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WE ARE THE ROMAN'S(2016.12.7)


当日はよく晴れていた気がする。
14時頃に家を出て、14:50頃には下北沢について風知空知へ昇るエレベーターのスイッチを押した。スタッフの顔ぶれはいつも通りで、僕を優しく迎え入れてくれた。
初めに風知空知の斉藤さんに当日発売のアルバムを渡した。斉藤さんは間に合ったんだねーありがとう。と言っていた。一人で裏の出演者スペースでコーヒーを飲んだ。外はよく晴れていて、午後の下北沢の爽やかな陽気が風知空知に差し込んでいた。
少ししてリハをやろうと準備を始めたくらいで重さんが来た。挨拶をしたのと同時に背筋が伸びるのを感じた。2013年の6.26に上京したての僕を迎え入れてくれるイベントとして重さんが初め企画してくれた。タイトルは泰雅が決めていいよと言われて「フロムTokyo」にした。まだバンドを東京で始める前の話だ。その後「フロムTokyo2014」、「フロムTokyo2015」とイベントは毎年6.26に僕が開催する形で続いた。重さんが生んでくれた一日を僕なりに育ててみた。ただ今年は僕がステージに立つのを辞めていた事もあり6.26にイベントをやることができなかった。でも毎年やっていたこのイベントの事はずっと心の中にあって、だから、2016の最後にこの日が来て良かったなと思ったのと同時に、何とも言えない責任を感じた。それは周りのあらゆるモノを、また巻き込んでゆく事の覚悟を確かめさせられるモノだった。
重さんがリハ終えるくらいで、充が来た。毎年やってきたイベントに今回初めて誘わせてもらったハートたちの秋村充は、京都から来た同い年のバンドマン。僕がステージに立つのを辞めていた時期に一番傍にた友達で「サンキューエレキギター」という曲を録音してくれた人。僕はその事を本当に感謝していたし、今年は一緒にやりたかった。そのあとにペン、ヒデちゃん、アサトという順で、みんなリハ時間ギリギリに風知空知にやってきた。僕の背筋はさらに伸びて、本当にこの日がまた来たんだな、という実感を噛みしめていた。そういや初めて開催した2013.6.26は出番直前でボイガルのシンゴからメールが来ててそれをみんなで見たなーとか、あん時はホントに凄い気持ちを抱えていてギリギリだったなーとか、なんかたくさん思い出した。オレは東京に住んでるんだなーと改めて思った。ここは今下北沢なんだなーと。少し自分の街に思えるようになってる事に気づいた。オープンを待つまでの時間にヒデちゃんと森山直太朗の話をした。「どこもかしこも駐車場」がめっちゃ良いよねって話。

みんなのライブはとことん自由だった。ライブ始まって1時間くらいでゆうせいからのタクヤから、今日行きますというメールが来た。タクヤは20歳頃に別バンド同士で地元札幌で出会っていてもう長い付き合いだ。だからまた見たいと思ってもらえたのが嬉しかった。
自分のライブは少し力の入ったライブだった。でも昨年の6.26とは違う質感のライブ、ちゃんと出来たと思う。
しゅんぺいが最前で見てくれて、アンコールもらった時に、何歌うか決まってなかったけど、咄嗟に俺らが一番最後に作った新曲を歌おうと思った。

CDもたくさん買ってくれて本当にありがとうございました。1曲ずつのセルフ解説をしたいので、後程またブログに書きます。”わたしも花になって”は良いアルバムです。自身が好きなのでこれを持って胸を張ってツアーに行って来ます。最終日の2017.2.8には下北沢SHELTERで最終少女ひかさの「但野正和」とツーマンが決定。これについてもまたブログ書きます。

終演後にモトヨシ君が来てくれた。彼は今は雨先案内人のドラム。自分と一緒にやっていた人が自分の好きなバンドに入るのは嬉しいなと思った。そのあと、リンラバの解散ツアーを撮影してくれたユリが顔を出してくれた。ユリは誰よりも真っ直ぐに「リリースおめでとう」と言ってくれて、それが素直に嬉しかった。

そのあとは朝8時までアサトに絡まれて、最終的に松屋でご飯食べてバイバイ。

このイベントはおれにとってとても意味のあるイベントだし、今回タイトルを「フロムTokyo」から「フロムTokyo」がやってきたイベント名「WE ARE THE ROMAN'S」に変えたのも大きかった。
僕はまたひとつ覚悟が出来たんだと思う。それはもっともっとこの街を自分の街だと思えるようにすることと、「フロムTokyo」という名前をかっこよくすることだ。バンドでもやりたいとやっとまた思えるようになってきた。動いていきたい。その前に但野をぶっ倒してからだけど。

来てくれた皆さん、改めてホントにありがとうございました。
こんなイベントをまた出来るように。
こんなイベントをやらなくてもよいように。

精一杯またやっていきます。

コメント

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