"僕はやっぱり田舎モンで、どうしようもなく普通だった" それは段々と居心地が悪くなって行った。 井の中の蛙大海を知らず、 古くからあるそんな言葉が頭を何度も過ぎった。 もっと知りたい、もっと感じたい、もっと手に入れたい、と2013年の5月に一人で東京に来た。 その10日程前に決めた小さなアパートの部屋のドアをあけて、何にもないフローリングで少しぼーっとして、すぐに感じた事の無い強い孤独を感じた。 "詩を歌いたい" というより、歌うしかなかった。 とにかくライブハウスでも路上でも、張り裂けそうになりながら声を張り叫んだ。 "僕はここだ"、と誰かに知って欲しいのと同じくらい、自分自信に、自分の存在を認めさせようと歌った。 そもそもバンドがやりたかった。 そして、ギターとベースとキーボードとドラムがいる五人編成の佐々木泰雅の音を"フロムTokyo"と名付けた。 毎日が必死だった。深夜にしか練習出来ずサポートメンバーも満身創痍だった。 活動が続く中、井の中の蛙は大海に飲まれていった。 歌うしかなかったはずの日々は、歌う事だけが出来ない日々に変わった。 僕の詩ってなんだろう。音楽ってなんだろうと、また一人で考え込んでるうちに軽く半年は経った。 そして気付いたら歌いたいように歌っていた。小さく部屋で一人で歌っているその小さな世界がとても愛しく思えた。少しだけ僕の音楽が分かった気がした。 その時感じた愛しさを、そのままバンドでやれないかと、またメンバーを集めた。 2015年の12月31日で止まったバンドサウンドは、その当時のメンバーのまま、また時計の針を動かせる事になった。 活動していく中で、今自分が軸にしたいものをちゃんと考えた。 "ツーマンがやりたい" 自分が好きな人とサシでぶつかりたい。 完全な対バンをやりたい、そう思った。 弱虫倶楽部とやりたい、また安島君がやってる音楽とぶつかってみたい。本気でそう思った。 2015年12月1日に下北沢SHELTERでフロムTokyo企画をやった。The Flickersと撃鉄とのスリーマン。 安島君と初めて逢ったのは確か新宿JAMの楽屋だった