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7月, 2023の投稿を表示しています

7.30"でも自由だよ、未来。"

  7.27 23時から前日リハにリンラバ4人で入る。 久しぶりに車でスタジオマグナムに向かう。 このスタジオに入るのもいつぶりだろう。。 余裕持って着いたけど既にゆっちがいた。 仕事で疲れた顔をしていたけど、元気そうだった。 あまり声は出さずに、曲の繋ぎとかを確認して少し早めに切り上げる。 スタジオから車で1人で帰るのも久しぶりの感覚だった。 7.28 朝10時くらいに起きると、実家の2階の別の部屋で甥っ子2人が扇風機の風を浴びながら寝ていた。 札幌は想像した以上に暑くて湿気もなかなかのものだった。 2人が寝てる風景は、夏休みの爽やかな風で風鈴が揺れてるような一枚の絵みたいで素敵だった。 スタジオ同様に久しぶりに車でライブに向かう。 狸小路よりさらに36号線側の駐車場に停めてmoleへ向かう。 リンラバ4人揃ってのmoleのステージは12年ぶりだ。 受付には未完成の4人がいて、澤田さんに少しいじられながら楽屋へ向かう。 少ししてシュリスペイロフの宮本さんが来たので初めて声をかける。 僕はシュリスペイロフがタワレコからサンプル音源みたいなやつを出した頃から、ほぼ全ての音源を聞いてきたファンなので少し緊張した。 リハーサルはリラックスしていたと思う。 確認したい事をさらっとやって早めに切り上げた。 澤田さんと少し話す。 澤田さんはいつにも増して饒舌だった気がした。エネルギッシュで僕もテンションが上がった。 オープン後、 一度moleから出て少し狸小路を歩いた。 また風景が微妙に変わっていて、あの頃感じていた札幌への気持ちも、また少しずつ違うモノになっていた。この微妙な変化に絶妙に対応出来る感性でいたいと思った。 最近良く聞いているエルトンジョンとw.o.dを聞きながらmoleへ戻る。 僕らの出番が近づいた頃に、撮影をしてくれるケンタとサトシが来た。2人は積極的にバックステージから本番、オフショットまで撮ってくれた。ケンタもサトシもずっと音楽やバンドが絡み合って、友達で居続けられていて、幸せだし、2人がリンラバのライブに居てくれると安心する。 未完成VS新世界のレコ発ツアーに呼ばれるというのは、僕の人生においてとても大きな事だ。 リンラバとして呼んでもらったのはこれが初めてだし、嬉しかった。 そんな喜びの気持ちで一曲目のメロディラインを歌い出せて、ドラムインしてからのリ

7.27"思い出になってしまっても、思い出せるならまだやれる"

  21才くらいの頃に勤めていた会社のボーナスで 僕はリッケンバッカーというギターを買った 360ジェットグローというモデルで濃いブルーの色をしたギターだ。 玉光堂ラフィラ店でそのギターを見つけてすぐに一目惚れした。 そもそもリッケンバッカーをいいなと思ったきっかけは、何を隠そう峯田和伸が使っていたからだ。ゴイステのDVD、君と僕とBEEのBEET戦争に収録されていた銀河鉄道の夜のイントロのギターの音を聞いて、リッケンバッカーが欲しいと思った。 手に入れたモノの、リッケンバッカーは気難しかった。仕様も独特、音も一筋縄ではいかなかった。だけど、僕の分身であり宝物みたいな奴だった。 2011年の6月11日に、THEラブ人間と未完成VS新世界が東京から来るイベントにリンラバが誘われた。だが、メンバーのスケジュールがつかず僕1人で出演する事になった。そして未完成VS新世界も澤田さんの指のケガで出演がキャンセルになった。ベースの安田さんはラブ人間と一緒に来ていて、ドラムのケンジはヒデちゃんから預かったラヂカセのCDを東京から持って来てくれた。その年の11月に、再度、ラブ人間と未完成が札幌に来るってなって、リンラバで出る事が出来た。その日で一度、ゆっちと外山君が抜けて、僕はリッケンバッカーを破壊した。 もう2度と4人で演奏する事は無いと思ったからだ。 それから、ギターだったケイがキーボードになり、僕はエレアコを弾き2人編成でリンラバを続けた。 そして翌年の12月に解散した。 それから半年経って僕は東京に来て、色んな事があったけど、あれから10年以上が経った。 解散ライブの時、4人で3曲くらい演奏した記憶が、僕は本当に楽しくて、もう2度と無いと思っていたけど、こんな日もあるんだなぁと最後の最後に感じていた。 20才くらいの頃に札幌moleがまだbridgeという名前だった頃に、外山君と一緒に未完成VS新世界を初めて見た。その少し前に僕は携帯の音源で、聞いていて、とても好きになり、ライブを見たくなったのだ。その日は、シュリスペイロフ、サジカゲン、サカナクションも出ていて、本当にすごい日だった。 それから僕は幾度となく未完成のライブに通った。 澤田さんが書く歌詞にどれだけ影響を受けたか分からんくらい、影響うけた。 ここ数年はちょこちょこ下北沢で一緒にコーヒーを飲んだり、たわいもない事

7.4"あの直線的な透明感を求めて。"

  書かずに三ヶ月以上も経ってしまった 今年の3月下旬、 内藤重人with???でのグレフルでのライブ以降の話になる。 あれから少しだけ経って、シゲさんと一緒に作った"Re:tters"が配信された。 シゲさんのトラックに僕がメロディと詩を書いた。一度書いたものを全部消して、また一から書き直したんだけど、シゲさんが喜んでくれていたのが一番嬉しかったし、頑張って書いた甲斐があった。沢山の人にこの曲が届け!!って感じとはまた違うんだけど、この瞬間にしか書けない温度が詰まってますので気が向いたら触れて欲しいです。 https://open.spotify.com/album/1eaJrBFGdIQGkcoDN8zQHv?si=6v5CUSXQRP2-DqcFvUY3tg 季節も移り変わって、春になっていた。 しばらく書いてなかったから少しずつ思い出しながら書いていく。 4月に入ると、7日と10日に両日ともに下北でライブがあった。佐々木泰雅ソロってやつ。7日はロクヨルのいずみさん、10日はDY CUBEのみえださんに呼んでもらった。どちらのライブも、とても良い詩が歌えた自信があった。だけど、それから佐々木泰雅ソロのライブは今日までやっていない。またいつか出来る日が来るだろうか。それは明日かもしれないし、10年後かもしれない。うまく説明出来ない心の重々しさが晴れた暁にはやりたい。 5月に入り、ゴールデンウィークのほとんどを札幌で過ごしていた。2日から7日まで。 リンラバの練習がメインではあったが、中高の友達とゆっちの家でバーベキューして、夜に海を見に行ったのがハイライトだろう。海はとっても寒かったけど、軽やかな風が吹いて心が弾んでいた。こんな気持ちでバンドや音楽を死ぬまでやっていたい。 5月の下旬になり、シゲさんのPaleというアルバムのツアーファイナルにfeaturingゲストとして佐々木泰雅で出させてもらった。 素直に大切な日に呼んでもらえるのが嬉しかったし、佐々木泰雅としてやれる事を精一杯やろうと思った。ちょうど一年前の3月に、同じくラママで、シゲさんのAUMADOKIのツアーファイナルにベースとギターで参加してから一年と少し経っていた。 あの日は、咳止めを1日に飲んで良い限界まで飲み、喘息の薬も使ってステージに立っていた。 なんて事を当日思い出さな