2018年6月8日金曜日

僕に歌を教えてくれたのは。


6月になった。
初夏、梅雨が来る。
一気に気温も柔らかく、暖かくなった。

5.31の弱虫倶楽部とのツーマンの日。
ラヂカセのボーカル、ヒデから連絡が来た。
18時頃だ。

内容は、
「今夜のライブをキャンセルした。そして次回の自主企画の発表を今夜はまだしないで欲しい。」

という事だった。
何故そのような事になったのかその時は教えてはくれず、取り急ぎそれだけを連絡くれた。


8.31にフロムTokyoのツーマン企画第二段が西永福JAMで決まっていた。相手はザ・ラヂオカセッツ。その発表を5.31の来場者特典での詳細に同封してお知らせするつもりだった。
ラヂカセの活動が今後どのように行われていくのか、、そして何よりメンバー三人の無事を祈って、僕は弱虫倶楽部とのツーマンに臨むしかなかった。


2日前にヒデから連絡が入った。
メンバーで話し合い、今年いっぱいは少なくとも全力でまた活動していく、という内容だった。
そして最後に、
「ツーマンやらせてください」
そう書かれていた。






___________

ザ・ラヂオカセッツとの出会い。
それは僕が人生で初めて東京に来た時まで遡る。
2011年の2月、まだ震災が起きる前の、ギラギラな新宿、その新宿のJAMというライブハウスで、当時地元札幌で活動していた、リンダリンダラバーソールというバンドでライブをした。そこで出会った、今はThree Questionsの内藤重人に、5月にJAM FESっていうのやるから出ない?と誘われた。
そして、その3ヶ月後にまた新宿JAMでライブをする事になる。
JAM FESにはたくさんの東京のバンドが出演していた。とってもキラキラしていた。素晴らしいメロディを持つバンドがたくさんいた。
その中で一際輝くメロディを放っていたバンド、それがラヂカセだった。
日付かわる深夜0時頃だったと思う。ストラトで歌うボーカルがそこにいた。出だしはボーカルとギターだけから始まるその曲を聞いた瞬間、初めてミスチルを聞いた時みたいなメロディの良さにグッと来た。曲は"古いギター"だったと思う。
「このライブが終わったら、すぐに東北の方にライブに行きます。」
とMCで言っていた。
震災が起きた後の東京。
ライブハウスでのバンドの在り方、音楽の在り方に変化があった。


僕はそのライブが忘れられずに、すぐにラヂカセのホームページからメールをした。するとボーカルのヒデからメールが返ってきた。
「6.11に札幌に行くTHEラブ人間、そのドラムのケンジに僕らのCDを預けたから聞いてくれ」
そんな内容だった。

2011年の6.11に東京からTHEラブ人間が札幌moleに来た。その日僕はソロで出演。ドラムのケンジとはその時初対面。リハが終わったあたりかな、、ケンジからラヂカセのヒデから預かった、とCDを受け取った。
そのCDにはJAM FESで聞いた"古いギター"そしてyoutubeでめちゃくちゃ聞いてた"東京"という歌が入っていた。
コインランドリーをバックに、メンバー4人がジャケットにうつっている姿はクールだった。

それからそのCDをめちゃくちゃ聞いた。


2012年の夏、リンダリンダラバーソールでフルアルバムのレコ発企画をスリーデイズで開催する事になった。東京からザ・ラヂオカセッツを初めて札幌に呼ぼうとなった。そして三日間とも出演してくれる事が決まった。
カウンターアクション、mole、LOG、僕が生まれた街にラヂカセの歌が染み込んで行く日々だった。本当に素晴らしい三日間だった。

そして、
リンラバは程なくして解散する事になった。
解散ツアーの東京最終公演にもラヂカセは出演してくれた。

翌年の春、僕は一人で東京に引っ越した。
また新しく東京でバンドをやりたいと、強い決意を持っていた。まずはメンバーを探そうと思っていた。ドラムで一緒にやりたいと思っていたのが、ラヂカセのペンだった。上京してすぐにペンに連絡して、サポートで叩いてもらう事になった。

ペンとのライブは二回だけだったけど、本当に最高な時間だった。ペンは常に一緒に歌ってくれる。ヒデの事を羨ましく思ったりした。

それから僕はまた別のドラムとフロムTokyoとしての音楽を続けてく。
ヒデとは弾き語りで、ペンとはふとライブハウスで逢ったり打ち上げで飲んだり。


上京したての頃、フロムTokyoのサポートをしてくれていた、ベースしゅんぺい、キーボードしげさん、ギターちょうたろう、そして僕の四人で高円寺で飲んだ事がある。確か夕方の4時くらいからだった。僕は途中で泥酔し、ペンのいる吉祥寺まで行って、そして泣いていた。

2年前くらいの春、ラヂカセが下北のMOSAiCでライブをすると聞いて向かった。
ライブが終わった後、ペンと一緒に近くのコンビニで焼酎を買い乾杯した、そして一緒に打ち上げに行く事になった。そこにはスタジオファミリアの店長のたくみさんもいて、いろいろ嬉しい要素が揃った僕はまた泥酔して、帰りの自転車を見失った。

ハートたちの秋村充が下北沢風知空知での自主企画に僕を呼んでくれた日も、そうだ。
出演者にはペンがいて、これまた打ち上げで泥酔した僕は、ペンの名前を何度も何度も呼んでいたらしい。

ヒデとゆっくり話すというのは、思い返すとあまりなかったように思う。
今年の4月8日に、川崎の元住吉powers2で、弾き語り同士でヒデとの共演があった。
上京してから毎年必ず同じメンツで開催してきた僕の自主企画を、ラヂカセのメンバー目当てで来てくれたアンザイさんという女性の方が、僕の詩を聞いてくれて誘ってくれた日だ。
僕は4月8日をすごく楽しみにしていた。
リハが終わって、ヒデとご飯を食べに行った。元住吉の商店街をゆっくり歩いてその先にあった唐揚げ屋さんに入った。バンドの話や私生活の話をたくさんした。
イベントが終わった後に、同じ内容でディスりたい事があった時は嬉しかった。
本当はそういうの良くないけど、その時はなんだか嬉しかった。


限られた時間の中でラヂカセのいろんな顔を、いろんな角度から見てきた。
ある日はお客さん、ある日はメンバー、ある日は共演者、ある日は何気ない友達。
僕はラヂカセが東京にいなかったら、あの時上京したいと思わなかったんじゃないだろうか。そんな事すら思った。


今気付いたけど、ラヂカセが初めて札幌来たのは夏じゃない。
2012年の2月だ。
リンダリンダラバーソール、THE BOYS&GIRLS、サジカゲン、ラヂカセの4マン。
https://youtu.be/NqJ81D437vM
僕、坊主の伸びかけみたいな頭だ笑。



結局のところ、
僕は東京来てからザ・ラヂオカセッツとバンドサウンド同士でしっかりとぶつかった事がなかったんだ。

だから、
昨年かな。新宿JAMでラヂカセとボイガルがツーマンやってるのは見ていて本当に悔しかった。でも自分の今いる場所も重々承知していた。だから、僕は客としてそこにいる事しか出来なかった。


2018年。
ツーマン企画の第2段、夏。
ラヂカセとしかやりたいと思わなかった。ここでやらないと、僕は先に進めないと思った。
そんな最中の5.31のヒデからの連絡だった。
もしラヂカセがどうしてもライブ出来ないなら、ワンマンしかないと思った。
"ツーマン"とはそういう気持ちで臨むものだと思っていた。


フロムTokyoとザ・ラヂオカセッツは8月31日に西永福JAMでツーマンライブをやります。
あなたの人生に、どうか僕らの人生の賛美歌が染み渡りますように。
そんな願いを込めて、フロムTokyo企画として開催。

_________
2018.8.31
西永福JAM
フロムTokyo presents
"WE ARE  THE ROMAN'S"
-凍りついた暗闇の坂道を上るツーマン-夏
OPEN19:00
START19:30
ADV¥2400
DAY¥2900
+1drink¥600

出演
フロムTokyo
ザ・ラヂオカセッツ


予約は各バンドから可。

フロムTokyo HP
ザ・ラヂオカセッツHP

こちらへの予約もどうぞ。


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