どうでもいいんだよ。 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ 1月 01, 2022 年が終わろうが開けようが、佐々木泰雅から、詩を歌う、ってのを奪う事は出来ない。声に出して歌いたい。声に出さなくても歌いたい。息を吸うように吐くように歌っていたい。2022.1.1佐々木泰雅フロムTokyo リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ コメント
⑭msr 12月 31, 2025 "2025年、mind soundへの旅” 2025年が始まり、1/9東新宿LOVE TKO、1/15阿佐ヶ谷ロンサム、1/24豪徳寺リーフルームと歌い、いよいよ2月1日の渋谷ラママでのワンマンにたどり着いた。この日々を綴ってきたブログは一旦これがラスト。読んでくれてる方がいるなら、ありがとう。これから今年の2月1日の事書いていく。 ワンマンでは、3曲のバンド演奏、レコードの発売、今日の手紙の展示、という事を試みた。 3曲のバンド演奏をやるにあたり、ドラムに大谷ペン(ザ・ラヂオカセッツ)、ベースにヨシヒロシュンペイ、キーボードに内藤重人を呼んだ。2013年の上京したての頃に声をかけて集まってくれたメンバーと同じだ。超太郎にも連絡したが、タイミングよく連絡が取れなかった、ここでは正直に書くが、とても本当は一緒にやりたかった。スタジオは2時間くらいの練習で十分なくらい、特に言うこともなく、良い演奏の準備が出来た。あとは自分が頑張ればいい。 レコードを発売するにあたって、色々と考えなくてはいけない事があった。まずなぜレコードかというと、制作の過程を経験したかった、というのが実は理由の一番にあった。そしていつかレーベルというものの機能を自分に持たせたいと思った事もあり、そのレーベルの語源をたどると、レコードの中心にある「アーティスト名」や「曲名」を記載した「ラベル」からきてる事を知り、尚更、まずはレコードだなと思えた。しかし、アナログレコードをまず作成出来る会社がそんなには無く、かつ金銭的な事などを考えたりすると、プレスする余裕はなく、どうしようと思っていたところ、大分に、一枚から作成出来る会社を見つけた。職人のダイレクトカッティングで作成するダブプレートと呼ばれるそれは、60年代のレゲエシーンに由来を持つ。「サウンドクラッシュ」と言われ、自分たちの音源を爆音でスピーカーで鳴らし合うスピード感が大事なそのバトルにおいて、プレスしてる暇はなくかつローコストで作成できるところからダブプレートという手法が重宝されていたとの事で、まさに自分の置かれてる状況下に近いものがあり、これだと決めて、3枚だけ制作を依頼した。 レコードが自宅に届き、再生した時は流石に感動して、ずっと眺めていた。 ここでは正直に書くが、それでも一枚あたり1万円程の制作費がかかる(枚数が増えれば単価... 続きを読む
⑫どうしようもなく小さな空 12月 31, 2025 2024年の12月20日、路上ライブでまた吉祥寺で歌おうと思った。 前回の高円寺や新宿東南口よりも少しばかり安心感があるのには理由がある。 何度もブログにも書いてはいるが、上京したての頃や、札幌から遠征で東京に来ていた時も、何度も何度も吉祥寺の街で歌ってきたのだ。 ”2025年、mind soundへの旅”と名付けた渋谷ラママワンマンへの日々。 その一つにこの吉祥寺という街を選んだ。場所はダイヤ街というアーケード街。ここで何度も何度も歌ってきた。少しだけ街の景色は変わり、あの日のダイヤ街とは、もう匂いが違っていたけど、それでもまずは声を出さなきゃ始まらないし、変わってしまったのは僕も同じなのだ。 あの頃は何一つ路上で歌うことが怖くなかったが、この時は声を出すのが恥ずかしくなった。出来る限り自分の詩を歌おうと歌っていたら、結局自分の曲しか歌っていなかった。1時間半くらいで、立ち止まる人も誰一人いない東京の12月の寒空の中、僕はアコギをケースにしまい、すっかり冷えてしまった足首をさすりながら京王線の駅へとまっすぐに歩いた。前回の高円寺では1曲しか歌えずに、帰り道で泣けてきた事を思い出して、それよりはマシか。。なんて思いながら各駅停車の列車に乗って、車窓から東京の夜空をただ見ていた。 僕はいつまで詩を歌えるか。少なくとも1秒後はまだ声が出るし、詩も歌えるし、なんなら叫ぶ事だって出来るだろう 。 続きを読む
波の小さな終着駅からまた漕ぎ出して。 3月 03, 2026 一年前まで遡って書いていたブログ、前回の続きは昨年の8月19日の2度目のワンマンまでの日々を書いていく予定だったが、一個違うブログを書こうと思い立った。 もう夜も遅くて時間も無いけど、書ける事は残しておこうと思う、稚拙な文になるだろうけど良ければお付き合いお願いします。 前回のブログでは、昨年の2月1日に、初めての渋谷ラママワンマンをやった時の事を書いて、バンドやりたい、と締めた。 昨年の夏の終わりあたりから、シゲさんと西方君と3人で何度か逢うようになった。 ふとした感じで逢う時もあれば、ちゃんと予定して逢う時もあった。新宿の公園、高円寺、幡ヶ谷、下北、そしてある日シゲさんが、勝ちに行くバンドをやらないか、と提案してくれた。それはとても自然な空気が流れている中での発言で、心に、すんと入って来て、3人でバンドをやる事が決まった。良く考えると凄い事なのだが、なんだか穏やかな風が心に吹いていた。それからバンド名を3人で決めるために色々話したりしたが、思いの外、時間がかかった気がした。 どういう流れでそこに落ち着いたかいまいち覚えていないが、 本当は誰か という名前に決まった SNSで検索しづらい厄介な名前で、気に入ってる。 僕は2013年の5月1日に1人で札幌から上京して来た。 札幌でやっていたバンドを解散して、東京でまた一からバンドをやりたくて、来た。 けれど、なかなか上手くいかず、結局1人で歌うことばかりが増えた。バンドをやりに東京に来たのに、音楽すらやれない時間も長くあった。それはとても空白な日々で、あまり記憶に無い。 そんな時間からなんとか這いつくばって抜け出したくて、2024年の夏くらいからサンプラーとエレキギターで、1人でライブに挑戦した。それはそれで孤独な日々だったけど、その中で新しい出逢いや経験を多く出来て、やって良かったなと思っている。 そして、やっぱりその先で、僕は、本当は誰か、とバンドがやりたい、とまた思えるようになっていた。 昨年の10/27の浅草ゴールドサウンズでの企画を最後に、一旦、1人でのライブを止めて、バンドに集中してみようと決めた。 初めてのライブは、今年の1/24、東高円寺ロサンゼルスクラブだった。サポートドラムにコリドラスの大西君を招き、4人編成でライブした。中音は混沌としていたけど、ステージに仲間がいるのは本当に嬉しくて... 続きを読む
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