そこに「いたくて居れた」
そこに「いたかったけど居られなかった」
そこに「いたいとも思わなかった」
そこに「居たいと思っただけだった」
ここに「居て欲しかった」
昔の話を書くのは何とも言えない気持ちだが記憶を記録として残すのも、私の窓。
未完成VS新世界というバンドが大好きだったオレは、ボーカル澤田健太郎が書くメロディと歌詞に夢中だった。虜だった。真似しようとしても出来なかったから、ライブで直接曲をカバーしたりもした。
未完成はオレの中で札幌を代表するバンドだった。そして上京して行った。誇りに思えるバンドが広い世界に受け入れられていく姿は、それもまた誇りだった。そして同じくらい寂しかった。
少しだけ、ここに「居て欲しかった」のだ
遠くから見ていた。未完成の記事が掲載された雑誌はだいたい買った。ロッキンジャパンに出演した映像も何度も見たし、その時確か出番が毛皮のマリーズの後だった時の事を書いた澤田さんのブログも覚えてる。そのうちオレも東京でライブをしたいと思い始めたんだ。そして2011年2月9日に新宿JAMで初めてライブをする。その日がきっかけで「THEラブ人間」というバンドを初めて知る。そして未完成VS新世界との繋がりも。
THEラブ人間の「京王線」、「大人と子供-初夏のテーマ」、「わたしは小鳥」という歌のライブ映像やMVがYouTubeにあがっていて、それを何度も見て、何度も見て、何度も見た。そして少しずつTHEラブ人間を尊く思うようになった。
2011年の3月11日に地震が起きて、そのすぐ後に「砂男」のスタジオライブ映像を発表していた。それを見て、完全にやられた、オレが確かにいた。
同年6月11日に「砂男/東京ツアー」でTHEラブ人間が初めて札幌moleに来る事になって、リンダリンダラバーソールを共演バンドに選んでもらえた。だがバンドでは出演出来ず、でも一人でも共演したかったし、そして一人でも出演させてもらえた。当日は未完成VS新世界も一緒に東京から来て共演する予定だったが、澤田さんが指を怪我して来る事が出来なくなった。ベースの安田さんがラブ人間と一緒に来ていて、オレは未完成の「ケーキをつくる」をカバーした。ライブが終わった後、ツネさんがすぐに声をかけてくれてその時の言葉を今でも覚えている。打ち上げではずっと金田康平と話していた。帰るあてがなくなって、シンゴに連絡し、札幌バンドマン達と康平を連れてシンゴの家に行った。ぎょうざ食べたり、小銭見つけたりした。ステージ降りた後もずっとライブみたいな一日だった。
オレはその日、そこに「居たくていれた」んだ。
2011年の11月に「炸裂する思春期ツアー」でTHEラブ人間、二度目の札幌mole、今度こそはとリンダリンダラバーソール四人編成での出演が叶った。だがその日がベースの外山くんとドラムのゆっちが一度脱退する日にもなった。オープニングアクトにはTHE BOYS&GIRLSが決まり、未完成VS新世界も東京からラブ人間と一緒にきて共演する事になった。当日の出演バンドが揃った時は興奮して、すぐにシンゴに連絡した。打ち上げでは澤田さんにちゃんと歌えと少し説教をされた。バンド形態での活動が一度区切りを迎え、そして康平とシンゴは打ち上げの途中からどこかへ消えて、本当はオレも一緒に居たかった、でも、そうはならなかった。
もしかしたら、オレはその時、
そこに「居たいと思っただけだった」のかもしれない。
札幌から見ていたTHEラブ人間の活躍はとても輝いていた。あの日打ち上げで親友のように話していた康平がもうずっと先の人に感じて、オレは、
そこに「いたかったけど居られなかった」奴だった
でもずっと思っていた。そしてアルバムをずっと聞いていた。
2013年に一人でオレは上京して、渋谷の小さな部屋に住んだ。それからもなかなか康平には逢いに行けなかった。でもTHEラブ人間が何か節目を迎える時は意地でも駆けつけて、ライブを見た。だって、
そこに「いたいとも思わなかった」奴にだけはなりたくなかったから
上京して3ヶ月後の8月に未完成の澤田さんから電話が来て、札幌ツアーの共演にボイガル誘いたいから連絡先教えてと言われた。オレは悔しくて、オレは誘ってくれないんですか?と聞くと、出る?と聞かれ、そんな軽いノリで大好きなバンドのツアーに参加出来た。それでも嬉しかった。そして、当日はシンゴの喉が壊れて出演出来ず、でもボイガル3人は出演する事になって、オレは、メル、ハローグッバイサンキュー、の二曲を代わりに歌わせてもらった。
そこにいた誰もがシンゴに、
ここに「居て欲しかった」と思っている顔がステージから見えた。
何年か前の冬に、仙台から上京して来た、がく亜りと、新宿駅東南口で路上やる事になって、そん時に康平とシンゴとモヨコの森君を連れて行ってみんなそれぞれ持ち曲歌うって日があった。そん時も康平とシンゴは二人でカレー食べに行ってて、オレも一緒に居たかったから遅れてそこに合流したりしたなー。あーなんてダサいんだろう。顔が赤くなりそうだ。
それから、でも、やっぱり、
そこに「いたいとも思わなかった」日々が長過ぎた、でもきっと恥ずかしくて言えなかっただけなのかもしんない
そういった事は他にもある
生きるか死ぬか、とか、歌ってるくせに、一度きりの人生の中の、間違えてはいけない選択を、気付いていながら間違っているフリをしてきたのだろうか
昨夜は新宿JAMという場所でTHEラブ人間とTHE BOYS&GIRLSのツーマンライブがあった。これはオレもそこに「居なくてはいけない」日だったはずなんだ。そうありたかった。でもオレが、もしくはオレのバンドがそこに入り込む余地など微塵もなかった。だから、オレはその時間をお客さんとして共有する事で「居たかったけど居られなかった」自分を慰めた。ライブを見ていて思ったのは本当に最高な2バンドだった。歌は全然違うけどどちらも本当に大好きで、心の底から一緒にやりたいと思った。愛してるよ、と思った。キモい。
今は11.15が11.16になった時、元THEラブ人間のけんじがLUSHに呼んでくれてステージに立った。
胸を張って歌った。
LUSHでライブをした中で一番お客さん居なかったけど、
誰よりも胸を張って歌った。
そこに「いたかったけど居られなかった」
そこに「いたいとも思わなかった」
そこに「居たいと思っただけだった」
ここに「居て欲しかった」
昔の話を書くのは何とも言えない気持ちだが記憶を記録として残すのも、私の窓。
未完成VS新世界というバンドが大好きだったオレは、ボーカル澤田健太郎が書くメロディと歌詞に夢中だった。虜だった。真似しようとしても出来なかったから、ライブで直接曲をカバーしたりもした。
未完成はオレの中で札幌を代表するバンドだった。そして上京して行った。誇りに思えるバンドが広い世界に受け入れられていく姿は、それもまた誇りだった。そして同じくらい寂しかった。
少しだけ、ここに「居て欲しかった」のだ
遠くから見ていた。未完成の記事が掲載された雑誌はだいたい買った。ロッキンジャパンに出演した映像も何度も見たし、その時確か出番が毛皮のマリーズの後だった時の事を書いた澤田さんのブログも覚えてる。そのうちオレも東京でライブをしたいと思い始めたんだ。そして2011年2月9日に新宿JAMで初めてライブをする。その日がきっかけで「THEラブ人間」というバンドを初めて知る。そして未完成VS新世界との繋がりも。
THEラブ人間の「京王線」、「大人と子供-初夏のテーマ」、「わたしは小鳥」という歌のライブ映像やMVがYouTubeにあがっていて、それを何度も見て、何度も見て、何度も見た。そして少しずつTHEラブ人間を尊く思うようになった。
2011年の3月11日に地震が起きて、そのすぐ後に「砂男」のスタジオライブ映像を発表していた。それを見て、完全にやられた、オレが確かにいた。
同年6月11日に「砂男/東京ツアー」でTHEラブ人間が初めて札幌moleに来る事になって、リンダリンダラバーソールを共演バンドに選んでもらえた。だがバンドでは出演出来ず、でも一人でも共演したかったし、そして一人でも出演させてもらえた。当日は未完成VS新世界も一緒に東京から来て共演する予定だったが、澤田さんが指を怪我して来る事が出来なくなった。ベースの安田さんがラブ人間と一緒に来ていて、オレは未完成の「ケーキをつくる」をカバーした。ライブが終わった後、ツネさんがすぐに声をかけてくれてその時の言葉を今でも覚えている。打ち上げではずっと金田康平と話していた。帰るあてがなくなって、シンゴに連絡し、札幌バンドマン達と康平を連れてシンゴの家に行った。ぎょうざ食べたり、小銭見つけたりした。ステージ降りた後もずっとライブみたいな一日だった。
オレはその日、そこに「居たくていれた」んだ。
2011年の11月に「炸裂する思春期ツアー」でTHEラブ人間、二度目の札幌mole、今度こそはとリンダリンダラバーソール四人編成での出演が叶った。だがその日がベースの外山くんとドラムのゆっちが一度脱退する日にもなった。オープニングアクトにはTHE BOYS&GIRLSが決まり、未完成VS新世界も東京からラブ人間と一緒にきて共演する事になった。当日の出演バンドが揃った時は興奮して、すぐにシンゴに連絡した。打ち上げでは澤田さんにちゃんと歌えと少し説教をされた。バンド形態での活動が一度区切りを迎え、そして康平とシンゴは打ち上げの途中からどこかへ消えて、本当はオレも一緒に居たかった、でも、そうはならなかった。
もしかしたら、オレはその時、
そこに「居たいと思っただけだった」のかもしれない。
札幌から見ていたTHEラブ人間の活躍はとても輝いていた。あの日打ち上げで親友のように話していた康平がもうずっと先の人に感じて、オレは、
そこに「いたかったけど居られなかった」奴だった
でもずっと思っていた。そしてアルバムをずっと聞いていた。
2013年に一人でオレは上京して、渋谷の小さな部屋に住んだ。それからもなかなか康平には逢いに行けなかった。でもTHEラブ人間が何か節目を迎える時は意地でも駆けつけて、ライブを見た。だって、
そこに「いたいとも思わなかった」奴にだけはなりたくなかったから
上京して3ヶ月後の8月に未完成の澤田さんから電話が来て、札幌ツアーの共演にボイガル誘いたいから連絡先教えてと言われた。オレは悔しくて、オレは誘ってくれないんですか?と聞くと、出る?と聞かれ、そんな軽いノリで大好きなバンドのツアーに参加出来た。それでも嬉しかった。そして、当日はシンゴの喉が壊れて出演出来ず、でもボイガル3人は出演する事になって、オレは、メル、ハローグッバイサンキュー、の二曲を代わりに歌わせてもらった。
そこにいた誰もがシンゴに、
ここに「居て欲しかった」と思っている顔がステージから見えた。
何年か前の冬に、仙台から上京して来た、がく亜りと、新宿駅東南口で路上やる事になって、そん時に康平とシンゴとモヨコの森君を連れて行ってみんなそれぞれ持ち曲歌うって日があった。そん時も康平とシンゴは二人でカレー食べに行ってて、オレも一緒に居たかったから遅れてそこに合流したりしたなー。あーなんてダサいんだろう。顔が赤くなりそうだ。
それから、でも、やっぱり、
そこに「いたいとも思わなかった」日々が長過ぎた、でもきっと恥ずかしくて言えなかっただけなのかもしんない
そういった事は他にもある
生きるか死ぬか、とか、歌ってるくせに、一度きりの人生の中の、間違えてはいけない選択を、気付いていながら間違っているフリをしてきたのだろうか
昨夜は新宿JAMという場所でTHEラブ人間とTHE BOYS&GIRLSのツーマンライブがあった。これはオレもそこに「居なくてはいけない」日だったはずなんだ。そうありたかった。でもオレが、もしくはオレのバンドがそこに入り込む余地など微塵もなかった。だから、オレはその時間をお客さんとして共有する事で「居たかったけど居られなかった」自分を慰めた。ライブを見ていて思ったのは本当に最高な2バンドだった。歌は全然違うけどどちらも本当に大好きで、心の底から一緒にやりたいと思った。愛してるよ、と思った。キモい。
今は11.15が11.16になった時、元THEラブ人間のけんじがLUSHに呼んでくれてステージに立った。
胸を張って歌った。
LUSHでライブをした中で一番お客さん居なかったけど、
誰よりも胸を張って歌った。
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