキラって曲がめちゃくちゃ良かったのを覚えてる。

それ以来たぶんまともに話してない。
っていうか一度もまともに話してなかったかもしれない。この前電話をした時に、ふと、こいつこんな声してんだなーと思ったりした。



確か札幌のスピリチュアルラウンジだったと思うんだ。


あれからどれくらい変わってしまったのかわからないけど、やっと2人きりで楽屋でまともに話せる日が来るんだなと思うと溢れるモノがオレにはある。ホントにいろんな事を感じて来た。あいつが今何を思い一緒にやってくれんのかは知らないけど、オレは始めからタイトルを「マイフレンズアンセム」と名付ける事を決めていた。"わたしも花になって"の最後の曲のタイトルだ。


よろしく頼むぜ但野。
オレをギャフンと言わせてみろよ。

WE ARE THE ROMAN'S(2016.12.7)


当日はよく晴れていた気がする。
14時頃に家を出て、14:50頃には下北沢について風知空知へ昇るエレベーターのスイッチを押した。スタッフの顔ぶれはいつも通りで、僕を優しく迎え入れてくれた。
初めに風知空知の斉藤さんに当日発売のアルバムを渡した。斉藤さんは間に合ったんだねーありがとう。と言っていた。一人で裏の出演者スペースでコーヒーを飲んだ。外はよく晴れていて、午後の下北沢の爽やかな陽気が風知空知に差し込んでいた。
少ししてリハをやろうと準備を始めたくらいで重さんが来た。挨拶をしたのと同時に背筋が伸びるのを感じた。2013年の6.26に上京したての僕を迎え入れてくれるイベントとして重さんが初め企画してくれた。タイトルは泰雅が決めていいよと言われて「フロムTokyo」にした。まだバンドを東京で始める前の話だ。その後「フロムTokyo2014」、「フロムTokyo2015」とイベントは毎年6.26に僕が開催する形で続いた。重さんが生んでくれた一日を僕なりに育ててみた。ただ今年は僕がステージに立つのを辞めていた事もあり6.26にイベントをやることができなかった。でも毎年やっていたこのイベントの事はずっと心の中にあって、だから、2016の最後にこの日が来て良かったなと思ったのと同時に、何とも言えない責任を感じた。それは周りのあらゆるモノを、また巻き込んでゆく事の覚悟を確かめさせられるモノだった。
重さんがリハ終えるくらいで、充が来た。毎年やってきたイベントに今回初めて誘わせてもらったハートたちの秋村充は、京都から来た同い年のバンドマン。僕がステージに立つのを辞めていた時期に一番傍にた友達で「サンキューエレキギター」という曲を録音してくれた人。僕はその事を本当に感謝していたし、今年は一緒にやりたかった。そのあとにペン、ヒデちゃん、アサトという順で、みんなリハ時間ギリギリに風知空知にやってきた。僕の背筋はさらに伸びて、本当にこの日がまた来たんだな、という実感を噛みしめていた。そういや初めて開催した2013.6.26は出番直前でボイガルのシンゴからメールが来ててそれをみんなで見たなーとか、あん時はホントに凄い気持ちを抱えていてギリギリだったなーとか、なんかたくさん思い出した。オレは東京に住んでるんだなーと改めて思った。ここは今下北沢なんだなーと。少し自分の街に思えるようになってる事に気づいた。オープンを待つまでの時間にヒデちゃんと森山直太朗の話をした。「どこもかしこも駐車場」がめっちゃ良いよねって話。

みんなのライブはとことん自由だった。ライブ始まって1時間くらいでゆうせいからのタクヤから、今日行きますというメールが来た。タクヤは20歳頃に別バンド同士で地元札幌で出会っていてもう長い付き合いだ。だからまた見たいと思ってもらえたのが嬉しかった。
自分のライブは少し力の入ったライブだった。でも昨年の6.26とは違う質感のライブ、ちゃんと出来たと思う。
しゅんぺいが最前で見てくれて、アンコールもらった時に、何歌うか決まってなかったけど、咄嗟に俺らが一番最後に作った新曲を歌おうと思った。

CDもたくさん買ってくれて本当にありがとうございました。1曲ずつのセルフ解説をしたいので、後程またブログに書きます。”わたしも花になって”は良いアルバムです。自身が好きなのでこれを持って胸を張ってツアーに行って来ます。最終日の2017.2.8には下北沢SHELTERで最終少女ひかさの「但野正和」とツーマンが決定。これについてもまたブログ書きます。

終演後にモトヨシ君が来てくれた。彼は今は雨先案内人のドラム。自分と一緒にやっていた人が自分の好きなバンドに入るのは嬉しいなと思った。そのあと、リンラバの解散ツアーを撮影してくれたユリが顔を出してくれた。ユリは誰よりも真っ直ぐに「リリースおめでとう」と言ってくれて、それが素直に嬉しかった。

そのあとは朝8時までアサトに絡まれて、最終的に松屋でご飯食べてバイバイ。

このイベントはおれにとってとても意味のあるイベントだし、今回タイトルを「フロムTokyo」から「フロムTokyo」がやってきたイベント名「WE ARE THE ROMAN'S」に変えたのも大きかった。
僕はまたひとつ覚悟が出来たんだと思う。それはもっともっとこの街を自分の街だと思えるようにすることと、「フロムTokyo」という名前をかっこよくすることだ。バンドでもやりたいとやっとまた思えるようになってきた。動いていきたい。その前に但野をぶっ倒してからだけど。

来てくれた皆さん、改めてホントにありがとうございました。
こんなイベントをまた出来るように。
こんなイベントをやらなくてもよいように。

精一杯またやっていきます。

2016年12月1日木曜日

08 マイフレンズアンセム


マイフレンズアンセム

眼下に広がった暗黒の海
遥かに遠ざかった一筋の光
震える足を踏み出す舵を
オレたちやがて死んでしまうさ
それなら今を生きてやるさ
ここまで来れた日々の
軌跡の証明に

一人で逝くのですね
どうか元気でいて
振り向くことなかれ
その道険しい限り

叶わない願いが届かない祈りが
この胸を幾千と叩く時
金にならない詩で
始まりの鐘を鳴らして
燃え尽きた「灰」を集めて燃やす
マイフレンズアンセムソング

段階別の痛みの色
犯罪的な縛りでテロ
全てはIと愛の戦争
焦げ付いた暁 滲んだ性
澄んだ目をして住んだ東京
未だ聞こえるエール
1986

一人で逝くのなら
全てを手に入れろ
老いて朽ち果てても
屍越えて羽ばたいて

誰も知らない場所で
誰も知らない時に
誰かを求めた声が鳴り響く
たった一人の夜に
誰にも出来ない何かを
成し遂げるお前のそばにいる
マイフレンズアンセムソング

これがオレの最高
ここがオレの限界
フルテンの光の闇で
爆音の静寂の声で
お前を呼ぶよ

たったひとつの言葉
たったひとつのメロディー
オレと君を繋ぎ止めるワンフレーズ
生み出す為の記憶を生み出す為の明日を
擦り減った踵で駆け抜けてく
叶わない願いが届かない祈りが
この胸を幾千と叩くから
金にならない詩が
本当の糧を見つけて
燃え尽きた「胚」を何度も燃やす
マイフレンズアンセムソング

眼下に広がった希望の海

07 あなたは花になって


あなたは花になって

例えば君が傷付いてくじけても
夢が果てなく叶わないと知っても
わたしの心の中で笑っていてね
約束よ STAND BY ME

あなたは花になって
わたしの血に咲いた
花びらみたいに舞って
綺麗に散ってしまっても
BABYいつも心であなたを感じているよフレンズ
チャーミングな顔で笑って

愛する人より強く手を繋いで
獣のように鼓動を晒して
心は光るあなたの星のそばよ
ぐるぐると STAND BY YOU

悲しみ歌になって
わたしの血になった
花びらみたいになんて
綺麗になれなかったけど
BABY 涙は祈り 慟哭を叫び夜の先に
チャーミングな歌を届けるから
そして
わたしも花になって
あなたの血に咲くわ
命を燃やし続けて
いつか枯れ果てるその時も
BABY強く心で わたしを感じていてねフレンズ
チャーミングな顔で笑うから

06 July


July

飛行船の背中に
飛び乗って旅に出たんだ
北から南へと
青い風の音鳴る国へと

機能性の優先に
取り組んで街は変わった
ピカから未来へと
青い風の音鳴る国へと

私は今日も稲穂と揺れる
額縁の中 香りふわり
いつかは消えてしまう事さえ
忘れさせてくれたJuly

飛行船の背中に
飛び乗って旅は続いた
悪魔の森を抜け
渡り鳥の羽鳴る国へと

私は今日も夕凪通り
茜色の空にゆらり
いつか大人になる事さえも
忘れさせてくれたJuly

05 アーケードソング


アーケードソング

最近めっきりあいつと
話していなかったなって
あいつって誰かと思ったら
オレの事だったよ
寂しいはずなのに
強がっているから
面倒くさくなって
ほうっておいたんだ

最近めっきりあいつと
遊んでいなかったなって
あいつって誰かと思ったら
オレの事だったよ
誘って欲しそうなのに
孤独を気取りやがるから
面倒くさくなって
ほうっておいたんだ

本当はそんなに全然
優しくなんかないって
誰かに言いたいのに
誰にも言えないでいる
本当はあなたにもっと
優しくなれたらなぁ
変わりたいはずなのに
変われないでいるんだ

もう2度と逢えない人
いつかまた巡り逢えたらな
僕は忘れない
僕の声は忘れない
生まれたあの街へ
いつか歌いに帰るから
その日まで僕を
忘れないでね
人気のない大晦日の
狸小路商店街の詩を

最近めっきりあいつと
逢わなくなったなって
あいつって誰かと思ったら
お前の事だよ
生活や仕事に追われて
メールの返事も出来ないかい
オレお前にライブ告知を
し続けてやるからな
でも返事はいらない

僕 東京の街で
元気に暮らしているからさ
僕は大丈夫
君は大丈夫かい
生まれたあの街が
少し悲しい色に見えても
君を思い出すと
鮮やかに蘇るんだ
僕しか知らない
「転がる石のような歌」が今も響いてる

アーケードソング

何もかも失くなったと
思った夜もあったけど
ゴミ箱の奥の方から
君からの手紙が出てきたよ
ちゃんとご飯は食べてるかい
痩せたりはしていないかい
風には気を付けなよ
喉は大事にしなよ
オレは大丈夫だから
お前の心配でもしてろよ
オレは2013年4月29日のまんまさ
生まれたあの街へ
いつか歌いに帰るから
どうかその日まで
僕を忘れないで

アーケードソング

04 わたしのこと


わたしのこと

あの日を思い出す
真っ白な骨になって7月の空に
舞う雪のような
あなたを思った夜

あなたにもう一度逢いたい
一目でいいから逢いたい
通り過ぎたふりをして
背中向けた

「そばにいて欲しい」
泣いてくれた
あなたがすべてを
抱きしめていて
くれたから
わたしどこにでも行けた事
嬉しい寂しいぼんやり
胸、灯る明かり
幸せで泣きたい

あの日の少年は
小さな部屋の中で
掌ばかりを見つめてこんな街で
綺麗に生きていたい

君にもう二度と逢えない
こんな気持ちは歌えない
通り過ぎたふりをして
わたしだけがそこにいる

「愛するものが多過ぎて
飛び立てないなら
振り切る事の切なさも
君を思うが故だ」と
歌ってくれた、泣いてくれた
あなたが全てを
与えてくれて
わたしの命の
中で生きていてくれる事
嬉しい寂しいこんなに
胸、灯る明かり
幸せで泣きたい

03 DAYS


DAYS

暗い坂を登る
どれくらい行けば辿り着けるだろう
あの丘の向こうに希望の光が
あると信じて今夜も地を這う

深い穴を進む
どれくらい行けば辿り着けるだろう
あの闇の向こうに希望の光が
あると信じて今夜も地を這う

左手に満月を
右手に太陽を
純血とは直線と曲線の交差点

さぁ行こうぜ
闇を切り裂いて
踵を鳴らして
憂鬱を振り払って
歌を歌って
たった一人で見つけた答えを
信じるDAYS

永遠に逢わなくてもいい
別れなどあるはずもなく
思い出して振り返ってばかり
後悔ばかり
それでも今を信じる力と
勇気をくれた君を信じてみたい

左手に砂漠を
右手に愛しさを
自由とは記憶の中だけにあるのか
今この瞬間か
まだわからない

さぁ行こうぜ
大好きな詩を
裏切ったとしても
全てが嘘になってしまっても
消えてくれなかったオレたちの命の詩

さぁ歌おうぜ
声が枯れても
体が壊れても
逢いたい人に逢えるその日まで
たった一人で見つけた輝きを
信じるDAYS