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9月, 2021の投稿を表示しています

9.18

  これから少し筋トレやストレッチをしてゆっくり湯船に浸かってみる。何の報告か分からないけど、体調をゆっくり整えている。 バンドもやりたいしな。 バンドをやるには結構体力が必要なんだと分かった。 誰かと逢うってだけでも、結構体力がいるって事も分かった。 満足出来るホラー映画を探してる。 僕はいつからかホラーがとても好きになって、合わせてスプラッターものも好きになった。 ちょうどいいとこだと有名なのはエイリアンとか、テキサスチェーンソーとかかな。 アクションとホラーとヒーロー感とSFが混ざったら最高。 最近ずっとはまってるのがソウシリーズで有名なジェームズワン監督の死霊館シリーズだ。 今んとこ出てるものはスピンオフも含めて全部見た、そして全部面白かった。 10月1日に最新作が出るから映画館に行く予定だ。死霊館シリーズじゃなくてジェームズワン監督が手がけたやつで、ラ・ヨローナやライトオフもすごく良くて、僕はジェームズワン監督自体にハマっている。 全てに共通してるのが、怖すぎない、という点なんじゃないかなと僕は思ってる。 めちゃくちゃ怖いんだけど、ちゃんとそれに打ち勝つヒーロー的な人物が出て来るのが好きなところだ。 だから厳密にいうとホラーが好きな訳じゃないのかもしれない。 ウルトラマンのそれと同じで、 怪獣を倒してくれるヒーローが好きなだけかもしれない。

サビなら言える。

  小田急線は今夜も人身事故でダイヤが乱れていた。 誰にどう思われようが知ったこっちゃない奴は死ねるほどに強い。 その強さに憧れはしないけど、僕だってこのライブで死んでもいいやって思うほどに歌った事は何度もある。 誰にどう思われるかとか、このライブが終わった後に何があるとか、そんな事考えてライブしてる奴を軽蔑してる。 そんな事を思ってしまう自分がいたならば、ステージに立つ資格なんてないんだと、何度も自分に失望した。 新宿から発車した小田急線の車内、目の前には背の低めの、僕の母親と同じくらいの世代の女性がハンカチでおでこをふいていた。マスクをして、メガネをして、なんだかとっても逞しく生きてるようで、僕はなんでか泣きそうになってしまった。 何がどうなってもいいやって死ねるほど強い奴のせいでダイヤの乱れた小田急に乗ってるその女性は、少なくとも自殺したやつよりは絶対強いと思った。 この先起こる事をどうでもいいやってやっぱり思えなくて、ちゃんと反省して人のせいにあんまりせずに生きていけたらいいな、ってそんな事を思った。 斜め上を見上げれば、車内モニターにそれとなく画質の良いCMが流れてて、それとなく整った、それっぽいストーリーが繰り広げられてた。 自分でMVや曲を書いてみるとすごくわかるんだけど、絶対そんなもの作りたくなんてなくて、やっぱり自分のストーリーを書いていたいんだ。 結構前に、難波ロケッツの店長カサゴさんが、ファイアーループでのライブを見に来てくれた時、僕がライブで死んでもいい、って言った事について、そのあとメールで言及された。 どうやら少し前に知人が亡くなったらしい。 ステージに立つ人は、死にたいくらいに悲しい人を少しでも元気付けて欲しい、ってそんな内容だった。 言ってる事は100%分かった。 そして、僕は悲しい詩と優しい歌、どちらも好きだと思った。 つまり、自殺志願者が線路に飛び込むスピードで生きていきたい、という事だ。 なんて事を、クリープハイプの二十九、三十を聞きながら考えていた。 20代に置いてけぼりにしてしまったモノを取り返したいけど、今の僕には読点がものすごく高く立ちはだかる壁に見える。

つまらない日々。

   テレキャスとリッケンのオクターブチューニングをしたり、メンテしたりしてみた。 ギター達も元気になって嬉しそうだ。 僕のテレキャスはhistoryってメーカーのもので、2015年に買ったんだけど、その前にアサトから借りていたFenderテレキャスカスタムショップの音が忘れられず、それを店員に伝えて、オススメされたものを購入。カスタムショップを忘れられない人向け、との事だ。 色も濃い青が良くて、ちょうど工場に在庫が1本あると聞き、買ったのです。historyってメーカーがどーとかは全然気にせず見た目と色で決めた。 島村楽器で買ったんだが、後で気付いたらhistoryが自社ブランドだった。 普通に自社を買わされただけなんだろうけど、知らなかった僕からしたら、知らなかった事が全てなのでそれでいーし、実際ずっと大好きな1本です。 リッケンに関しては21才くらいの時に、当時正社員で働いていた会社からのボーナス二回払いで買った。 こちらも青で、360ジェットグローというモデル。リッケンに憧れる理由として、ピートタウンゼントやビートルズがメジャーだけど、僕は完全にゴイステ。峯田が使っていた黒いやつ、たぶん360じゃないかな? ラママでの童貞たちのクリスマスイブのDVD見過ぎて、憧れて買った。 もう2度と使わないと思ってライブでぶっ壊したけど、また色々あって使えるようになってる。 おそらくミッドからローあたりのピックアップの音が出ていない。 これが直れば贅沢な音に戻ってくれるはず。 こーゆーブログはつまらない。

想いを感じる時

   熱いのが嫌いになった。 また一つ何かが終わった。 というより、行くとこまで行った、。 必死ならきっと思わないかもな。 熱いとか、ダサいとか、そんな事考えている余裕は無いだろうし、どうでもいい。 ただただ、はっきりとくっきりと視界がクリアになるだけ。 今はぼやけてる。本当に目も悪くなったんじゃないかと感じるくらい、疲れてるからなのか、視界がぼやける。 健康診断での視力はむしろ良くなった。 両目ともに裸眼で1.2。人生で今一番視力は良い。 でもどんどん何か見えないモノが増えている。聴力も全く問題無いけど、聞こえないモノが増えている。目に見えないモノ、耳には聞こえないモノ、それが分かんなくなったら、ステージには僕は立てない。 取り戻せるモノなのか分からないけど、とにかく外走れるようになるくらいまでは、まず体力戻さないとって感じだ。 こんな世界だけど、夏に野外で全力で自分の詩歌えるような人生が良い。 そしてバックヤードでいつもの友達とまた笑っていたい。それがずっと続けば良い。 新宿JAMはやっぱりもう無いけど、生きていれば、なんかそれとはまた違う凄い場所に人に出逢えるかな。 また、出逢って行かなければな。 よく考えたら、熱いのが嫌いなのはずっとずっと昔からだった。 昔って言ってもたかだか15年くらい前だけど。

音楽を辞めた友達。

一人でのライブに限界を感じて、しばらくライブは出来ないでいる。 昨年にラブ人間の金田と一緒にやった時に自分のソロの天井みたいのを触っちゃって、その先どうしたら良いかずっと分からないでいた。 バンド編成でやってみたらどうかな、、とか思ったけど、バンド編成でやりたい曲が無い事にも気付いて結構落ち込んだ。 ソロだろうが、バンドだろうが、思いっきり聞いてほしいって思える曲があるかが、僕の場合全てだ。 聞いて欲しい曲なら、ソロだと少しある。 それがまだ僕が音楽を続けたい動機だろう。 けれど、それが無くなっても歌いたくないなんて思わないと思う。 人前で歌うってのには興味が無くなるかもしれないけど、音楽が好きなら別に良いのではないかな。 音楽辞める、ってなんなんだろう。 音楽なんて辞めるものじゃない。 なんでもそうだけど、勝手に興味が無くなって、気付いたらやってなかったり、歌う事を忘れたりするだけだ。 僕が音楽やバンドやライブや詩を歌いたい理由の根底には「解放」ってのがある。 これはきっと音楽じゃなくても本当は出来るんだ。でも僕は音楽を通して、自由や解放というものに触れたから、出来れば今後も音楽を通して、自由や解放に触れていたい。 バンドやライブや音楽をするようになってから、少しもそれに近づけた気はしないけど、瞬間、瞬間で触れた事なら、何度かある。 僕はたったそれだけの経験に基づいて今日まで生きて来れたんだ。 つまり音楽はやべーって事です。 後、早くライブ出来る様になりてーなー。 情勢的にもメンタル的にも。 ではさいなら。

8月32日

  休みなのに健康診断に行く。 前日から気分が晴れない。 外は雨。 森山直太朗ばかり聞いていた近頃、今日も今日とて聞いている。 レスターという曲を22歳くらいの頃にLOGでカバーしたくらいからずっと森山直太朗を聞いている。 深いメッセージの暖簾を潜ったら、はい!また騙されましたー!!馬鹿だなー!全く!って一緒に手を叩いて人生の無意味さを笑ってくれるのが森山直太朗の歌って感じ。 もう、しんどい時に体を軽くしてくれるような肩すかしの歌。 健康診断では、今年初めてバリウムってやつを飲んだ。僕も大人の仲間入りだ。 嫌われ者のバリウムだけど、僕は全然平気だった。 それよりもずっと嫌なのが採血の注射だ。 年を重ねれば重ねるほど、苦手になる。 痛かった記憶が蓄積されて、どんどん嫌になっているんだろう。 知ると怖くなるってのは何に関してもあるんだなー。 世の中知らなきゃ良かったって事の方がきっと多い。 知るとどんどん弱くなる。 昔持ってたスーファミや64を一度平気で捨てたけど、意外と高く中古で今は出回ってたりするのをみて、今更欲しくなって高くついたりして、あとは、ソフトが電源付かなくなったらもう壊れたと思っちゃってたけど、楽器に使う接点復活剤で全然治るって事最近知った。 これは知ってた方が良かった。 そして、 夏、終わったかもしれない。

夢で逢えなくたって。

  思った通り、改札へ向けて階段を下っている間に、電車は発車した。 そして外は雨が降っていた。 寂しい時は、どうせなら雨に打たれてびしょ濡れになった方が救われる。 どうしようもない時は、どうしようもない程に泥だらけになった方が生きられる。 こんな気持ち分かるかな。 負けそうな時は、誰かに助けてなんて欲しくないんだよ。 自分一人で勝手に負けて、勝手な雨に打たれて、また勝手に走り出したくなるだけだ。 こんな気持ち分かるかな。 悲しい時は、悲しい詩が友達なんだ。 そして僕はいつも、いつまでも、優しい詩が好きだ。 それは励ましてくれる詩でもないし、背中を押してくれる詩でもないし、頑張れ!って応援してくれる詩でもない。 悲しい時に、どこまでも悲しい顔で同じ気持ちになってくれる詩だ。 そんな詩を僕は優しい詩と呼ぶ。 そんな詩を歌っていたいし、これからも作りたい。 向かうべき方へちゃんと走っていたい。 それは誰かから見たら全力の逃げでも、そんなの振り切って勝手に走ればいい。 一緒になんて走らなくても、そんな誰かを感じれるように走れればいい。