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詩の時代



2019.11.22

雨の中、少し俯きがちに、若干猫背気味に、公園を抜けて行く。傘は嫌いだから全然濡れて良いんだけど風邪を引くのはもっと嫌いなので仕方がない。東横線の都立大学駅で降りて7分の会場にライブを観に行った。東横線とは「東京」と「横浜」を繋ぐ路線。例えば埼京線だったら「埼玉」と「東京」とか。京成線だったら「東京」と「成田」とか。路線名には繋がってる元と先が含まれてる事を東京に住んでからある日ふと気付いた。

そうだ、ある日ふと気付くのだ。「繋がり」の事に。誰よりも早く気付く事もあれば、誰よりも遅く気付く事もある。誰よりも早く気付くというのは、誰も知らない価値観を発見する事でもあり、新曲に似ている。そして誰よりも遅く気付くなら、その事を誰よりも重大に深く捉えたい。ひらがなや漢字の成り立ちのように、街の名前に氵を付けて昔の人が未来に何か伝えたいように、父さんと母さんが僕に名前をつけてくれたように。今、此処で、私が生きている事に、そして何かと繋がっている事に、意味があるようでないようで、やっぱり圧倒的に完全にあると、僕は今此処で思ってる。自分の歴史から派生した表現を音楽にする、そんな事をNUMBER GIRLのラストライブで向井秀徳が話してるが、分かる。バックグラウンドミュージック、というアルバムでメジャーデビューしたあいつのバンド、そのボーカルが、泰雅さんこのアルバムタイトル僕めっちゃ良いタイトルだと思ってるんです、と自慢げに話してくれたのを、ある日ふと思い出した。あれはきっと「誰よりも遅く気付いた」んじゃないかと思う「ふと」だった。僕はその事を誰よりも重大に捉え、沢山の「シーン」を思い出してしまった。

「シーン」
ある日のワンシーン、のように流れて行く景色としての「シーン」と、もう一つ、僕が重大に捉えたい「シーン」は「表現の背景にある時代」である。それは表現の存在理由でもあり、表現の意味でもある。それが感じ取れない表現に心を揺さぶられた事は、僕は今まで一度足りとも無い。「切実」な訴えでしか世界は変わらないのだ。

昨夜は「東横線」に乗り都立大学前で降りて、傘をさして俯きがちに、猫背気味に公園を抜けて観に行ったライブ。繋がろうとする意志、バックグラウンドのある姿勢、そして切実な声、そこにはその瞬間「シーン」があった。

そして、それを当たり前のように、あくまでナチュラルに実行する先輩達の背中に、僕は「表現の背景にある時代」に居れてる事を感じるのです。

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