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思い出だけが綺麗に見えた時は、


思い返すと落ち着いていろいろ考え事が出来てるのは久しぶりだった。なんかいろいろあったんだけど、なんかいろいろ思い出せないまま過ぎてしまって、自分の中ではまとまらない事ばかり。

8月の頭に札幌に帰っていた。
未完成VS新世界のボーカルの澤田さんに、一緒に札幌でライブしないかい?と声をかけてもらったからだ。それは春先、四月頃の下北沢近松の階段の上での話だった。まだ肌寒くて、ベースの安田さんと二人で話しているところに、澤田さんとキーボードの梅本さんが近松に戻ってきて、そこでそういう話になった。いいな、とは全然思えなくて、初めは断った。そしたら、なんで?と言われた。僕は正直に、こうでこうでこうだから行きたくないんです、と話した。そうか、でも、オレらもそうだよ、と澤田さんは言った。
一日考えて、行く事にした。行かない、と行く、のどちらかが自分の天秤を傾ける事がなくて、なら行こうと思った。

8.3の22時くらいの電車で成田空港へ向かって8.4の朝6時くらいの飛行機の時間まで空港のベンチで休んだ。慣れたもんだ。深夜の空港には多国籍な人達がたくさんいて、独特な何とも言い難い空気があって、僕は嫌いじゃない。
起きて、第3ターミナルまで歩いて飛行機に乗る。だいたい機内では寝るようにしている。酔うからだ。北海道に着くのは一瞬だ。
飛行機を降りたらやはり少し空気が涼しいが、それでも全然夏だった。
一度手稲の実家に楽器を取りに帰り、すぐにmoleに向かった。一番初めにリハをした。アニーさんの髪が真っ直ぐになっていた。安田さんが僕より先にいてびっくりした。
澤田さんがmoleの二階から、よろしく、と声をかけてくれた。

イベントが始まった。一番手の奥山漂流歌劇団の音漏れを聞きながら準備。ゆっちのドラムはやはり最高だな、とニヤニヤしながら出番を待った。

1.フロムTokyo
2.夢で逢えるなら
3.under
4.July
5.こわい話(未完成VS新世界)
6.友達の唄
7.レインマン

30分に出来る全てを詰め込んで歌った。
4月の下北沢近松から4ヶ月が経っていて、季節は完璧に夏だった。

未完成VS新世界のライブをフロアの隅から見る。これまでどんくらいのライブを見てきたのかもう数えてもいないけど、僕はこの愛しいバンドが本当に大好きだ、そう心の底から思えて、もう帰る事にした。
アンコールがかかる中一人でmoleから出た。
また東京で一緒にやりたい。

実家に帰ってメールを見ると父さんからだった。駅前で飲んでるから、来ない?との事だ。すぐに歩いて向かった。弟も30分後くらいに合流して、ばぁちゃんの葬式の夜以来に、三人で飲んで、カラオケで歌った。父さんはチャゲアスのラブソングは知らないけど、男と女、は知ってるよ、と歌ってくれた。父さんはとてもいい声で歌が上手なんだ。弟も80年代の日本の音楽を結構知ってて、最終的に三人で、一人は下のハモリ、主旋律、三度上、と歌えて最高だった。
翌日は父さんとばぁちゃんの墓参りに行った。茨戸霊園は吹き抜けるような晴天で、低い大きな入道雲が広がり、細田守監督の映画みたいだった。
夕方から、幼馴染のケンタと中学からの友達のさとしと遊んだ。新琴似の夏祭りに行ったり、石狩の広い公園で3人で遊んだ。その後1時間だけ焼肉を食べて、ケンタの家で小中の卒業アルバムを見て腹抱えて笑った。

深夜になり、マグナムでリンラバの四人ですげー久しぶりのスタジオ練習。マグナムの駐車場に車を停めてる時、但野の事を考えていた。
楽器を持って入り口の自動ドアが開いた瞬間、練習終わりの但野に逢った。こんな事あるんだな、と、でも全然驚かなかった。普通にまたねーとバイバイした。また普通に逢えるだろう。

四人で9.22のライブに向けて練習。あーだこーだ終わった後も話して、解散。

そして8月の東京に戻り、僕はまた忙しない日々に身を投じて行った。毎日必死で、倒れそうになりそうにもなりながら笑って過ごした。その間、良くRADWINPSの、なんでもないや、という曲を聞いていた。とってもいい曲だなと、聞く度胸に染み込んでいった。あと、ゲスの極み乙女の、もう切ないとは言わせない、という新しい曲がめちゃくちゃ良くて聞いていた。

8.25のワンマン寸前で体を壊した。病院に行くと食中毒だと言われた。あの日のカレーかな?と頭を過ぎった。ばぁちゃんのカレーが好きで良く一人でも作っていた。もっとお墓綺麗にしてあげれば良かったかなと、ちょっとだけ本気で思った。
ソロワンマンの夜、元新宿JAMの店長石塚さんがとてもいい事を言ってくれて、勇気をもらった。
その翌日に西永福JAMでソロでライブに出演した。新宿から西永福にJAMが移転した、その事をもっと西永福の街の人にも伝えたいというような店長カズマさんのイベントだった。ワンマンでからっからになってもう歌えないかと思ったけど、全然歌えた。歌ってるともっと伝えたい事が溢れてきて、このまままたワンマンやりたいくらいだった。アサトがハッピーエンドをやっていて、久しぶりに聞いた。トリに出演していたNebulaというバンドがレベルの違う超イカしたライブしていて、思わずフロアの前の方に行ってしまった。

8月はもうすぐ終わる。
明日はついにフロムTokyo×ザ・ラヂオカセッツでのツーマン。自主企画だ。
楽しみで仕方ない。一人、そしてシュンペイと元良君との3人、そして吉田直弘をギターに迎えた四人でも音を鳴らす。
ザ・ラヂオカセッツとは今回が初のツーマン。
必ず最高な日にしてみせる。
8月の終わり。Julyという7月という意味の曲もバンドサウンドで発売します。
どうかよろしくどうぞ。

_______________

2018.8.31
西永福JAM
フロムTokyo presents
"WE ARE  THE ROMAN'S"
-凍り付いた暗闇の坂道を上るツーマン-夏
OPEN19:00
START19:30
ADV¥2400
DAY¥2900
+1drink¥600

出演
フロムTokyo
ザ・ラヂオカセッツ

予約は各バンド予約、JAM店頭
フロムTokyo
ザ・ラヂオカセッツ




8.30
思い返すと落ち着いていろいろ考え事が出来てるのは久しぶりだった。なんかいろいろあったんだけど、なんかいろいろ思い出せないまま過ぎてしまっていたから、自分の中でまとめてみた。

では明日。

コメント

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