2019.5.6 佐々木泰雅ライブ音源 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ 5月 07, 2019 2019.5.6 東京・新宿LOVE TKOでの佐々木泰雅×奥山漂流歌劇団のツーマンライブ 「タイトルなし」 佐々木泰雅のライブ音源をSound CloudとYouTubeで公開しました。 ほぼ無編集です。 色々荒削りではありますが、これからもっと良くなって行く兆しの空気を感じて下さい。 Sound Cloud https://soundcloud.com/da9tr93muwxu/201956-love-tko YouTube https://youtu.be/OMwUI_Cc7ro 佐々木泰雅 フロムTokyo リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ コメント
①1年前 5月 23, 2025 長くなりそうだがゆっくりでも書いていこう。 ちょうど1年前くらいの5月にニュータウンというバンドをやっていた柳田と吉祥寺で飲んだ。その少し前に渋谷ラママで開催された「少年の叫び2024」に僕は出演していて、そこで柳田と4年ぶりくらいに再会した。柳田はGABIGABIに出演していて、アコギで歌っていた。 出番が終わった柳田に話しかけて、一緒に矢野さんがやってる「はまこ」に行った。 それから少し経って吉祥寺のハモニカ横丁で柳田と待ち合わせをした。同い年であの頃新宿JAMで何度も共演してたけど、2人で飲むのは初だった。その日のハモニカ横丁は活気があり、立ち入った飲み屋の2Fから酔った客が路地に転がり落ちてきていたりした。僕らは、何気ない音楽の話や、生活の話なんかをした。柳田は、もうすぐ2人目の子供が生まれるんだ、と嬉しそうに言った。 あれから1年経つがそれっきりまた逢えていない。またハモニカ横丁に誘ってみようかな。2人目の子供もそろそろ1才になる頃かもしれない。 柳田と逢った少し後、初めて阿佐ヶ谷でライブする機会をもらえた。下北沢のモザイクやDYキューブでブッキングを担当してたミエダさんが僕を誘ってくれた。初めて出演する阿佐ヶ谷ロンサムで、僕は初めてサンプラーとエレキギターでライブをした。めちゃくちゃ緊張したし、どんな風に思われるか、分からなかったけど、自分にはこれしかないと思っていた。その日のライブを気に入ってもらえたのか、それからはロンサム店長の森本さんが、毎月のように呼んでくれるようになった。ライブがなかなか出来ていなかった僕にとってこれ程嬉しい事はなかった。 その頃、リンラバの2023年に作成していたデモをRemixしていた。よくDTMと向き合って1日に何時間もヘッドフォンをしていた。完成したものにゆっちが映像をつけてくれて、リンラバの2023年末までの活動が一段落ついたような気がした。作成した4曲は、今でもとても特別で、まだまだ何か伝えられる力を持っていると思っている。 青春の光 OVER DRIVE 未来 メロディライン 初めてまともに田高くんと話したのもこの時期かもな。一度豪徳寺で共演しているけど、あんまりちゃんと話してなかった。LOVE TKOでワンマンを終えた彼に少しだけでも逢えて良かった。 それからまた少しライブが空くんだけど、幼馴染の健太と... 続きを読む
⑧最後の旅 6月 24, 2025 それまでの自分に比べたら2024年の11月はライブを沢山やった。 自分のライブは4本。大塚SOHO、茅場町TAKAITOW、阿佐ヶ谷ロンサム、 浅草Gold sounds。ライブが増え始めて来てから初めて出るようになったライブハウスに立て続けに出演させてもらった。相変わらず動員は無さすぎるが、ライブは頑張った。どれも、その瞬間最高なモノを出した。 その月の最後のライブは西永福JAMで、内藤重人のバンドでギターを弾く日だった。 新宿JAMの頃から数えたらもうどれくらいライブしたか分からないくらいやった場所。 でも、サンプラーとエレキギターでライブするようになってからは、いまだに西永福JAMには出演していない。 いつか最高な形で出演したい。 内藤重人のバンド編成には何度も参加させてもらって来た。 僕が歌えなかった時に、誘ってもらって、一度抜けたりもしたけど、また一緒にやらせてもらってる。一度離れた時に、一緒に曲まで作ったのに、何故かまた戻って一緒にやり始めた時の感情があまり思い出せない。少し強くなれてたらいいんだけど。 この日見たNO FUNがめちゃくちゃ良かった。 10年以上前に、京都GLOWRYで、当時ピアノガールってバンドのボーカルだった彼に挨拶をさせてもらった記憶があって、今はNO FUNのボーカルって事で、ここで繋がるのは嬉しかった。彼は多分覚えてないだろうけど。 珍しく、打ち上げで話せる人が沢山居て安心するなぁと感じる日だった。 ギターの歪みを褒めてもらえたのも嬉しかった。 2024年の11月の5本目のライブが終わって、僕はいよいよ翌年のワンマンまでの日々をツアーと銘打ちながらライブを始ようとしていた。 次回はそこから。 続きを読む
③東新宿 5月 24, 2025 2024年の6月頃に出演した阿佐ヶ谷ロンサムを機に、僕はとにかくライブがしたくて、その旨を発信していた。それでもなかなか声はかからなかったので、自分から、ラママの石塚さんに連絡した。「サブステでもオープニングアクトでも何でもよいのでステージに立つ機会を下さい」と。 石塚さんはすぐに連絡をくれて、東新宿のLOVETKOで開催される、あずま君という方のイベントに交ぜてもらえることになった。ほぼ初めての共演者ばかりだったけど、エネルギーがある日だった。僕は1曲目にストラップが切れた、でも有意義な時間に感じたライブだった。出番が終わったあとに階段で休憩していると、その日出演していたナミタさんという女性のシンガーが話しかけてくれた。何やら茅場町でライブハウスをやっているという。色々と驚きながら話を聞かせてもらい、2本のライブに誘ってくれた。1つは吉祥寺ブラック&ブルーでイベントを打つ知り合いがいるのだが、苦戦しているので出てくれないかというもの。2つ目は11月に茅場町の自分のライブハウスで言葉に特化したイベントをやるので出てくれないか。というもの。どちらもとても嬉しかったので快諾した。ナミタさんのライブがその日一番良くて感動していたので、こちらから話しかけようとしていたところってのも、なんか良かった。 最後は主催のあずま君が出演者全員への思いを弾き語る形で終幕。もしかしたら終始怖い顔をしていたかもしれないが、本当に歌わせてもらえる事に感謝していた。 東新宿という土地は、札幌に居た頃から、僕にとってとても特別な匂いを放っていた。色んな事が始まったり終わったり、投げ出したり、また走り出せる場所だ。喧噪が少し落ち着いた国道の脇で、ビルの隙間から見える東京の空を見ては、「今夜もこの街で最強のライブをしよう」と、固く何度も決意していた。 続きを読む
コメント
コメントを投稿