一緒に叶えよう リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ 4月 28, 2022 日が昇って来た4月28日。ベランダから吹いてくる涼しい風。今日起きた事にくるまってこれからも優しい気持ちに何度だってなれる。オレも何気なくかけがえのない優しさを音楽に変えて行くよ。しっかりと、しっかりと、歌って行くよ。後3日で、東京に来て9年。凍りついた暗闇の坂道にしがみつけ。佐々木泰雅フロムTokyo。 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ コメント
⑭msr 12月 31, 2025 "2025年、mind soundへの旅” 2025年が始まり、1/9東新宿LOVE TKO、1/15阿佐ヶ谷ロンサム、1/24豪徳寺リーフルームと歌い、いよいよ2月1日の渋谷ラママでのワンマンにたどり着いた。この日々を綴ってきたブログは一旦これがラスト。読んでくれてる方がいるなら、ありがとう。これから今年の2月1日の事書いていく。 ワンマンでは、3曲のバンド演奏、レコードの発売、今日の手紙の展示、という事を試みた。 3曲のバンド演奏をやるにあたり、ドラムに大谷ペン(ザ・ラヂオカセッツ)、ベースにヨシヒロシュンペイ、キーボードに内藤重人を呼んだ。2013年の上京したての頃に声をかけて集まってくれたメンバーと同じだ。超太郎にも連絡したが、タイミングよく連絡が取れなかった、ここでは正直に書くが、とても本当は一緒にやりたかった。スタジオは2時間くらいの練習で十分なくらい、特に言うこともなく、良い演奏の準備が出来た。あとは自分が頑張ればいい。 レコードを発売するにあたって、色々と考えなくてはいけない事があった。まずなぜレコードかというと、制作の過程を経験したかった、というのが実は理由の一番にあった。そしていつかレーベルというものの機能を自分に持たせたいと思った事もあり、そのレーベルの語源をたどると、レコードの中心にある「アーティスト名」や「曲名」を記載した「ラベル」からきてる事を知り、尚更、まずはレコードだなと思えた。しかし、アナログレコードをまず作成出来る会社がそんなには無く、かつ金銭的な事などを考えたりすると、プレスする余裕はなく、どうしようと思っていたところ、大分に、一枚から作成出来る会社を見つけた。職人のダイレクトカッティングで作成するダブプレートと呼ばれるそれは、60年代のレゲエシーンに由来を持つ。「サウンドクラッシュ」と言われ、自分たちの音源を爆音でスピーカーで鳴らし合うスピード感が大事なそのバトルにおいて、プレスしてる暇はなくかつローコストで作成できるところからダブプレートという手法が重宝されていたとの事で、まさに自分の置かれてる状況下に近いものがあり、これだと決めて、3枚だけ制作を依頼した。 レコードが自宅に届き、再生した時は流石に感動して、ずっと眺めていた。 ここでは正直に書くが、それでも一枚あたり1万円程の制作費がかかる(枚数が増えれば単価... 続きを読む
⑫どうしようもなく小さな空 12月 31, 2025 2024年の12月20日、路上ライブでまた吉祥寺で歌おうと思った。 前回の高円寺や新宿東南口よりも少しばかり安心感があるのには理由がある。 何度もブログにも書いてはいるが、上京したての頃や、札幌から遠征で東京に来ていた時も、何度も何度も吉祥寺の街で歌ってきたのだ。 ”2025年、mind soundへの旅”と名付けた渋谷ラママワンマンへの日々。 その一つにこの吉祥寺という街を選んだ。場所はダイヤ街というアーケード街。ここで何度も何度も歌ってきた。少しだけ街の景色は変わり、あの日のダイヤ街とは、もう匂いが違っていたけど、それでもまずは声を出さなきゃ始まらないし、変わってしまったのは僕も同じなのだ。 あの頃は何一つ路上で歌うことが怖くなかったが、この時は声を出すのが恥ずかしくなった。出来る限り自分の詩を歌おうと歌っていたら、結局自分の曲しか歌っていなかった。1時間半くらいで、立ち止まる人も誰一人いない東京の12月の寒空の中、僕はアコギをケースにしまい、すっかり冷えてしまった足首をさすりながら京王線の駅へとまっすぐに歩いた。前回の高円寺では1曲しか歌えずに、帰り道で泣けてきた事を思い出して、それよりはマシか。。なんて思いながら各駅停車の列車に乗って、車窓から東京の夜空をただ見ていた。 僕はいつまで詩を歌えるか。少なくとも1秒後はまだ声が出るし、詩も歌えるし、なんなら叫ぶ事だって出来るだろう 。 続きを読む
⑩直線と曲線の交差点 8月 09, 2025 いつまでも終わりたくないけど、 終わりがあるから解放される事もあって。 僕の音楽もいつか必ず終わるから、 まだまだ歌わなきゃって思えるんだろう。 路上ライブを初めてやったのははっきりとは覚えていないけど、 本当に心から震えながらやっていた気がする。 札幌で7年くらいバンドやソロでステージに立つにつれて、 ステージに立つことへの恐怖は消えていった。 いつからか全く緊張もしなくなったし、今思うと20代前半の圧倒的な自信があった。 けど、たまに路上で歌うと、まるで初めてライブするかのようなドキドキに襲われる。 上京する半年前の2012年の大みそか、この日から、東京に行く寸前まで、 毎週、札幌の狸小路で路上ライブをした。 初日の大みそかの日の1曲目は、チャットモンチーの恋愛スピリッツ。 信じられないくらいの極寒で雪も降ってなかったけど、3人くらい見に来てくれたのを良く覚えてる。3人は僕の事を覚えているだろうか。 気付けばクリスマスや大みそかや正月なんていうイベントごとは家でゆっくりするようになったけど、かつてはそういう日こそ街に繰り出していた。随分とださくなった自分を感じるが、これからは別の角度で何か新しい自分を見つけれたら良いのかもしれない。 2025年の12月14日に久しぶりに、新宿東南口で路上をやった。 上京した2013年頃は、よくここへ自転車で来ては歌っていた。元旦から3日間連続で歌おうとした事もあった。サラリーマンたちと一緒に歌ったりもしたし、警察にも何度も止められた。かなり思い出深い場所であるが、背中を甲州街道が駆け抜けてるので、なかなかに過酷だ。ちなみに僕はマイクやアンプを使わない。東南口ではそういや生声の人は見た事がない。 久しぶりに東南口で歌ってみたが、こんなにも過酷なのかと思い知らされた。 全力で声を張り上げないと全く聞こえない。 でもこの感覚だ、これがまた味わいたくて、ここへ来たんだ。 路上が終わったあと、どこからともなく男性がはなしかけて来た。 路上ライブに興味があるみたいだった。 僕の詩を聞いていた訳ではないが、はなしかけてきてくれたのは少し嬉しかった。 来年2月1日に渋谷でワンマンやるんで来てください、と伝えたら、ありがとうございます、と言って彼は新宿の街に歩いて行った。 彼はワンマンには来なかったけど、どこかで旅を続けているかもしれない。 幸運... 続きを読む
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