スキップしてメイン コンテンツに移動

2020.10.24 日本語と恋のすべて

 


暑さで目が覚めた。
いつのまにか寝てしまっていて、汗を沢山かいていた。

僕が住んでいる下北沢の街は、毎日忙しなく人が行き交う街だ。
真夏の太陽がギラついていたある日、この街で未完成の澤田さんと逢う事になった。
ガストでご飯を食べて、煙草が吸える喫茶店に行った。
シュタインズゲートってゆうアニメがめちゃくちゃ面白いから見ろ、と言われて、そーいや以前にもそんな事澤田さん言ってたなー、って思い出した。僕が、澤田さんはソロで歌ったりはしないんですか?と聞くと、ぜんぜんやるよ、一緒にやる?と軽い感じで言ってきたので、僕も軽い感じで、やりたいです!と言った。
まずはシュタインズゲート見てからだな、と別れ際に澤田さんは言い残してった。
家に帰ってプライムビデオでシュタインズゲートを見た。言ってた通り7話くらいまでは全然面白くなかった。けど、そこからは驚く程に引き込まれて感動した。何故かOfficial髭男dismのすげー売れた有名な曲の歌詞とジャケを思い出した。ちょうど季節はシュタインズゲートの世界と全く同じで、8月の12日から17日あたりを、僕も行ったり来たりしていた。


澤田さんと、そもそも逢うのは2年振りだった。僕は随分と色々な事を忘れたけど、やっぱり随分と覚えてるもんだなー、とも思った。
そうだった、バンドでツーマンやる予定だったんだよね。そんな日が来る可能性があった過去の事、そんな日がこれから来る可能性のある未来がある事、あの日のbridge、ベッシー、コロニー、ラママ、そしてスピリチュアルラウンジ。やっぱり随分と覚えてるもんだなー、とも思ったし、随分と色々な事を思い出さなくなった。
僕が20才の頃に未完成VS新世界に出逢ってから、僕は随分と大人になった。大人になる、ってどういう事なんだろう。よく考えてみたら、大人になんてなれているんだろうか、そもそも20才の頃も十分大人だったんじゃないだろうか。あの頃歌えてた歌は今でも歌えるけど、あの頃歌いたいと思えてた事を、今も歌いたいかというとそうではない。未完成VS新世界は日本語で恋を歌っていた。恋の歌以外、澤田さん歌ってたっけ?って考えても思いつかないくらい、澤田さんの歌には恋と女の子が登場していた。僕も影響を受けてラブソングを書くようになった。そして影響を受けてラブソングを書かなくもなった。未完成VS新世界が活動を止めて、ライブが無くなってから、少しずつ僕も音源で未完成を聞く機会が減っていった。

ハートたちのみつるに紹介してもらって勤めだした職場は長続きしていた。今まで働いた職場ん中で、気づけば一番長く働いている職場になった。
未完成のベースの安田さんが僕の職場に入社してきた。そんな事が東京で起こるなんてなー、と思いながらも、ふつうにとっても嬉しかった。安田さんはいつも自分のバンドの曲を聞いている、と言ってた。それはすっごくかっこいい事だって僕は思った。今年の3月20日に安田さんと二人で吉祥寺の串鳥に行った。札幌でも串鳥には行った事なかったし、なんなら札幌に住んでた頃は居酒屋なんて好きでもなんでもなかった。安田さんの後輩が店長で働いてるっていうのもあり、二人で行ってみた。札幌の話や職場の話を沢山した。やっぱり随分と色々覚えてるもんだなー、と思った。
春が来て安田さんは札幌に帰って行った。

7月の終わりに、澤田さんが久しぶりにブログを更新していた。見ると安田さんの事が書いてあった。その頃、どうでもよくないうた、を聞いていた。少しずつ音源で未完成を聞く機会が増えていった。
youtubeのライブ映像で、僕が歌う君の歌、という曲を見つけた。
このクソくだらない世界になんなきゃ見れなかったかもしれないから、少しだけこんな世界に感謝したりした。

歌いたい事、と、歌わなきゃいけない事だけを歌う事だったり、この歌が終わった瞬間にもう2度と歌えなくなったっていい、だったり、君が僕の事嫌いでも生きてけないなんて事は多分ない、じゃー僕は今なんで生きているんだろう、だったり、君の事幸せに出来ない人生に一体何の意味があるだろう、だったり。

僕も、本当はずっと、日本語で恋の歌を歌いたかった。そして、これから歌える可能性がある未来がある事、ここに書き記しておきます。

____________________________________

2020.10.24(土)
下北沢ニュー風知空知
佐々木泰雅(フロムTokyo)企画
「日本語と恋のすべて」

OPEN18:30
START19:00
TICKET¥2500+1drink order
※来場者特典あり
※配信あり

出演
佐々木泰雅(フロムTokyo)
澤田健太郎(未完成VS新世界)

※30名限定で来場可
(出演する2人の曲を1曲ずつ収録した弾き語り音源を来場者全員にプレゼント致します)

※配信について
(佐々木泰雅のFACE BOOKアカウントにて無料でライブ配信致します。URLはこちら↓↓)


暑さで目が覚めた。
いつのまにか寝てしまっていて、汗を沢山かいていたけど、これを書いているうちにだいぶ汗も引いていった。

僕が住んでいる下北沢の街は、毎日忙しなく人が行き交う街だ。
澤田さんは下北が苦手だと言っていた。
でも少し嬉しそうに笑っていた。
僕もです、と少し嬉しそうに僕も笑った。

佐々木泰雅
フロムTokyo












コメント

このブログの人気の投稿

8.26"生きる事の意味なんて誰も聞いちゃいないぜ。"

    この気持ちをなるべく早めにここに残しておく。 今日のライブで6月から続いた毎月末のリンラバのライブが一旦一区切りした。 8月末の夜は、汗が滝のように溢れて、目眩がしそうなくらい輝いていた、ように思う。 新しい曲を書くのなんて当たり前過ぎて、偉そうに新曲です、なんて言う必要無いんだけど、頑張って歌詞を書いたから、少しくらいいいだろう、と思ったりしながら本編最後の曲を歌っていた。 声は枯れるし、髪の毛はびしょびしょで、Tシャツはへばりついて、もうちょっとクールにカッコ付けて熱くならずにやれないもんかと、今まで何度も思ったわ。僕は熱い人が苦手だけど、どう考えても、いつも熱くなって歌ってしまう。 きっと、真っ直ぐなんて綺麗なもんじゃないし、何だかうまく言えない居心地の悪い気持ちが、時折目の前を横切るけど、それにさえ素直になって、もっと自由に、でも優しい詩が歌えたらいいのに。 ただ、ライブをやるだけで、全てが満たされるような、そんな時間が出来る限り、ライブ中に長く感じられたらいいな、とライブしながら思っていた。 もっと上手く歌えたら、もっと上手くギターが弾けたら、もっと上手くリズムが取れたら、もっと自由になれるのかな。 分からんけど、でも僕は、これから先、全く別人になるくらいに変わっていかないと、変わらずにいれないんじゃないかな。 それは、今夜のライブが今までで一番良かったと、4人が思えたからだ。 あと、少しだけ、また東京で1人で歌いたいなと思ったりもした。久しぶりだ。 元気になっているのかもしれない。 いや、、ずっと元気なはずなんだけど。 とにかく、もっともっと新しい曲を書いて、どんどん良くなっていきたい。 今日の新曲の歌詞を載せて終わる。 8.26、札幌LOG、リンダリンダラバーソール ありがとう。 "未来"  地球で遊んでた頃の記憶 子供のふりした私利私欲 止まった時計の針を指で回してた ずっと先の過去からずっと この国道を南へ向かう 僕たちはそれがなんなのか 分かっているはずなのに 素直になれずに子供のふりをしていたんだ "誰かの為に自分らしくいる事" それは正しいから 「そのままでいてね」って、 世界は言う でも自由だよ、未来。 命かけてく 生きてるうちに 間違えた事 間違いじゃない 信じるモノが無いなら神を恐れ

7.4"あの直線的な透明感を求めて。"

  書かずに三ヶ月以上も経ってしまった 今年の3月下旬、 内藤重人with???でのグレフルでのライブ以降の話になる。 あれから少しだけ経って、シゲさんと一緒に作った"Re:tters"が配信された。 シゲさんのトラックに僕がメロディと詩を書いた。一度書いたものを全部消して、また一から書き直したんだけど、シゲさんが喜んでくれていたのが一番嬉しかったし、頑張って書いた甲斐があった。沢山の人にこの曲が届け!!って感じとはまた違うんだけど、この瞬間にしか書けない温度が詰まってますので気が向いたら触れて欲しいです。 https://open.spotify.com/album/1eaJrBFGdIQGkcoDN8zQHv?si=6v5CUSXQRP2-DqcFvUY3tg 季節も移り変わって、春になっていた。 しばらく書いてなかったから少しずつ思い出しながら書いていく。 4月に入ると、7日と10日に両日ともに下北でライブがあった。佐々木泰雅ソロってやつ。7日はロクヨルのいずみさん、10日はDY CUBEのみえださんに呼んでもらった。どちらのライブも、とても良い詩が歌えた自信があった。だけど、それから佐々木泰雅ソロのライブは今日までやっていない。またいつか出来る日が来るだろうか。それは明日かもしれないし、10年後かもしれない。うまく説明出来ない心の重々しさが晴れた暁にはやりたい。 5月に入り、ゴールデンウィークのほとんどを札幌で過ごしていた。2日から7日まで。 リンラバの練習がメインではあったが、中高の友達とゆっちの家でバーベキューして、夜に海を見に行ったのがハイライトだろう。海はとっても寒かったけど、軽やかな風が吹いて心が弾んでいた。こんな気持ちでバンドや音楽を死ぬまでやっていたい。 5月の下旬になり、シゲさんのPaleというアルバムのツアーファイナルにfeaturingゲストとして佐々木泰雅で出させてもらった。 素直に大切な日に呼んでもらえるのが嬉しかったし、佐々木泰雅としてやれる事を精一杯やろうと思った。ちょうど一年前の3月に、同じくラママで、シゲさんのAUMADOKIのツアーファイナルにベースとギターで参加してから一年と少し経っていた。 あの日は、咳止めを1日に飲んで良い限界まで飲み、喘息の薬も使ってステージに立っていた。 なんて事を当日思い出さな

12.3"死ぬまで歌う事は出来ない"

  2023年は丁寧に生きることを心がけた年だった 喉にしても、体調にしても、いつも今まで以上に気を遣って生きた そうじゃないと、絶対に辿り着けない自分の理想があったし、もう2度とあんな敗北的な気持ちにはなりたくないと強く思っていた 1人で歌う事を止めて、ほとんどバンドでの時間に費やした ライブ本数で言うと僅かだが、365日のほとんどがバンドの事でいっぱいだったと思う それくらい一本一本懸けていた バンドは今はリンラバだけしかやってないので、イコール、リンラバの事ばかり考えていた事になる これについて客観的にも自分を冷静に見ていた だからこそ、しっかり曲も書いて、ちゃんと歌いきって次に進んで行かなければいけない そんな時に体が耐えられなければ話にならない 昨日はリンラバの6年ぶりのワンマン、 15曲のセットリストを駆け抜けられるように最善を尽くした サトシを含めた5人編成の新曲"OverDrive"は僕のソングライティングのまだまだ一部だと思ってもらいたいと(ポジティブな意味で)歌いながら考えていた まだまだ色んな世界を書ける事を伝えていきたいし、見せてない曲達なら沢山あるんだ そして、曲なら死ぬまで書けるかもしれないが、それよりずっと前に詩は歌えなくなるんだろう 詩が歌えなくなっても僕は曲を書き続けるのかは分からないが、今この瞬間を一番若く生き続けられるように、これからまだまだ素晴らしい詩を歌えるように、もっともっとすごいライブが出来るように、また今この瞬間から頑張って鍛え直すつもりだ 佐々木泰雅