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七月の木

素直に書けたらいいなと思い、書いてみる。 なんとなく、2014年の夏の終わりくらいだった。 地元で同じバイト先になり、くるり、や、フジファブのコピバンを一緒にやった事のある吉田直弘が東京のぼくんちに住む事になった。 その後、フロムTokyoにギターとして参加してくれる事になったりした。 僕もちょうどギタリストを探していたし、何よりヨッシーのギターが凄く好きだったのだ。 狭い6.5畳くらいの部屋に27才の男が二人。 ある日、僕はサラバーズの、夏の夜、という曲を聞いていた。とてもいい曲だなと思った。すぐにギターを持って、なんとなく新曲のメロディを口ずさんでいたら、その曲つぎの新曲にしようよ、とヨッシーが言った。それが、July 、という曲だった。少し経ってフロムTokyoのスタジオ練習があり、そこでJulyを合わせてみた。これは、いい曲になる、そう思った。その日僕は新宿JAMでバイトをしていた。本当は出勤の予定じゃなかったけど、人が足りなくて、急遽、スタジオ練習以外の時間にドリンクカウンターで働いていた。僕が上のスタジオでJulyを合わせている間は、店長の石塚さんがドリンクカウンターに入った。ちょうどその時ステージでは、よもさん、が歌っていた。そして、石塚さんが見ているステージで倒れた。 僕らがスタジオから出ると、PAの山田さんがロビーにいて、今救急車でよもさんが病院に行った事を教えてくれた。 そして、そのまま、よもさんは死んだ。 その年のJAMFES、最後のステージでJulyをやった。アンコールの演奏中、ずっと、よもさんの匂いがしていた。 Julyという曲の事を考えると、いつもその日の事やJAMFESの事を思い出す。何かにしがみつかれて振り切る事の出来なかった夏の日のような感覚になる。 それから少し経って。 ハートたちの秋村充と渋谷のTSUTAYA前で待ち合わせをしていた。 やってきた充はジンをロックで飲みながら、Julyという曲が凄く好きだ、という話をしてくれた。そして、影響受けて曲も書いた、とも言っていた。 新宿JAMが無くなる寸前の2017年12月。 JAMの小さなスタジオで僕の企画を開催した。僕が上京した年に、シゲさんが下北の風知空知で開いてくれた企画、それの新宿JAMスタジオ版という感じだ。 予約特典として、充がミックス