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⑭msr

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  "2025年、mind soundへの旅” 2025年が始まり、1/9東新宿LOVE TKO、1/15阿佐ヶ谷ロンサム、1/24豪徳寺リーフルームと歌い、いよいよ2月1日の渋谷ラママでのワンマンにたどり着いた。この日々を綴ってきたブログは一旦これがラスト。読んでくれてる方がいるなら、ありがとう。これから今年の2月1日の事書いていく。 ワンマンでは、3曲のバンド演奏、レコードの発売、今日の手紙の展示、という事を試みた。 3曲のバンド演奏をやるにあたり、ドラムに大谷ペン(ザ・ラヂオカセッツ)、ベースにヨシヒロシュンペイ、キーボードに内藤重人を呼んだ。2013年の上京したての頃に声をかけて集まってくれたメンバーと同じだ。超太郎にも連絡したが、タイミングよく連絡が取れなかった、ここでは正直に書くが、とても本当は一緒にやりたかった。スタジオは2時間くらいの練習で十分なくらい、特に言うこともなく、良い演奏の準備が出来た。あとは自分が頑張ればいい。 レコードを発売するにあたって、色々と考えなくてはいけない事があった。まずなぜレコードかというと、制作の過程を経験したかった、というのが実は理由の一番にあった。そしていつかレーベルというものの機能を自分に持たせたいと思った事もあり、そのレーベルの語源をたどると、レコードの中心にある「アーティスト名」や「曲名」を記載した「ラベル」からきてる事を知り、尚更、まずはレコードだなと思えた。しかし、アナログレコードをまず作成出来る会社がそんなには無く、かつ金銭的な事などを考えたりすると、プレスする余裕はなく、どうしようと思っていたところ、大分に、一枚から作成出来る会社を見つけた。職人のダイレクトカッティングで作成するダブプレートと呼ばれるそれは、60年代のレゲエシーンに由来を持つ。「サウンドクラッシュ」と言われ、自分たちの音源を爆音でスピーカーで鳴らし合うスピード感が大事なそのバトルにおいて、プレスしてる暇はなくかつローコストで作成できるところからダブプレートという手法が重宝されていたとの事で、まさに自分の置かれてる状況下に近いものがあり、これだと決めて、3枚だけ制作を依頼した。 レコードが自宅に届き、再生した時は流石に感動して、ずっと眺めていた。 ここでは正直に書くが、それでも一枚あたり1万円程の制作費がかかる(枚数が増えれば単価...

⑬PS

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  2024年の12月25日、阿佐ヶ谷ロンサムでライブ。 ”2025年、mind soundへの旅”と名付けたツアーのような日々も2024年の最後にたどり着いていた。このブログを読んでいる数少ないあなたは気付いたかもしれないが、僕は2025年の大晦日に1年前のクリスマスのブログを書いている。意味分からないかもしれないが、これがやりたいのだ。時間が出来る度、短くても良いから、この日々をどんなに時間がかかっても残そうと決めていて、気づいたら2025年が終わる。毎ライブではないにしろ、「今日の手紙」という形でライブに対する思いを書いた文章が手元にあるおかげで、1年前の事でもぼんやりだが思い出す事が出来る。この日の「今日の手紙」もいつも通り、阿佐ヶ谷駅のロータリー前の広場でオープンからスタートの間に書いた。石で出来たベンチのようなところに座っているとカップルや子供連れの家族が、僕の方へ携帯を向けているから、何かと思えば、僕の後ろにイルミネーションがあったのだ。そうか、クリスマスか、とそこで思い出し、僕は冷たくなったお尻をさすりながら手紙を印刷する為にセブンイレブンへまっすぐ歩いた。 ロンサムは2024年も本当に沢山出させてもらった、相変わらず感謝でしかない。この日は、ヨシヒロシュンペイ、内藤重人、佐々木泰雅の3マンで開催された。お客さんは2人だけだったけど、この3人でロンサムで歌えた事が僕は嬉しかった。 小さい頃、クリスマスプレゼントにプレイステーションが貰えた時、そういやあの時も心の底から嬉しかった。

⑫どうしようもなく小さな空

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2024年の12月20日、路上ライブでまた吉祥寺で歌おうと思った。           前回の高円寺や新宿東南口よりも少しばかり安心感があるのには理由がある。         何度もブログにも書いてはいるが、上京したての頃や、札幌から遠征で東京に来ていた時も、何度も何度も吉祥寺の街で歌ってきたのだ。 ”2025年、mind soundへの旅”と名付けた渋谷ラママワンマンへの日々。 その一つにこの吉祥寺という街を選んだ。場所はダイヤ街というアーケード街。ここで何度も何度も歌ってきた。少しだけ街の景色は変わり、あの日のダイヤ街とは、もう匂いが違っていたけど、それでもまずは声を出さなきゃ始まらないし、変わってしまったのは僕も同じなのだ。 あの頃は何一つ路上で歌うことが怖くなかったが、この時は声を出すのが恥ずかしくなった。出来る限り自分の詩を歌おうと歌っていたら、結局自分の曲しか歌っていなかった。1時間半くらいで、立ち止まる人も誰一人いない東京の12月の寒空の中、僕はアコギをケースにしまい、すっかり冷えてしまった足首をさすりながら京王線の駅へとまっすぐに歩いた。前回の高円寺では1曲しか歌えずに、帰り道で泣けてきた事を思い出して、それよりはマシか。。なんて思いながら各駅停車の列車に乗って、車窓から東京の夜空をただ見ていた。 僕はいつまで詩を歌えるか。少なくとも1秒後はまだ声が出るし、詩も歌えるし、なんなら叫ぶ事だって出来るだろう 。

⑪傷だらけの青春

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 2024年の12月も半分を過ぎた頃、久しぶりの新宿駅東南口での路上ライブから数日後。 僕は高円寺に向かっていた。上京する前には随分と高円寺に憧れていたけど、東京に住みだしてからはめっきり行かなくなった。上京したすぐの頃に、死ぬほど酔っぱらったことがあるが、あれはぼくにとってとても大事な記憶だ。凄く孤独で切ない感情だったけど、同時に魂が燃えていた日々だった。 路上ライブを続ける中で高円寺で歌ってみようと思った。そういや高円寺で路上ライブをするのは初めてだった。初めて歩く長い細い路地をギターを持ちながら歩き、駅前のガード下で歌い始めた。2曲目を歌い始めた瞬間、警察のお兄さんに止められてしまった。その方はとても遠慮気味に、通報が入るとこちらも止めなくてはいけなくてごめんなさいね、と言った。高円寺は以前と違い路上ライブもやりづらくなっているとも言った。片づけをして警察のお兄さんに頭を下げ、また2度目の長い細い路地を帰った。少し切ない気持ちになった。久しぶりに孤独を感じたけど、上京した頃の感じとは違って、それがまた寂しかった。もうあの日みたいには歌えない自分に悲しくもなった。新しい詩を書かなければね。 アイデン&ティティを見て憧れていた高円寺の街も、あの日の佐々木泰雅も、もうどこにも居ない。 佐々木泰雅

⑩直線と曲線の交差点

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いつまでも終わりたくないけど、 終わりがあるから解放される事もあって。 僕の音楽もいつか必ず終わるから、 まだまだ歌わなきゃって思えるんだろう。 路上ライブを初めてやったのははっきりとは覚えていないけど、 本当に心から震えながらやっていた気がする。 札幌で7年くらいバンドやソロでステージに立つにつれて、 ステージに立つことへの恐怖は消えていった。 いつからか全く緊張もしなくなったし、今思うと20代前半の圧倒的な自信があった。 けど、たまに路上で歌うと、まるで初めてライブするかのようなドキドキに襲われる。 上京する半年前の2012年の大みそか、この日から、東京に行く寸前まで、 毎週、札幌の狸小路で路上ライブをした。 初日の大みそかの日の1曲目は、チャットモンチーの恋愛スピリッツ。 信じられないくらいの極寒で雪も降ってなかったけど、3人くらい見に来てくれたのを良く覚えてる。3人は僕の事を覚えているだろうか。 気付けばクリスマスや大みそかや正月なんていうイベントごとは家でゆっくりするようになったけど、かつてはそういう日こそ街に繰り出していた。随分とださくなった自分を感じるが、これからは別の角度で何か新しい自分を見つけれたら良いのかもしれない。 2025年の12月14日に久しぶりに、新宿東南口で路上をやった。 上京した2013年頃は、よくここへ自転車で来ては歌っていた。元旦から3日間連続で歌おうとした事もあった。サラリーマンたちと一緒に歌ったりもしたし、警察にも何度も止められた。かなり思い出深い場所であるが、背中を甲州街道が駆け抜けてるので、なかなかに過酷だ。ちなみに僕はマイクやアンプを使わない。東南口ではそういや生声の人は見た事がない。 久しぶりに東南口で歌ってみたが、こんなにも過酷なのかと思い知らされた。 全力で声を張り上げないと全く聞こえない。 でもこの感覚だ、これがまた味わいたくて、ここへ来たんだ。 路上が終わったあと、どこからともなく男性がはなしかけて来た。 路上ライブに興味があるみたいだった。 僕の詩を聞いていた訳ではないが、はなしかけてきてくれたのは少し嬉しかった。 来年2月1日に渋谷でワンマンやるんで来てください、と伝えたら、ありがとうございます、と言って彼は新宿の街に歩いて行った。 彼はワンマンには来なかったけど、どこかで旅を続けているかもしれない。 幸運...

⑨晴れてたよ

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 日々は続いて行く、 僕の中では小さな炎は消えずに いつか来る圧倒的な景色と衝動を 楽しみに、声をこらえている 2024年の12月は初めから刺激的だった 急遽決まった但野正和とのツーマン 場所は下北沢ろくでもない夜 お昼に正和と二人きりでなんとかしなければいけない 本番までだいたい同じような事を考えているんだろうと予想していたが、当日を迎えると正和の方が緊張しているようにも思えた この頃、ろくでもない夜で歌う時は正和が一緒の事が多かった それもこれもイベントを作ってくれるイズミさんのおかげ、本当に感謝、ありがとうございます 譲り受けたもので纏った僕の服装を見て、正和は誉めてくれて嬉しかった ライブは特に語る必要も無く、お互いいつも全力だ 終わってそのまま解散、飯くらい、確かにいけばよかったなと後から思った その2日後12月3日には、いつもお世話になってる浅草Gold soundsに出演 出演者が確かキャンセルになって、としぞー君がピンチヒッターをやってた日だったはずだ いつだって歌える準備が出来てるやつはかっこいいなと改めて感じていた ずっと大事にしているJulyという曲に、少しサンプラーを交ぜて、効果的にならないかと試行錯誤した この時の感覚は、その先に生きていたはずだ 12月7日は、THEラブ人間の下北沢にて、を見に行った ここで書くと長くなるので書かないが、僕が札幌で音楽をやっていた頃から、今現在まで、色んな彩りをくれるバンドだ ボーカルの金田康平は同い年で、僕は彼の歌やライブがとても好きだ この日は金子智也のライブから始めた トモヤとも付き合いが長いので、ライブを見ていて色々な事を思い出した 12月にも関わらず、下北沢の空は暖かく爽やかな風が吹いて、トモヤのライブを素敵に彩っていた シェルターで見たボイガルはすさまじかった 物凄い差を感じて、それでもまだ僕はいつかまた共演したいなと魂が震えていた 黒猫チェルシーでラヂカセのペンがドラムをしてるのを知って、見に行った 素晴らしいグルーヴだった 終わったあと、ペンから電話が来ていて、少し下北の路地で話した 翌年の2月1日のラママワンマンでドラムを叩いてもらえるのが本当に楽しみになった シャングリラで大トリのラブ人間のライブが始まった 毎年の事ながら、フロアはパンパンで、東京のインディーズシーンのバンドマン達も沢...

⑧最後の旅

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それまでの自分に比べたら2024年の11月はライブを沢山やった。 自分のライブは4本。大塚SOHO、茅場町TAKAITOW、阿佐ヶ谷ロンサム、 浅草Gold sounds。ライブが増え始めて来てから初めて出るようになったライブハウスに立て続けに出演させてもらった。相変わらず動員は無さすぎるが、ライブは頑張った。どれも、その瞬間最高なモノを出した。 その月の最後のライブは西永福JAMで、内藤重人のバンドでギターを弾く日だった。 新宿JAMの頃から数えたらもうどれくらいライブしたか分からないくらいやった場所。 でも、サンプラーとエレキギターでライブするようになってからは、いまだに西永福JAMには出演していない。 いつか最高な形で出演したい。 内藤重人のバンド編成には何度も参加させてもらって来た。 僕が歌えなかった時に、誘ってもらって、一度抜けたりもしたけど、また一緒にやらせてもらってる。一度離れた時に、一緒に曲まで作ったのに、何故かまた戻って一緒にやり始めた時の感情があまり思い出せない。少し強くなれてたらいいんだけど。 この日見たNO FUNがめちゃくちゃ良かった。 10年以上前に、京都GLOWRYで、当時ピアノガールってバンドのボーカルだった彼に挨拶をさせてもらった記憶があって、今はNO FUNのボーカルって事で、ここで繋がるのは嬉しかった。彼は多分覚えてないだろうけど。 珍しく、打ち上げで話せる人が沢山居て安心するなぁと感じる日だった。 ギターの歪みを褒めてもらえたのも嬉しかった。 2024年の11月の5本目のライブが終わって、僕はいよいよ翌年のワンマンまでの日々をツアーと銘打ちながらライブを始ようとしていた。 次回はそこから。