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12.18 午前4時


起床。まだ外は真っ暗で日の出前。
ツアーに必要な荷物を再確認し、4時半には家を出た。
まだ外は冷え切った真冬、東京。乾いた風が突き刺さるのを感じた。
いつもの京王新線に乗り込む。アコースティックギター、エレキギター、物販や着替えなどを入れたエフェクターケース。肩が千切れそうになりながら、心はワクワクしている。
新宿につき山手線で日暮里へ。京成線の改札で駅員さんに現在一番早く空港に着く電車を教えてくださいというとこれだよと10分後くらいのスカイライナーを教えてくれた。駅員のおじさんは優しい笑顔だった。
スカイライナーで成田空港第2ビルへ向かう。窓の外で日が昇りだしていた。

飛行機は無事新千歳につき乾いて冷えた空気が背筋をしゃんとさせた。


とわちゃんからメールが来ていた。富良野の駅まで迎えに行くよ。そんな内容だった。今この瞬間を大切にしている、気持ちが伝わった。
新千歳から札幌へ向かう中、何か考えていたけど忘れてしまった。いつも札幌に帰る時は決まって同じようなことを考えているんだけど、何を考えていたかは忘れてしまう。
札幌についた。久しぶりだ。何だろな、やっぱりオレの生まれた街だ、変わらない。
札幌バスターミナルから富良野への直通のバスが出ていて、バス停の列に並んだ。
バスが来て荷物を積んで椅子に座って眠った。
2時間半バスに揺られ、終点の富良野についた。富良野はいつぶりだろうか。
何年も前にリンラバと青空教室と武田組のえーすけさんと三組で富良野でライブをやった。
リンラバと青空教室は一緒に富良野へ向かった。楽しかったな、りょーちんがめっちゃ面白かった。青空教室がライブをして、オレらリンラバがライブをしている時に窓の外を見た時にふと映画みたいだなと思って、そして神様になりたいを歌った。打ち上げでめちゃくちゃ遊んだ。真夜中。どこか森の中の広場みたいなとこで、満天の星空の下、みんな全裸になって遊んだ。えーすけさんとあんな風に遊んだのは最初で最後かもしれない。それを見た時に、ふと、映画みたいだな、と思った。
それ以来の富良野。
富良野駅に着いて荷物を降ろし、ストーブであったまってると、清掃のおばちゃんが話しかけて来た。音楽やってるの??髪型でわかるよ。荷物いっぱいだから気をつけるんだよ。と優しい声をかけてくれた。久しぶりにそんな事言われたなーと思った。

少しして、とわちゃんが車で迎えに来てくれた。顔を合わすのは本当いつぶりかわからないけど、、とわちゃんはあまり変わらずにシャキッとして車を運転していた。懐かしい話と、今日の話を少しして、ライブ会場へ向かった。

入口が見えた時驚いた。
以前富良野でライブしたライブバーが改装され、別のお店になっていた。その場所が今日やるライブ会場Navoだった。こんな事あるんだなと、びっくりしながら店に入った。店長のタケさんにもその事を伝えると少し喜んでくれた。
Navoの中は秘密基地みたいでワクワクした。以前ライブした時とは少し雰囲気は変わってたけど、カウンターやその近辺の作り自体は一緒で、やはりいろんな事を思い出した。
とわちゃんとタケさんと手伝いに来ていたPAのタイチくん(名前間違ってたらごめん、、)と会場を作った。椅子の並べ方やテーブルの位置、お客さんから見たらどんな風な感じかなーとか、モニターここだと音うるさいかなーとか、物販ここなら買いやすいかなー、とかとか。そーこーしてるうちに、岩瀬敬吾さんが来た。緊張した。挨拶をしたら「佐々木君ね。よろしく」と。笑顔だった。
開場時間より早くお客さんが来ていた。

オレからライブが始まった。
"わたしも花になって"レコ発ツアー 富良野

1、July
2、under
3、神様になりたい
4、アーケードソング
5、レインマン

とわちゃんの大きな拍手が右耳に響いた。

2番手のShanghaiのヨシグチヒロユキさんのライブがマジでめっちゃ良かった。
敬吾さんが歌うのを一歩も動かずに見た。幸せな時間だった。

終演後、煙草スモーキーとのツアーで旭川に行った時にリンラバを見てくれてたゴトウくんという男の子に出逢った。同い年だった。

富良野の夜はとてつもない寒さだった。芯から凍てついていて己の魂が今どこにあるのかわかる程だった。

打ち上げを終えてタクシーで宿まで帰った。敬吾さんと部屋が隣だったのもあって、、泰雅一杯付き合えや、と言われ敬吾さんの部屋でアサヒスーパードライを飲んだ。夢のような時間。ふと、映画みたいだな、と思った。







12.19
朝9時に起きて部屋の窓の外を見ると、富良野は澄み渡る快晴だった。


チェックアウトの時間を少しオーバーしながら宿を後にし、札幌へ直通のバスが止まるバス停へ歩いた。
途中、女の人に呼び止められた。誰かと思ったらNavoにライブを見に来てくれていた女の方だった。何してるんですかー?と聞かれ事情を話すと、わたしたちも札幌に行くんです!乗っていっても大丈夫ですよ!との事だった。僕はまた事情を話し後ろ髪引かれながらもそれを断った。でも本当に嬉しかった。

久しぶりにそんな事言われたなーと思った。


またバスに揺られ札幌に戻ってきた。いい天気だった。
札幌から手稲に帰った。弟の奥さんと、とらじろうと、一歳になったばかりの華ちゃんが迎えに来てくれた。

実家につきとらじろうといろいろな遊びをして、気付いたらとらじろうの布団で眠っていた。日が落ちた後起きて、但野のワンマンで二曲を聞いて、京ちゃんに少し逢いに行って、カフェインのPAJAMARSのライブを一曲見て、その横のシーラカンススタジオでリンラバの練習を2時間やった。
新しい曲を詰める。鏡を見ながら今のオレたちをオレたちが見た。大人になった。
スタジオを出た瞬間、京も誕生日を迎えリンダリンダラバーソールは4人全員30才になった。
今のオレたちならどれだけの事が出来るんだろうと、少し寂しくて、でもたくさんの幸せな未来を想像してドキドキワクワクした。


翌日
12.20
昼までゆっくりと寝て、起きて2時間くらい練習してLOGに向かった。

上京してから初めてやるLOG。オレに今出来る事はなんなのか考えながら地下への階段を下りる途中、京のピアノが聞こえた。扉を開けずに少し聞いた。
おっすー、と軽くいつも通りの感じ。LOGはストーブの灯りに照らされて、でもまだ肌寒かった。不思議と3年以上の時間が流れたような気はしなかった。
オレがリハやってると長津さんがきた。本当に久しぶりだ、とその時思った。長津さんはおれがLOGに送った郵便物を手に持っていた。届いて良かった。ギリだ。

LOGの楽屋(物置)で今日のライブの事を考えてると、toitoitoiのまきさんと安全ピンのあずまの声が聞こえた。

オレからライブは始まった。
"わたしも花になって"レコ発ツアー 札幌

1、あなたは花になって
2、under
3、DAYS
4、君に彼氏が出来た夜
5、あなたのうた
6、WE ARE THE ROMAN'S
7、マイフレンズアンセム
8、レインマン
9、アーケードソング

本当に久しぶりの二曲。
MCで話したけど、その日僕にとって必要な二曲。
会場SEがmr.childrenのit's a wonderful worldだったのもすげー偶然だし、やっぱ京ちゃんすげーなと思った。

京のライブを途中から最前で見た。ピアノ上手いなーと思ったし、何より歌うまくなったなーと感じた。すげー良かった。

京のアンコールに呼ばれ、二人で神様になりたいをやった。オレらを見てくれてるみんなとLOGのステージに立ってる事、これはリンラバだという事。

ふと、映画みたいだな、と思った。

あきそばが来てくれた。あきそばは一時期ドラムでバンドをサポートしてくれた。SEXが嫌い、SEXが好き、の頃だ。
久しぶりにあったみんなと話すのは幸せだった。幼馴染のケンタがライブには間に合わなくても逢いに来てくれた。ケンタは小学生にあがる前からの仲でもう25年くらいの付き合いになる。お互いずっと音楽好きでいる。

但野がLOGに迎えに来てくれて、少しだけ撮影へ。この時の写真は近々発表。
5分だけでもじかんくれ!とオレは頼んでいたにも関わらず2時間くらい撮影は続いた。車で但野といろんな話をした。こんなに話したのは初めてだったけど不思議と自然だった。でもやっぱりオレはすげー嬉しかった。但野は最後笑っていた。またね、と別れた。

また京のところに戻りいろんな事を朝の7時まで話した。
札幌の朝は極寒だった。突き刺さるような寒さの中LOGに戻り荷物を持って実家に戻り、夕方には飛行機で東京に帰った。実家に帰るとか、東京に帰るとか、怒涛の日々の中、大切なモノがたくさんある時間が、確かに流れて過ぎ去って行く事を尊く感じた。



翌日
12.22
新宿JAM
ニュータウンの柳田の誕生日イベントにサブステで呼んでもらった。柳田も30才になった。楽屋で、もう、ドントトラストオーバーサーティー歌えないねー、と笑いながら福島と話した。

"わたしも花になって"レコ発ツアー 新宿

1、under
2、サンキューエレキギター
3、マイフレンズアンセム

サンキューエレキギターの時、ステージから柳田が見てくれてるのが見えた。
歌い終わった後、ずっとおれを見てるホストっぽいやついるなーとおもったらホノオミカのベースのすずなだった。すげー久しぶりに再会。元気そうだった。来年JAMで週4でライブやることになったんですー、、と苦笑いしていた。めちゃくちゃ元気そうだった。

ニュータウンの2人と話したくて打ち上げに出た。暗く嫌なヴァイブスが流れてもニュータウンの2人は優しかった。最高だなと感じて朝4時過ぎに1人で打ち上げを後にした。
アルプスを出たらそこは歌舞伎町のど真ん中だった、日は登り始めていて、ホストやホステス達の顔を青白く照らしていた。

12.26
下北沢BASEMENTBAR
東京来てから一番出演しているビーハプ。
会場入りして少ししたらAndareのメンバーが集まり出していて、リハ前に挨拶をした。
Andareのリハを見て少し泣いた。

2番手での出演
"わたしも花になって"レコ発ツアー 下北沢

1、あなたは花になって
2、under
3、マイフレンズアンセム
4、サンキューエレキギター
5、MrTokyoUnderGround

柱の横で国吉さんが聞いてくれてるのが見えた。
はいからさんの近田さんのライブがなまらよくて本当最高だった。
Andareのライブが始まった時に12.18からのいろいろとそれよりずっと前のいろいろが重なって全てが繋がっていきそうな気持ちがした。
東京という歌を初めて聞いた。曲を始める前の国吉さんのMC。渋谷のスクランブル交差点の話。オレは東京という街をまだ自分の街だなんて思えていない事、フロムTokyo、という名前を掲げるにはまだまだ小さい自分の事。あの日どんな気持ちで上京したっけとか。片道のチケットで乗った2013.5.1の飛行機の中、何を感じていたっけとか。Andareのライブは僕自身で救うことの出来なかった僕を救ってくれるような、そんなライブだった。

打ち上げで国吉さんの横に座り初めてちゃんと話した。僕はずっと泣きそうで、話したい事は一つも話せなかったな。
心の中でずっとずっとただただありがとうございますと言った。
守りたいものは果てし無く広がる、強くならなきゃ、でもそれよりも優しくなれたらな、と僕は思った。

気付いたらBASEMENTBARには誰も居なくなって、楽屋で片付けてる僕んとこに、こっけが来た。こっけは僕がステージに立つのを休んでいた時期にメールをくれた事があり、僕は今でもそれを感謝していた。

こっけんろーる解散するんすよー、、これからはソロでやってくんです。と。
こっけは少し寂しそうに、、でもたくさんの幸せな未来を想像して、ドキドキワクワクしているように僕には見えた。

Andareを聴きながら下北沢から歩いて帰った。



ふと、映画みたいだな、と思った。

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