今日も海が青い リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ 4月 23, 2022 今日も空が青い下北沢の街には嘘みたいに人が沢山いて、僕は太陽が一番高く昇る時間にいつものウィンドブレーカーを着て、走る。しばらく走りきれなかった距離をなんとか今日はクリア。自分を褒めたい。少しずつ変わり出しているんだよ。元の場所には戻れないけど、取り戻そうとしているんだ。きっと行けるさ。あの日みたいな未来に。明日も心の空は青い佐々木泰雅フロムTokyo リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ コメント
⑧最後の旅 6月 24, 2025 それまでの自分に比べたら2024年の11月はライブを沢山やった。 自分のライブは4本。大塚SOHO、茅場町TAKAITOW、阿佐ヶ谷ロンサム、 浅草Gold sounds。ライブが増え始めて来てから初めて出るようになったライブハウスに立て続けに出演させてもらった。相変わらず動員は無さすぎるが、ライブは頑張った。どれも、その瞬間最高なモノを出した。 その月の最後のライブは西永福JAMで、内藤重人のバンドでギターを弾く日だった。 新宿JAMの頃から数えたらもうどれくらいライブしたか分からないくらいやった場所。 でも、サンプラーとエレキギターでライブするようになってからは、いまだに西永福JAMには出演していない。 いつか最高な形で出演したい。 内藤重人のバンド編成には何度も参加させてもらって来た。 僕が歌えなかった時に、誘ってもらって、一度抜けたりもしたけど、また一緒にやらせてもらってる。一度離れた時に、一緒に曲まで作ったのに、何故かまた戻って一緒にやり始めた時の感情があまり思い出せない。少し強くなれてたらいいんだけど。 この日見たNO FUNがめちゃくちゃ良かった。 10年以上前に、京都GLOWRYで、当時ピアノガールってバンドのボーカルだった彼に挨拶をさせてもらった記憶があって、今はNO FUNのボーカルって事で、ここで繋がるのは嬉しかった。彼は多分覚えてないだろうけど。 珍しく、打ち上げで話せる人が沢山居て安心するなぁと感じる日だった。 ギターの歪みを褒めてもらえたのも嬉しかった。 2024年の11月の5本目のライブが終わって、僕はいよいよ翌年のワンマンまでの日々をツアーと銘打ちながらライブを始ようとしていた。 次回はそこから。 続きを読む
⑥手紙に出来ない思い 6月 14, 2025 ワンマンまでの日々を、ツアーと銘打つまでには、ワンマン発表から2か月の時間がかかった。 それまでに何を感じていたかを今正確に思い出すのは難しいが、2024年の11月8日に大塚SOHOでライブした日を境に、めちゃくちゃ久しぶりに”今日の手紙”を復活させた。これは2013年5月1日に東京に引っ越してきて、その翌日から出演したJAMFESで書き始めたものだ。何かに感化された訳でもなく、必然的に気づいたら書いていた。新宿JAMの1階のスタジオ前に、雑に作られた物販スペースがあり、僕は遠慮気味なのかB5サイズで印刷したその手紙を並べていた。酔っぱらった奴らがその上にビールグラスを置いているのを見て、許せなかったのを今でも覚えている。 それからしばらくは、ライブの度にその手紙を書いていた。”今日の手紙”なんて名前も、当時は何もついてなかった。ただ、自分にとって必要な行為だった。いつからか分からないが、今から5年前くらいから、ぱったりと書くのを辞めてしまった。それはライブに対する気持ちの変化と直結していたと思う。寂しいことです。 でも、僕は、やっぱりライブは辞めれなかったし、何か月もライブがない日々も、毎日毎日ライブや音楽の事を思って電車に乗ったり降りたりした。ライブだけがやりたいわけじゃないけど、ライブ以外の事がやりたい事なのかと自分に問うと、それはやっぱりライブや音楽の為にやってるんだという答えが何度も心の中で聞こえた。 何かに感化されて始めた訳じゃないこの手紙を書くという行為に、数年ぶりに自分で自分に感化されて、”今日の手紙”なんて名前まで付けて、また書き始めた大塚SOHOの夜。 ライブオファーの募集を見て連絡くれた店長の長谷部さんに感謝、めちゃくちゃ久しぶりだった。共演者はアコギで歌っていたが、僕はサンプラー、エレキギターで爆音でライブ。お客さんはシュンペイだけだった。でもとても嬉しくて来るのを入り口で待ち構えていた。 振り返ると、様々な出来事や行動の純度は低くなる一方だけど、未来を見てると、そんなことで走り始める事が出来なかった気持ちなんて、どこかへ吹き飛んでいた。 まだまだここからだと、 続きを読む
⑭msr 12月 31, 2025 "2025年、mind soundへの旅” 2025年が始まり、1/9東新宿LOVE TKO、1/15阿佐ヶ谷ロンサム、1/24豪徳寺リーフルームと歌い、いよいよ2月1日の渋谷ラママでのワンマンにたどり着いた。この日々を綴ってきたブログは一旦これがラスト。読んでくれてる方がいるなら、ありがとう。これから今年の2月1日の事書いていく。 ワンマンでは、3曲のバンド演奏、レコードの発売、今日の手紙の展示、という事を試みた。 3曲のバンド演奏をやるにあたり、ドラムに大谷ペン(ザ・ラヂオカセッツ)、ベースにヨシヒロシュンペイ、キーボードに内藤重人を呼んだ。2013年の上京したての頃に声をかけて集まってくれたメンバーと同じだ。超太郎にも連絡したが、タイミングよく連絡が取れなかった、ここでは正直に書くが、とても本当は一緒にやりたかった。スタジオは2時間くらいの練習で十分なくらい、特に言うこともなく、良い演奏の準備が出来た。あとは自分が頑張ればいい。 レコードを発売するにあたって、色々と考えなくてはいけない事があった。まずなぜレコードかというと、制作の過程を経験したかった、というのが実は理由の一番にあった。そしていつかレーベルというものの機能を自分に持たせたいと思った事もあり、そのレーベルの語源をたどると、レコードの中心にある「アーティスト名」や「曲名」を記載した「ラベル」からきてる事を知り、尚更、まずはレコードだなと思えた。しかし、アナログレコードをまず作成出来る会社がそんなには無く、かつ金銭的な事などを考えたりすると、プレスする余裕はなく、どうしようと思っていたところ、大分に、一枚から作成出来る会社を見つけた。職人のダイレクトカッティングで作成するダブプレートと呼ばれるそれは、60年代のレゲエシーンに由来を持つ。「サウンドクラッシュ」と言われ、自分たちの音源を爆音でスピーカーで鳴らし合うスピード感が大事なそのバトルにおいて、プレスしてる暇はなくかつローコストで作成できるところからダブプレートという手法が重宝されていたとの事で、まさに自分の置かれてる状況下に近いものがあり、これだと決めて、3枚だけ制作を依頼した。 レコードが自宅に届き、再生した時は流石に感動して、ずっと眺めていた。 ここでは正直に書くが、それでも一枚あたり1万円程の制作費がかかる(枚数が増えれば単価... 続きを読む
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