小田急線は今夜も人身事故でダイヤが乱れていた。
誰にどう思われようが知ったこっちゃない奴は死ねるほどに強い。
その強さに憧れはしないけど、僕だってこのライブで死んでもいいやって思うほどに歌った事は何度もある。
誰にどう思われるかとか、このライブが終わった後に何があるとか、そんな事考えてライブしてる奴を軽蔑してる。
そんな事を思ってしまう自分がいたならば、ステージに立つ資格なんてないんだと、何度も自分に失望した。
新宿から発車した小田急線の車内、目の前には背の低めの、僕の母親と同じくらいの世代の女性がハンカチでおでこをふいていた。マスクをして、メガネをして、なんだかとっても逞しく生きてるようで、僕はなんでか泣きそうになってしまった。
何がどうなってもいいやって死ねるほど強い奴のせいでダイヤの乱れた小田急に乗ってるその女性は、少なくとも自殺したやつよりは絶対強いと思った。
この先起こる事をどうでもいいやってやっぱり思えなくて、ちゃんと反省して人のせいにあんまりせずに生きていけたらいいな、ってそんな事を思った。
斜め上を見上げれば、車内モニターにそれとなく画質の良いCMが流れてて、それとなく整った、それっぽいストーリーが繰り広げられてた。
自分でMVや曲を書いてみるとすごくわかるんだけど、絶対そんなもの作りたくなんてなくて、やっぱり自分のストーリーを書いていたいんだ。
結構前に、難波ロケッツの店長カサゴさんが、ファイアーループでのライブを見に来てくれた時、僕がライブで死んでもいい、って言った事について、そのあとメールで言及された。
どうやら少し前に知人が亡くなったらしい。
ステージに立つ人は、死にたいくらいに悲しい人を少しでも元気付けて欲しい、ってそんな内容だった。
言ってる事は100%分かった。
そして、僕は悲しい詩と優しい歌、どちらも好きだと思った。
つまり、自殺志願者が線路に飛び込むスピードで生きていきたい、という事だ。
なんて事を、クリープハイプの二十九、三十を聞きながら考えていた。
20代に置いてけぼりにしてしまったモノを取り返したいけど、今の僕には読点がものすごく高く立ちはだかる壁に見える。
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