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晴天の、


4.13
朝8時に起きて諸々準備をした。
昼に職場の超お世話になってる先輩の結婚披露パーティーがあり、
そこで歌って欲しいと依頼を受けていた。
何気ない会話の中で、歌わない?と軽い感じで頼まれたが、蓋を開ければ
式の最後に歌うことになっていた。
こういう場で歌えるのはとても光栄な事だと分かるのだけど、
僕はずっと悩みがあった。
こういう場で歌える自分の詩が無い事だ。
差し障りのない範囲で和ませるくらいなら死んだ方がましなのだ。
ならば、1曲書くしかないなと、式の主役の3人(新婦のお腹には赤ちゃんが)
の事を自分なりに考え、自分と会話しメロディと歌詞を組み立てて行った。
その曲の為だけにスタジオにも何度も入り整理して行った。
そしてある一定のラインまで組み立てて、後は自分にも新鮮なように
触らないように生々しくして本番にのぞんだ。

午前11時に会場入りしてリハ。
新郎新婦も不在で、もちろん他にも誰もいなくスタッフ達と話しながらチェックする。
なんか大丈夫な気がして、そこそこに終わらせて時間を潰す。

渋谷の道玄坂の頂上で空は晴天だった。
しばらく寒い日が続いていた東京にはちゃんと春が来ていた。

開場し受付をして、式は始まった。
出番が最後なのでそのあと2時間くらいはただただ耐え忍ぶ時間だった。
さっさと歌わせてくれと思ったが、これも一瞬の自分の生業の為だと堪えた。
14時半頃に出番が来た。

2曲、歌う曲はレインマンと新曲と決めていた。

歌い終わった後に司会が新郎新婦に感想を求めた。
御世話になっていた先輩というのは新婦の方で、新婦は僕の曲を目覚ましアラームに
使っているという話などをしてくれた。
僕は自分の信念を曲げずに媚びず向き合えたことを誇りに思えたし、
一つまた大きな何かを超えられた。

席に戻ると同い年の同僚が、ヒトリエ、というバンドが好きだという
話をしてくれた。それはとても嬉しい瞬間だった。

すぐに会場を後にし小田急に乗り豪徳寺へ。
いずみさん、という女性がやってるLife is musicというイベント
へオープニングアクトでの出演が決まっていた。

leaf roomという会場に上がる階段の向こうは晴天だった。
しばらく寒い日が続いていた東京にはちゃんと春が来ていた。

リハ寸前で自宅に忘れ物をした事に気付き、タクシーに飛び乗り帰宅。
全速でまた豪徳寺へ戻った時は出番の10分前だった。
急いでセッティングを済ませてすぐに歌った。

1、Life is music
2、レインマン
3、under
4、July
5、Mr.TokyoUnderGround
6、はるにれ

全力で放出した悔いのない時間だった。
その日の出演者が刺激的だったからだと思う、これが誰かと共演する醍醐味だなーと
感じた。

共演者たちのライブを見て、いろいろ分かった事を胸にしまってすぐに帰宅した。
いずみさん、こんなオレですがいつもありがとう。このままでいます。


ずっと好きでいる為の心を持ち続けるにはとても大変で、
時には捨てて行かなければ何も見えなくなってしまうかもしれない、
そんな風に思った一日、ありがとう。



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