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⑧最後の旅

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それまでの自分に比べたら2024年の11月はライブを沢山やった。 自分のライブは4本。大塚SOHO、茅場町TAKAITOW、阿佐ヶ谷ロンサム、 浅草Gold sounds。ライブが増え始めて来てから初めて出るようになったライブハウスに立て続けに出演させてもらった。相変わらず動員は無さすぎるが、ライブは頑張った。どれも、その瞬間最高なモノを出した。 その月の最後のライブは西永福JAMで、内藤重人のバンドでギターを弾く日だった。 新宿JAMの頃から数えたらもうどれくらいライブしたか分からないくらいやった場所。 でも、サンプラーとエレキギターでライブするようになってからは、いまだに西永福JAMには出演していない。 いつか最高な形で出演したい。 内藤重人のバンド編成には何度も参加させてもらって来た。 僕が歌えなかった時に、誘ってもらって、一度抜けたりもしたけど、また一緒にやらせてもらってる。一度離れた時に、一緒に曲まで作ったのに、何故かまた戻って一緒にやり始めた時の感情があまり思い出せない。少し強くなれてたらいいんだけど。 この日見たNO FUNがめちゃくちゃ良かった。 10年以上前に、京都GLOWRYで、当時ピアノガールってバンドのボーカルだった彼に挨拶をさせてもらった記憶があって、今はNO FUNのボーカルって事で、ここで繋がるのは嬉しかった。彼は多分覚えてないだろうけど。 珍しく、打ち上げで話せる人が沢山居て安心するなぁと感じる日だった。 ギターの歪みを褒めてもらえたのも嬉しかった。 2024年の11月の5本目のライブが終わって、僕はいよいよ翌年のワンマンまでの日々をツアーと銘打ちながらライブを始ようとしていた。 次回はそこから。

⑦手紙にならない”ことば”

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 印象的なライブは続いた。 2024年11月10日に初めて茅場町TAKAITOWというライブハウスに出演した。夏に東新宿LOVETKOで声をかけてくれたナミタさんがやっているライブハウス。自分もプレイヤーでライブハウスもやってるなんて、単純に凄いなーと感じていた。”ことば”に特化したイベントで、僕以外はほとんど皆ポエトリーディングのライブだった。初めてそーゆー界隈と共演して思ったけど、みんな朗読のような感じだから歌詞を見るんだなと。最初はなんで見ながらやってるんだろうと感じたけど、詩を読んでる、って感覚なのかと、なんとなく腑に落ちた。 そしてその日もナミタさんのライブがとても良かったのを覚えてるし、他の共演者のライブを誰よりもナミタさんが盛り上げてて素敵だった。 新鮮な気持ちを抱えながら、打ち上げには出ずに帰宅。少し雨が降っていた気がする。この場所でサンプラーとエレキギターでライブ出来たのだから、きっとこの先、どんな場所でも自分らしいライブが出来るだろうと、少し自信にも繋がるライブだった。古郡翔馬がツイキャスにコメントしてくれてて、嬉しかったな。昔クラブライナーでお昼にツーマンやったのを思い出したよ。 自宅について、ギターや機材を片付けた。今夜書いた手紙は刷った枚数がそのまま残ってた。だいたいそんなもんだし、驚かない。それでも、出来る限り言葉にして手紙にする事を辞めないようにしたい。 そして手紙にならない”ことば”で歌いたい。

⑥手紙に出来ない思い

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ワンマンまでの日々を、ツアーと銘打つまでには、ワンマン発表から2か月の時間がかかった。 それまでに何を感じていたかを今正確に思い出すのは難しいが、2024年の11月8日に大塚SOHOでライブした日を境に、めちゃくちゃ久しぶりに”今日の手紙”を復活させた。これは2013年5月1日に東京に引っ越してきて、その翌日から出演したJAMFESで書き始めたものだ。何かに感化された訳でもなく、必然的に気づいたら書いていた。新宿JAMの1階のスタジオ前に、雑に作られた物販スペースがあり、僕は遠慮気味なのかB5サイズで印刷したその手紙を並べていた。酔っぱらった奴らがその上にビールグラスを置いているのを見て、許せなかったのを今でも覚えている。 それからしばらくは、ライブの度にその手紙を書いていた。”今日の手紙”なんて名前も、当時は何もついてなかった。ただ、自分にとって必要な行為だった。いつからか分からないが、今から5年前くらいから、ぱったりと書くのを辞めてしまった。それはライブに対する気持ちの変化と直結していたと思う。寂しいことです。 でも、僕は、やっぱりライブは辞めれなかったし、何か月もライブがない日々も、毎日毎日ライブや音楽の事を思って電車に乗ったり降りたりした。ライブだけがやりたいわけじゃないけど、ライブ以外の事がやりたい事なのかと自分に問うと、それはやっぱりライブや音楽の為にやってるんだという答えが何度も心の中で聞こえた。 何かに感化されて始めた訳じゃないこの手紙を書くという行為に、数年ぶりに自分で自分に感化されて、”今日の手紙”なんて名前まで付けて、また書き始めた大塚SOHOの夜。 ライブオファーの募集を見て連絡くれた店長の長谷部さんに感謝、めちゃくちゃ久しぶりだった。共演者はアコギで歌っていたが、僕はサンプラー、エレキギターで爆音でライブ。お客さんはシュンペイだけだった。でもとても嬉しくて来るのを入り口で待ち構えていた。 振り返ると、様々な出来事や行動の純度は低くなる一方だけど、未来を見てると、そんなことで走り始める事が出来なかった気持ちなんて、どこかへ吹き飛んでいた。 まだまだここからだと、

⑤本当の自由を。

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季節は過ぎて、東京は少し涼しくなっていた。 僕は何年か前に買ったジージャンとジーパンで、渋谷にあるライブハウスの前で、2025年2月1日に開催する予定のワンマンライブ”mind sound"に向けて写真を撮っていた。 2024年10月の事でした。 これより2か月ほど前に、元新宿JAMの店長で、今は渋谷ラママにいる石塚さんから、「自分が主人公になる瞬間を作った方が良い」と言われ、よし、いっちょやるか!とワンマンをやる事を決めた。簡単に書いてはいるが、簡単な事では無い、でも簡単に決められなければいけない時があるし、その時だったんだと思う。怖くてたまらない気持ちになるのは予想できるし、逃げたくなる時も何度もあるだろうけど、立ち向かって砕けてみようと思った。 ワンマンの発表と同時に、「リベレーション」という新曲も発表した。元々あった曲ではなく、ワンマンの発表を少しでも盛り上げれたらと思い、書いた曲だ。 MVの撮影は渋谷で、スクランブル交差点、代々木上原からの奥渋、センター街などで撮影した。曲の演奏や録音、MIXなども全て一人でやり遂げた。上京した時にMTRでリズムを打ち込んでた頃に比べると、成長した。 歌う場所を選ぶ曲だけど、この曲を思いきってやれる時は、調子が良い時だ。 この連続したブログをあげる前のブログが、ちょうど、2月1日のワンマンの発表の内容だから、時系列的に並んだ。もっと色んな瞬間を深く掘り下げて書ければいいんだけど。 今回も、もう少し頑張れるかな。 ラママでワンマンをやるってのはどういう事か。 僕は高校生の頃にGOINGSTEADYと出逢い、バンドに夢中になった。 しかしゴイステはちょうど解散してしまう時期で、その最後の映像作品として、 渋谷ラママで開催されたオナニーマシーンとの企画「童貞たちのクリスマスイブ」のDVDが発売されてて、それを毎日毎日見まくっていた。MCも完コピしてたし、峯田の影響でリッケンバッカーものちに買った。 DVDの中のラママには、溢れんばかりのお客さんと熱気が渦巻いていて、渋谷や東京に果てしなく憧れていた。 その頃の自分が、未来で、渋谷ラママでワンマンライブをする日が来るとは全く予想していない事で、それは今になったって凄い事なんだと思う。 怖い怖くないとか、逃げる逃げない、とかじゃないのだ。 ワンマンの開催を発表してから、その...