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夕刻、パイプ椅子の錆に思う

 

さて。
4月になって、一気に春になった。
通り過ぎて夏みたいな日もあった。
神聖かまってちゃんの「ちりとり」って曲の二番のAメロの歌詞「去年も1階から3階へ夏の声をジャンプさせました」が頭を巡る。
進撃の巨人の「僕の戦争」もめちゃくちゃかっこよくてやばかった。今年1だな。
もうちょいで長く働いていた仕事を辞める。
仕事をしていてもずっと音楽の事を考えてしまう。
一人で音楽を作っていても、自分の音楽をたった一人でずっと鳴らして行くのにはピンと来ない。バンドが必要なのはずっと前から分かっている。バンドやりてーなー。やるけどね。やるんだけどね。早くやりたいなって話し。
背伸びしないで、振り返らないで、現在地点の青い静かな炎を燃やすみたいな、夏の川のせせらぎのような、原生林の優しい雨みたいな、透き通った混沌みたいな詩。口笛みたく優しい詩。

この前、靖国神社に行ってきた。
色々とめんどくさい事がメディアで報じられてきて、歴史の何にそんなに引っかかるのか考えたくて行ってみた。
結局はなんにも感じなかった。
綺麗でただの観光施設のようで、桜が美しく舞っていた。
歴史なんて、現在地点の青い炎に比べたら緩い灰だ。
ゼロ戦や大砲の模型が偉そうに施設内で鎮座していたが、壮絶にダサかった。
すれ違う人達の何人かが、この神社って戦争で死んだ人が祀られてるの?って話してた。
そうだよ。そして、死ぬはずじゃなかった人を死なせた人も一緒に祀られている。これが問題になってるんだよ。

右翼の人達のドキュメンタリーも最近見た。
過激な思想には共感出来ないとこもあるけど、どちらかというと共感出来る部分の方が多いかもしれないと思った。愛国心ってやつは僕にはほとんど無いが、愛国心が全く無いやつも嫌だなって思う。日本人である事を、自分以外の日本人のせいで誇れないなら、自分が自分だけを見て日本人である事を誇れるように生きていきたい。
これは当時22才のスキンヘッドの俳優から教わった考え方だ。

真っ直ぐってのは時に危うい。
もっと人と話して、世界を知ろう。
こんなBLOGなんか辞めて旅に出て、地球に触れた方がいい。

なんて事をこれからもここに残していこう。

佐々木泰雅
フロムTokyo



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