スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

3月, 2019の投稿を表示しています

東京には雨が。

書こう書こうと、思ってはいたけど、なかなか書き始められずにいた、BLOG。 私の窓。僕は生きているよ。そっちからこっちはもうだいぶ見えないかもしれないけど、まだ聞こえるかもしれない、なんて思いながら小さな灯を守っているよ。 2013年の5月に一人で東京に来た、そうだった。もうあまり思い出さなくなった。季節の変わり目にも疎くなった。あれから6年。いろいろあったようで、何もなかったかのように、僕は大切なモノを溢し続けた。そもそも大切なものってなんだっけ。。 大好きなバンドや音楽はなんですか? と聞かれると、必ずmr.childrenと応える。 十四歳の頃に友達がカラオケで歌っていた、mr.childrenの口笛を聞いて, 初めて音楽の素晴らしさを実感した。 東京に来て初めて聞いた音楽も、mr.childrenの"名もなき詩"だった。それから無意識に"歌"の事を"詩"と書くようになった。今でもそう。 mr.childrenは毎日のように今でも聞いて歌ってる。歌わないと体のリズムが保たれないくらい毎日の僕の生活に必要な"詩"なのだ。 バンドをどうして始めたか? そう聞かれたら必ずGOING STEADYを聞いたからと言う。 これもまた十五歳くらいの時に、友達がカラオケで歌ってた、童貞ソーヤングという曲を聴いて、何か心臓が爆発するような衝動を感じた。 しかし、その時には既にGOING STEADYは解散寸前だった。さくらの唄、というアルバムを買って死ぬ程聞いた。音、でけーなーと思った。ラストライブのDVD、君と僕とBEEのBEET戦争も死ぬ程見て、峯田のMCを完コピ出来る程だった。GOING STEADYの音楽やライブは、親にはあまり聞かれたり、見られたりしたくなかった。まるで自分の思春期を晒してしまっているような、チンコを丸出しにしているような、そんな気持ちになったからだ。 この頃から、僕は毎日のように部屋でギターを弾きながら歌いまくっていた。 ミスチルとゴイステを教えてくれたのは、実は同じ中学のクラスメイト、サトシだった。 サトシは僕が初めて作ったオリジナル曲、幸せであるように、という詩を初めて聞かせた奴だ。その時サトシが曲を褒めてくれていなかったら、その後自分で作った詩を歌おう