2016年12月12日月曜日

但野正和(最終少女ひかさ)2017.2.8 下北沢SHELTERの対戦相手について



確か札幌のスピリチュアルラウンジだと思うんだ。

但野は今程髪は長くなかったはず。その時の但野のバンド名は覚えてないけど、もしかしたら今と同じだったかも。ライブを二曲くらい見て楽屋に戻って来た但野とホントにちょっとだけ話した気がする。そん時に同い年って事知った。そん時オレはリンダリンダラバーソールってバンドをケイ(奥山漂流歌劇団)と2人編成でやっていたはず。オレよりも但野はケイと仲良かった。そのあとに共演したのが、ケイが長い事やっていた「ティティの音楽祭」というイベントだった。場所はLOG。但野と、堀木君とリンラバとあと何組かで。但野はキリストって曲をやっていて、あの曲いいねってオレは但野に伝えた。
んで、その後に対バンした記憶ではっきり覚えてるのが、2013年の2月にアサトがLOGに歌いに来た時だ。オレは上京するまで毎週月曜日に狸小路2丁目で路上をやると決めていた。その日が月曜日だった。自分の出番が終わって、ホントありえないんだけど早々と1人狸小路2丁目に歌いに行った。んで路上が終わって、LOGにまた戻った。もちろんLOGでのイベントは終わっていて、白シャツに絵の具が塗られた服を着た但野がソファーに少しシャイな感じで座っていた。そこでオレらは何か話したんたけど、なんだったっけな。忘れてしまった。

そしてオレは1人上京した。
リンラバが解散した2012年の12月、但野がブログにこんな事書いてるよーとケイが教えてくれた。そこには「解散したら伝説になってしまうじゃないか。ギャフンと言わせたかったのに。」みたいな内容が書いていて。そうか。もうしばらく一緒に対バンする事もないのかもな、とその時は思った。
その後、オレはフロムTokyoというバンドを東京で始めて、初めての企画に「最終少女ひかさ」を呼んだ。誘わせてもらったバンド全てに、あなたにとってロックとは?という質問に答えてもらう動画を企画前に作っていて、ひかさは札幌だったから動画撮って送ってと但野にお願いしたら「これがオレらの限界です」という言葉と一緒に動画が送られて来た。動画内で喋っていたのはほとんどがギターのシュンキだった。
それからも東京ではソロ同士で何度か共演した。でもいつもそんなにたくさん話す仲ではなかった。
2013年の9月に吉祥寺でインデペンデンスデイというサーキットイベントがあった。毎年やってるんだけど、オレは来年は出たいなと思って、でもやれることは会場をまわって手書きのフライヤーを配る事くらいだった。2014年にフロムTokyoでの出演が叶ってシルバーエレファントでライブをした。トップバッターだったかな。そのあとに時間置いてひかさがシルエレでライブしてるのを初めから見た。そして豊平川って曲くらいで見るのを辞めて外に出て、最後の曲でシルエレに戻った。但野はお客さんに肩車されながら会場の外に出て来ていた。上裸だった。
着替えてシルエレから出て来た但野を呼んで、ホントにカッコよかった、負けたよ。と伝えた。あいつはあいつらしい言葉で返答をくれた。
その数ヶ月前に確か大阪の見放題でも一緒だった。そん時もあいつらしい言葉で声をかけてくれた。打ち上げには出ないと言ってた。
その後はフロムTokyoでギターのヨッシーが最後のライブ、下北のGARDENかな。キラキラって曲がめちゃくちゃ良かったのを覚えてる。

それ以来たぶんまともに話してない。
っていうか一度もまともに話してなかったかもしれない。この前電話をした時に、ふと、こいつこんな声してんだなーと思ったりした。



確か札幌のスピリチュアルラウンジだったと思うんだ。


あれからどれくらい変わってしまったのかわからないけど、やっと2人きりで楽屋でまともに話せる日が来るんだなと思うと溢れるモノがオレにはある。ホントにいろんな事を感じて来た。あいつが今何を思い一緒にやってくれんのかは知らないけど、オレは始めからタイトルを「マイフレンズアンセム」と名付ける事を決めていた。"わたしも花になって"の最後の曲のタイトルだ。


よろしく頼むぜ但野。
オレをギャフンと言わせてみろよ。

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