書かずに三ヶ月以上も経ってしまった
今年の3月下旬、
内藤重人with???でのグレフルでのライブ以降の話になる。
あれから少しだけ経って、シゲさんと一緒に作った"Re:tters"が配信された。
シゲさんのトラックに僕がメロディと詩を書いた。一度書いたものを全部消して、また一から書き直したんだけど、シゲさんが喜んでくれていたのが一番嬉しかったし、頑張って書いた甲斐があった。沢山の人にこの曲が届け!!って感じとはまた違うんだけど、この瞬間にしか書けない温度が詰まってますので気が向いたら触れて欲しいです。
季節も移り変わって、春になっていた。
しばらく書いてなかったから少しずつ思い出しながら書いていく。
4月に入ると、7日と10日に両日ともに下北でライブがあった。佐々木泰雅ソロってやつ。7日はロクヨルのいずみさん、10日はDY CUBEのみえださんに呼んでもらった。どちらのライブも、とても良い詩が歌えた自信があった。だけど、それから佐々木泰雅ソロのライブは今日までやっていない。またいつか出来る日が来るだろうか。それは明日かもしれないし、10年後かもしれない。うまく説明出来ない心の重々しさが晴れた暁にはやりたい。
5月に入り、ゴールデンウィークのほとんどを札幌で過ごしていた。2日から7日まで。
リンラバの練習がメインではあったが、中高の友達とゆっちの家でバーベキューして、夜に海を見に行ったのがハイライトだろう。海はとっても寒かったけど、軽やかな風が吹いて心が弾んでいた。こんな気持ちでバンドや音楽を死ぬまでやっていたい。
5月の下旬になり、シゲさんのPaleというアルバムのツアーファイナルにfeaturingゲストとして佐々木泰雅で出させてもらった。
素直に大切な日に呼んでもらえるのが嬉しかったし、佐々木泰雅としてやれる事を精一杯やろうと思った。ちょうど一年前の3月に、同じくラママで、シゲさんのAUMADOKIのツアーファイナルにベースとギターで参加してから一年と少し経っていた。
あの日は、咳止めを1日に飲んで良い限界まで飲み、喘息の薬も使ってステージに立っていた。
なんて事を当日思い出さないくらい僕の喉は復活していたんだなぁと今になると思う。
Re:ttersを歌っている時も、本当に感じている事、というより、作品を表現している、という気分の方が近かった。
でもこの曲がある限り、切実に歌う事を求めていた気持ちが確かにあったことは、忘れないでいられる。
そう思った瞬間、僕はベリンガーのディストーションを強く踏んだ。
6.24
ちょうど4ヶ月ぶりのリンラバのライブが札幌LOGであった。
2.25のライブ映像を見ると、まだまだ雪が降り積もる札幌だった。
あれから春を越えて初夏、
安達プリーズとDEERMANを招いてのスリーマン。おそらく厳しい夜になるだろうなぁと思っていた。タイトルは"太陽の夜"。瞬間的に灰になって、そこからマグマにまた飲まれていくような、限界を何度も超えなければ辿り着けない40分後の気分だった。自分の中で課していた目標は達成したが、体が耐えられなかった。
でも三好さんに逢えて全て吹き飛んだ、すごいや。
新曲で、メロディライン、って曲を演奏。
これからもっともっと良くなるし、大きなステージで演奏したい曲だ。
地の果てまで行きたいものだ。
6.26
リンラバのサブスクが解禁された。
取り掛かっていたのは5月に入った頃からで、アルバム2枚分25曲の歌詞を全て興していく作業を夜な夜なやっていた。それは歌詞を書いていた頃から時を経た事で新鮮な作業になった。20代前半の自分の歌詞に驚かされる事ばかりだった。あんな歌詞もう2度と書けないだろう。そして書く必要も無いだろう。
"JPOPvs人間`sMusic"と"僕らの旗"は世界のどこにいても聞けるようになったのだ。
これは曲を作った僕からしたらとても意味のある出来事だった。本当嬉しかった。
まだリンラバのメンバーに聞かせていない新曲デモが3つ。どれも良い。だが、僕が本当に書きたいのは、直線的な透明感、ってやつだ。
山に大の字で、ベタン!!と叩きつけるのではなく、青白い細く尖った光で標的を貫通していくようなイメージに近い。その瞬間に爽やかな風が吹くのが理想だ。
6.24のライブ中に腰を痛めた。
ライブ後はまともに歩けないくらいで、なんとか家に帰り、何時間か横を向いてうずくまっていた。それから頑張って起きてご飯を食べて、翌日に新千歳空港になんとか向かって東京に戻った。日常生活に支障をきたしまくってたので、生まれて初めて整体へ。瞬間的にかなり楽になったが、今度は首が痛くなり、また整体へ。
腰の痛みが楽になって、首の痛みにも気付き出したんですよ、と整体師の方が教えてくれた。なるほど。。
ほぐしてもらって、今はかなり良くなったけど、今度はおでこの、たんこぶ、が痛くなってきた。これは腰も首も治ってきた証拠かもしれない。。
後悔しないようにライブをやったので、気持ちがものすごく元気で色々な痛みには負けないでいられてる。
体は大切にしなくちゃいけないが、ライブでホントの意味で死んでもかまわない覚悟がないと僕はステージには立てないので、怪我は仕方ない。でもどうやら昔よりも怪我をし易くなってるのは確かで、年齢かなと、少し切なくはなった。
でも仕方ない。
自分で死のうとしなくたって、
いつか本当に僕も死んでしまうのだから。
その日まで死ぬほどに生きる。
時が流れて2023回目の7月、
また、"あの直線的な透明感"を求めて僕は曲を書き、"切実に歌う事を求めていた気持ち"を忘れないで詩を歌っていきたい。
佐々木泰雅
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