9.3

 


上京して1か月くらいの頃、高円寺で夕方からひどい飲み方をした事があった。
その当時、一緒に演奏してくれていた友達3人と吉祥寺へ向かい、もう1人の友達が働いているラーメン屋へ向かった。
ひどい酔い方をしていたから、店で何をして何を食べたのかは分からないが、あれから11年後、もう一度そのラーメン屋に来てみた。ここのしょうゆラーメンはこんな味がするのかと初めて分かった。
この街へは、路上ライブに来る事が多い時期があった。あいつの歌う面影が僕の自転車を漕ぐ足を進ませた。弦が2曲目で切れた事もあったし、警察が歌い終わるまで待ってくれて一緒に音楽の話しながら交番に歩いた夜もあった。あいつやあいつと一緒に歌った事もあった。
よく目にしていた十字路の靴屋は、別の靴屋に変わっていた。
僕は出来れば不老不死が良いのだが、それは寂しい景色を沢山見送る事でもある。長く生きたからこそ感じれた素晴らしい景色を出来るだけ増やせたら良いなと思う。
ライブのステージは自由と言えども限度がある。犯罪行為にあたるような事はもちろん出来ない。人を殺すような気持ちで詩を歌っても、本当に人を殺すような事はしてはいけない。じゃあ全力で何かをするとはどういう事なのだろうか。もう2度と歌えなくなってもいいと本気で思って、喉が焼けるように叫んだ夜の記憶が、また何度も本気を追い求めたくなる夜を運んで来てくれる。ディストーションは単なるエフェクターで機械だとしても、歪みにはこれまで生きてきて蓄えられた怨念が宿ってる。どんな風にそれらを解放するかは自由だが、僕はその純度を誰よりも高く持っていたい。

Dry As Dustを聞いている。
東京、涼しくなってきた。

佐々木泰雅

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