スキップしてメイン コンテンツに移動

僕に歌を教えてくれたのは。


6月になった。
初夏、梅雨が来る。
一気に気温も柔らかく、暖かくなった。

5.31の弱虫倶楽部とのツーマンの日。
ラヂカセのボーカル、ヒデから連絡が来た。
18時頃だ。

内容は、
「今夜のライブをキャンセルした。そして次回の自主企画の発表を今夜はまだしないで欲しい。」

という事だった。
何故そのような事になったのかその時は教えてはくれず、取り急ぎそれだけを連絡くれた。


8.31にフロムTokyoのツーマン企画第二段が西永福JAMで決まっていた。相手はザ・ラヂオカセッツ。その発表を5.31の来場者特典での詳細に同封してお知らせするつもりだった。
ラヂカセの活動が今後どのように行われていくのか、、そして何よりメンバー三人の無事を祈って、僕は弱虫倶楽部とのツーマンに臨むしかなかった。


2日前にヒデから連絡が入った。
メンバーで話し合い、今年いっぱいは少なくとも全力でまた活動していく、という内容だった。
そして最後に、
「ツーマンやらせてください」
そう書かれていた。






___________

ザ・ラヂオカセッツとの出会い。
それは僕が人生で初めて東京に来た時まで遡る。
2011年の2月、まだ震災が起きる前の、ギラギラな新宿、その新宿のJAMというライブハウスで、当時地元札幌で活動していた、リンダリンダラバーソールというバンドでライブをした。そこで出会った、今はThree Questionsの内藤重人に、5月にJAM FESっていうのやるから出ない?と誘われた。
そして、その3ヶ月後にまた新宿JAMでライブをする事になる。
JAM FESにはたくさんの東京のバンドが出演していた。とってもキラキラしていた。素晴らしいメロディを持つバンドがたくさんいた。
その中で一際輝くメロディを放っていたバンド、それがラヂカセだった。
日付かわる深夜0時頃だったと思う。ストラトで歌うボーカルがそこにいた。出だしはボーカルとギターだけから始まるその曲を聞いた瞬間、初めてミスチルを聞いた時みたいなメロディの良さにグッと来た。曲は"古いギター"だったと思う。
「このライブが終わったら、すぐに東北の方にライブに行きます。」
とMCで言っていた。
震災が起きた後の東京。
ライブハウスでのバンドの在り方、音楽の在り方に変化があった。


僕はそのライブが忘れられずに、すぐにラヂカセのホームページからメールをした。するとボーカルのヒデからメールが返ってきた。
「6.11に札幌に行くTHEラブ人間、そのドラムのケンジに僕らのCDを預けたから聞いてくれ」
そんな内容だった。

2011年の6.11に東京からTHEラブ人間が札幌moleに来た。その日僕はソロで出演。ドラムのケンジとはその時初対面。リハが終わったあたりかな、、ケンジからラヂカセのヒデから預かった、とCDを受け取った。
そのCDにはJAM FESで聞いた"古いギター"そしてyoutubeでめちゃくちゃ聞いてた"東京"という歌が入っていた。
コインランドリーをバックに、メンバー4人がジャケットにうつっている姿はクールだった。

それからそのCDをめちゃくちゃ聞いた。


2012年の夏、リンダリンダラバーソールでフルアルバムのレコ発企画をスリーデイズで開催する事になった。東京からザ・ラヂオカセッツを初めて札幌に呼ぼうとなった。そして三日間とも出演してくれる事が決まった。
カウンターアクション、mole、LOG、僕が生まれた街にラヂカセの歌が染み込んで行く日々だった。本当に素晴らしい三日間だった。

そして、
リンラバは程なくして解散する事になった。
解散ツアーの東京最終公演にもラヂカセは出演してくれた。

翌年の春、僕は一人で東京に引っ越した。
また新しく東京でバンドをやりたいと、強い決意を持っていた。まずはメンバーを探そうと思っていた。ドラムで一緒にやりたいと思っていたのが、ラヂカセのペンだった。上京してすぐにペンに連絡して、サポートで叩いてもらう事になった。

ペンとのライブは二回だけだったけど、本当に最高な時間だった。ペンは常に一緒に歌ってくれる。ヒデの事を羨ましく思ったりした。

それから僕はまた別のドラムとフロムTokyoとしての音楽を続けてく。
ヒデとは弾き語りで、ペンとはふとライブハウスで逢ったり打ち上げで飲んだり。


上京したての頃、フロムTokyoのサポートをしてくれていた、ベースしゅんぺい、キーボードしげさん、ギターちょうたろう、そして僕の四人で高円寺で飲んだ事がある。確か夕方の4時くらいからだった。僕は途中で泥酔し、ペンのいる吉祥寺まで行って、そして泣いていた。

2年前くらいの春、ラヂカセが下北のMOSAiCでライブをすると聞いて向かった。
ライブが終わった後、ペンと一緒に近くのコンビニで焼酎を買い乾杯した、そして一緒に打ち上げに行く事になった。そこにはスタジオファミリアの店長のたくみさんもいて、いろいろ嬉しい要素が揃った僕はまた泥酔して、帰りの自転車を見失った。

ハートたちの秋村充が下北沢風知空知での自主企画に僕を呼んでくれた日も、そうだ。
出演者にはペンがいて、これまた打ち上げで泥酔した僕は、ペンの名前を何度も何度も呼んでいたらしい。

ヒデとゆっくり話すというのは、思い返すとあまりなかったように思う。
今年の4月8日に、川崎の元住吉powers2で、弾き語り同士でヒデとの共演があった。
上京してから毎年必ず同じメンツで開催してきた僕の自主企画を、ラヂカセのメンバー目当てで来てくれたアンザイさんという女性の方が、僕の詩を聞いてくれて誘ってくれた日だ。
僕は4月8日をすごく楽しみにしていた。
リハが終わって、ヒデとご飯を食べに行った。元住吉の商店街をゆっくり歩いてその先にあった唐揚げ屋さんに入った。バンドの話や私生活の話をたくさんした。
イベントが終わった後に、同じ内容でディスりたい事があった時は嬉しかった。
本当はそういうの良くないけど、その時はなんだか嬉しかった。


限られた時間の中でラヂカセのいろんな顔を、いろんな角度から見てきた。
ある日はお客さん、ある日はメンバー、ある日は共演者、ある日は何気ない友達。
僕はラヂカセが東京にいなかったら、あの時上京したいと思わなかったんじゃないだろうか。そんな事すら思った。


今気付いたけど、ラヂカセが初めて札幌来たのは夏じゃない。
2012年の2月だ。
リンダリンダラバーソール、THE BOYS&GIRLS、サジカゲン、ラヂカセの4マン。
https://youtu.be/NqJ81D437vM
僕、坊主の伸びかけみたいな頭だ笑。



結局のところ、
僕は東京来てからザ・ラヂオカセッツとバンドサウンド同士でしっかりとぶつかった事がなかったんだ。

だから、
昨年かな。新宿JAMでラヂカセとボイガルがツーマンやってるのは見ていて本当に悔しかった。でも自分の今いる場所も重々承知していた。だから、僕は客としてそこにいる事しか出来なかった。


2018年。
ツーマン企画の第2段、夏。
ラヂカセとしかやりたいと思わなかった。ここでやらないと、僕は先に進めないと思った。
そんな最中の5.31のヒデからの連絡だった。
もしラヂカセがどうしてもライブ出来ないなら、ワンマンしかないと思った。
"ツーマン"とはそういう気持ちで臨むものだと思っていた。


フロムTokyoとザ・ラヂオカセッツは8月31日に西永福JAMでツーマンライブをやります。
あなたの人生に、どうか僕らの人生の賛美歌が染み渡りますように。
そんな願いを込めて、フロムTokyo企画として開催。

_________
2018.8.31
西永福JAM
フロムTokyo presents
"WE ARE  THE ROMAN'S"
-凍りついた暗闇の坂道を上るツーマン-夏
OPEN19:00
START19:30
ADV¥2400
DAY¥2900
+1drink¥600

出演
フロムTokyo
ザ・ラヂオカセッツ


予約は各バンドから可。

フロムTokyo HP
ザ・ラヂオカセッツHP

こちらへの予約もどうぞ。


コメント

このブログの人気の投稿

8.26"生きる事の意味なんて誰も聞いちゃいないぜ。"

    この気持ちをなるべく早めにここに残しておく。 今日のライブで6月から続いた毎月末のリンラバのライブが一旦一区切りした。 8月末の夜は、汗が滝のように溢れて、目眩がしそうなくらい輝いていた、ように思う。 新しい曲を書くのなんて当たり前過ぎて、偉そうに新曲です、なんて言う必要無いんだけど、頑張って歌詞を書いたから、少しくらいいいだろう、と思ったりしながら本編最後の曲を歌っていた。 声は枯れるし、髪の毛はびしょびしょで、Tシャツはへばりついて、もうちょっとクールにカッコ付けて熱くならずにやれないもんかと、今まで何度も思ったわ。僕は熱い人が苦手だけど、どう考えても、いつも熱くなって歌ってしまう。 きっと、真っ直ぐなんて綺麗なもんじゃないし、何だかうまく言えない居心地の悪い気持ちが、時折目の前を横切るけど、それにさえ素直になって、もっと自由に、でも優しい詩が歌えたらいいのに。 ただ、ライブをやるだけで、全てが満たされるような、そんな時間が出来る限り、ライブ中に長く感じられたらいいな、とライブしながら思っていた。 もっと上手く歌えたら、もっと上手くギターが弾けたら、もっと上手くリズムが取れたら、もっと自由になれるのかな。 分からんけど、でも僕は、これから先、全く別人になるくらいに変わっていかないと、変わらずにいれないんじゃないかな。 それは、今夜のライブが今までで一番良かったと、4人が思えたからだ。 あと、少しだけ、また東京で1人で歌いたいなと思ったりもした。久しぶりだ。 元気になっているのかもしれない。 いや、、ずっと元気なはずなんだけど。 とにかく、もっともっと新しい曲を書いて、どんどん良くなっていきたい。 今日の新曲の歌詞を載せて終わる。 8.26、札幌LOG、リンダリンダラバーソール ありがとう。 "未来"  地球で遊んでた頃の記憶 子供のふりした私利私欲 止まった時計の針を指で回してた ずっと先の過去からずっと この国道を南へ向かう 僕たちはそれがなんなのか 分かっているはずなのに 素直になれずに子供のふりをしていたんだ "誰かの為に自分らしくいる事" それは正しいから 「そのままでいてね」って、 世界は言う でも自由だよ、未来。 命かけてく 生きてるうちに 間違えた事 間違いじゃない 信じるモノが無いなら神を恐れ

7.4"あの直線的な透明感を求めて。"

  書かずに三ヶ月以上も経ってしまった 今年の3月下旬、 内藤重人with???でのグレフルでのライブ以降の話になる。 あれから少しだけ経って、シゲさんと一緒に作った"Re:tters"が配信された。 シゲさんのトラックに僕がメロディと詩を書いた。一度書いたものを全部消して、また一から書き直したんだけど、シゲさんが喜んでくれていたのが一番嬉しかったし、頑張って書いた甲斐があった。沢山の人にこの曲が届け!!って感じとはまた違うんだけど、この瞬間にしか書けない温度が詰まってますので気が向いたら触れて欲しいです。 https://open.spotify.com/album/1eaJrBFGdIQGkcoDN8zQHv?si=6v5CUSXQRP2-DqcFvUY3tg 季節も移り変わって、春になっていた。 しばらく書いてなかったから少しずつ思い出しながら書いていく。 4月に入ると、7日と10日に両日ともに下北でライブがあった。佐々木泰雅ソロってやつ。7日はロクヨルのいずみさん、10日はDY CUBEのみえださんに呼んでもらった。どちらのライブも、とても良い詩が歌えた自信があった。だけど、それから佐々木泰雅ソロのライブは今日までやっていない。またいつか出来る日が来るだろうか。それは明日かもしれないし、10年後かもしれない。うまく説明出来ない心の重々しさが晴れた暁にはやりたい。 5月に入り、ゴールデンウィークのほとんどを札幌で過ごしていた。2日から7日まで。 リンラバの練習がメインではあったが、中高の友達とゆっちの家でバーベキューして、夜に海を見に行ったのがハイライトだろう。海はとっても寒かったけど、軽やかな風が吹いて心が弾んでいた。こんな気持ちでバンドや音楽を死ぬまでやっていたい。 5月の下旬になり、シゲさんのPaleというアルバムのツアーファイナルにfeaturingゲストとして佐々木泰雅で出させてもらった。 素直に大切な日に呼んでもらえるのが嬉しかったし、佐々木泰雅としてやれる事を精一杯やろうと思った。ちょうど一年前の3月に、同じくラママで、シゲさんのAUMADOKIのツアーファイナルにベースとギターで参加してから一年と少し経っていた。 あの日は、咳止めを1日に飲んで良い限界まで飲み、喘息の薬も使ってステージに立っていた。 なんて事を当日思い出さな

12.3"死ぬまで歌う事は出来ない"

  2023年は丁寧に生きることを心がけた年だった 喉にしても、体調にしても、いつも今まで以上に気を遣って生きた そうじゃないと、絶対に辿り着けない自分の理想があったし、もう2度とあんな敗北的な気持ちにはなりたくないと強く思っていた 1人で歌う事を止めて、ほとんどバンドでの時間に費やした ライブ本数で言うと僅かだが、365日のほとんどがバンドの事でいっぱいだったと思う それくらい一本一本懸けていた バンドは今はリンラバだけしかやってないので、イコール、リンラバの事ばかり考えていた事になる これについて客観的にも自分を冷静に見ていた だからこそ、しっかり曲も書いて、ちゃんと歌いきって次に進んで行かなければいけない そんな時に体が耐えられなければ話にならない 昨日はリンラバの6年ぶりのワンマン、 15曲のセットリストを駆け抜けられるように最善を尽くした サトシを含めた5人編成の新曲"OverDrive"は僕のソングライティングのまだまだ一部だと思ってもらいたいと(ポジティブな意味で)歌いながら考えていた まだまだ色んな世界を書ける事を伝えていきたいし、見せてない曲達なら沢山あるんだ そして、曲なら死ぬまで書けるかもしれないが、それよりずっと前に詩は歌えなくなるんだろう 詩が歌えなくなっても僕は曲を書き続けるのかは分からないが、今この瞬間を一番若く生き続けられるように、これからまだまだ素晴らしい詩を歌えるように、もっともっとすごいライブが出来るように、また今この瞬間から頑張って鍛え直すつもりだ 佐々木泰雅