東京には梅雨が訪れて、時折、壮絶な湿気に襲われる瞬間がある、もう少しで7月になる 昨年、最終日の深夜からしか行けなかったフジロックフェスティバルに、今年は初日から行こうと決めている。 昨年見たミスタースクラフっていうDJユニットのライブがめっちゃ最高だったのが、未だに忘れられないでいる。スゴく音楽が自由だった。 6月のライブが全て終わった。 6.26が6月最後のライブだったけど、自主企画でした。全部終わって帰ってきて、ドアを開けたまま、 そのまま玄関で寝てしまっていた。そんなの初めてで自分でもびっくりした。 5.31にJAMで一人で歌ったとこからずっと何かが繋がっていた。その日は、頭脳警察、外道、騒音寺のスリーマンのサブステージで出演しました。転換アクトって事で、3回歌う機会があって、4曲歌わせてもらった。一回目はOAのよいの魚が終わった後、2回目は騒音寺が終わった後、3回目は外道が終わった後。 震えた。あんなにちびりそうになったステージは音楽やりだしてから初めてだった。騒音寺のボーカルさんが楽屋通路でめっちゃかっこいい事をオレに言ってくれて、本当に泣きそうになりながら外道と頭脳警察の間で2曲歌った。歌い終わった後にまた震えて、本当に涙が出そうになったけど、堪えた。でもオレはあんとき確かにその日立ちはだかった高すぎる壁に挑んで、ちゃんと引き分けた。負けてもいいなんて一瞬も思わないで挑んで良かったなって、本当に心の底から思った。 頭脳警察が終わって、フライヤー配ってたら、何人かのお客さんから、今夜は君が一番良かった、って言われた。そんな訳あるはずないんだけど、そんな訳がその人達の中であったんだから、素直に受け止めた。 また震えた。 6月が来て、5日には初めて下北沢ERAでライブをした。その日の主役は間違いなく栗橋たくやってやつで、彼とは前の前のバンドの頃から対バンしていた。当時彼は「エレキ、火星の声」ってバンドをやっていて、サンバーストのストラトキャスターを弾いていた。声がミッシェルのチバみたいだって、僕の回りの誰かが口にしていた。 この日で一年間フロムTokyoを支えてくれたサポートドラムのぞえくんが最後の日だった。 ぞえくんはドラマーだけど、どちらかというと精神的な支柱だった。何度もヤバイときにドラムよりも、僕のケツを叩いてくれた。