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⑩直線と曲線の交差点

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いつまでも終わりたくないけど、 終わりがあるから解放される事もあって。 僕の音楽もいつか必ず終わるから、 まだまだ歌わなきゃって思えるんだろう。 路上ライブを初めてやったのははっきりとは覚えていないけど、 本当に心から震えながらやっていた気がする。 札幌で7年くらいバンドやソロでステージに立つにつれて、 ステージに立つことへの恐怖は消えていった。 いつからか全く緊張もしなくなったし、今思うと20代前半の圧倒的な自信があった。 けど、たまに路上で歌うと、まるで初めてライブするかのようなドキドキに襲われる。 上京する半年前の2012年の大みそか、この日から、東京に行く寸前まで、 毎週、札幌の狸小路で路上ライブをした。 初日の大みそかの日の1曲目は、チャットモンチーの恋愛スピリッツ。 信じられないくらいの極寒で雪も降ってなかったけど、3人くらい見に来てくれたのを良く覚えてる。3人は僕の事を覚えているだろうか。 気付けばクリスマスや大みそかや正月なんていうイベントごとは家でゆっくりするようになったけど、かつてはそういう日こそ街に繰り出していた。随分とださくなった自分を感じるが、これからは別の角度で何か新しい自分を見つけれたら良いのかもしれない。 2025年の12月14日に久しぶりに、新宿東南口で路上をやった。 上京した2013年頃は、よくここへ自転車で来ては歌っていた。元旦から3日間連続で歌おうとした事もあった。サラリーマンたちと一緒に歌ったりもしたし、警察にも何度も止められた。かなり思い出深い場所であるが、背中を甲州街道が駆け抜けてるので、なかなかに過酷だ。ちなみに僕はマイクやアンプを使わない。東南口ではそういや生声の人は見た事がない。 久しぶりに東南口で歌ってみたが、こんなにも過酷なのかと思い知らされた。 全力で声を張り上げないと全く聞こえない。 でもこの感覚だ、これがまた味わいたくて、ここへ来たんだ。 路上が終わったあと、どこからともなく男性がはなしかけて来た。 路上ライブに興味があるみたいだった。 僕の詩を聞いていた訳ではないが、はなしかけてきてくれたのは少し嬉しかった。 来年2月1日に渋谷でワンマンやるんで来てください、と伝えたら、ありがとうございます、と言って彼は新宿の街に歩いて行った。 彼はワンマンには来なかったけど、どこかで旅を続けているかもしれない。 幸運...

⑨晴れてたよ

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 日々は続いて行く、 僕の中では小さな炎は消えずに いつか来る圧倒的な景色と衝動を 楽しみに、声をこらえている 2024年の12月は初めから刺激的だった 急遽決まった但野正和とのツーマン 場所は下北沢ろくでもない夜 お昼に正和と二人きりでなんとかしなければいけない 本番までだいたい同じような事を考えているんだろうと予想していたが、当日を迎えると正和の方が緊張しているようにも思えた この頃、ろくでもない夜で歌う時は正和が一緒の事が多かった それもこれもイベントを作ってくれるイズミさんのおかげ、本当に感謝、ありがとうございます 譲り受けたもので纏った僕の服装を見て、正和は誉めてくれて嬉しかった ライブは特に語る必要も無く、お互いいつも全力だ 終わってそのまま解散、飯くらい、確かにいけばよかったなと後から思った その2日後12月3日には、いつもお世話になってる浅草Gold soundsに出演 出演者が確かキャンセルになって、としぞー君がピンチヒッターをやってた日だったはずだ いつだって歌える準備が出来てるやつはかっこいいなと改めて感じていた ずっと大事にしているJulyという曲に、少しサンプラーを交ぜて、効果的にならないかと試行錯誤した この時の感覚は、その先に生きていたはずだ 12月7日は、THEラブ人間の下北沢にて、を見に行った ここで書くと長くなるので書かないが、僕が札幌で音楽をやっていた頃から、今現在まで、色んな彩りをくれるバンドだ ボーカルの金田康平は同い年で、僕は彼の歌やライブがとても好きだ この日は金子智也のライブから始めた トモヤとも付き合いが長いので、ライブを見ていて色々な事を思い出した 12月にも関わらず、下北沢の空は暖かく爽やかな風が吹いて、トモヤのライブを素敵に彩っていた シェルターで見たボイガルはすさまじかった 物凄い差を感じて、それでもまだ僕はいつかまた共演したいなと魂が震えていた 黒猫チェルシーでラヂカセのペンがドラムをしてるのを知って、見に行った 素晴らしいグルーヴだった 終わったあと、ペンから電話が来ていて、少し下北の路地で話した 翌年の2月1日のラママワンマンでドラムを叩いてもらえるのが本当に楽しみになった シャングリラで大トリのラブ人間のライブが始まった 毎年の事ながら、フロアはパンパンで、東京のインディーズシーンのバンドマン達も沢...

⑧最後の旅

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それまでの自分に比べたら2024年の11月はライブを沢山やった。 自分のライブは4本。大塚SOHO、茅場町TAKAITOW、阿佐ヶ谷ロンサム、 浅草Gold sounds。ライブが増え始めて来てから初めて出るようになったライブハウスに立て続けに出演させてもらった。相変わらず動員は無さすぎるが、ライブは頑張った。どれも、その瞬間最高なモノを出した。 その月の最後のライブは西永福JAMで、内藤重人のバンドでギターを弾く日だった。 新宿JAMの頃から数えたらもうどれくらいライブしたか分からないくらいやった場所。 でも、サンプラーとエレキギターでライブするようになってからは、いまだに西永福JAMには出演していない。 いつか最高な形で出演したい。 内藤重人のバンド編成には何度も参加させてもらって来た。 僕が歌えなかった時に、誘ってもらって、一度抜けたりもしたけど、また一緒にやらせてもらってる。一度離れた時に、一緒に曲まで作ったのに、何故かまた戻って一緒にやり始めた時の感情があまり思い出せない。少し強くなれてたらいいんだけど。 この日見たNO FUNがめちゃくちゃ良かった。 10年以上前に、京都GLOWRYで、当時ピアノガールってバンドのボーカルだった彼に挨拶をさせてもらった記憶があって、今はNO FUNのボーカルって事で、ここで繋がるのは嬉しかった。彼は多分覚えてないだろうけど。 珍しく、打ち上げで話せる人が沢山居て安心するなぁと感じる日だった。 ギターの歪みを褒めてもらえたのも嬉しかった。 2024年の11月の5本目のライブが終わって、僕はいよいよ翌年のワンマンまでの日々をツアーと銘打ちながらライブを始ようとしていた。 次回はそこから。

⑦手紙にならない”ことば”

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 印象的なライブは続いた。 2024年11月10日に初めて茅場町TAKAITOWというライブハウスに出演した。夏に東新宿LOVETKOで声をかけてくれたナミタさんがやっているライブハウス。自分もプレイヤーでライブハウスもやってるなんて、単純に凄いなーと感じていた。”ことば”に特化したイベントで、僕以外はほとんど皆ポエトリーディングのライブだった。初めてそーゆー界隈と共演して思ったけど、みんな朗読のような感じだから歌詞を見るんだなと。最初はなんで見ながらやってるんだろうと感じたけど、詩を読んでる、って感覚なのかと、なんとなく腑に落ちた。 そしてその日もナミタさんのライブがとても良かったのを覚えてるし、他の共演者のライブを誰よりもナミタさんが盛り上げてて素敵だった。 新鮮な気持ちを抱えながら、打ち上げには出ずに帰宅。少し雨が降っていた気がする。この場所でサンプラーとエレキギターでライブ出来たのだから、きっとこの先、どんな場所でも自分らしいライブが出来るだろうと、少し自信にも繋がるライブだった。古郡翔馬がツイキャスにコメントしてくれてて、嬉しかったな。昔クラブライナーでお昼にツーマンやったのを思い出したよ。 自宅について、ギターや機材を片付けた。今夜書いた手紙は刷った枚数がそのまま残ってた。だいたいそんなもんだし、驚かない。それでも、出来る限り言葉にして手紙にする事を辞めないようにしたい。 そして手紙にならない”ことば”で歌いたい。

⑥手紙に出来ない思い

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ワンマンまでの日々を、ツアーと銘打つまでには、ワンマン発表から2か月の時間がかかった。 それまでに何を感じていたかを今正確に思い出すのは難しいが、2024年の11月8日に大塚SOHOでライブした日を境に、めちゃくちゃ久しぶりに”今日の手紙”を復活させた。これは2013年5月1日に東京に引っ越してきて、その翌日から出演したJAMFESで書き始めたものだ。何かに感化された訳でもなく、必然的に気づいたら書いていた。新宿JAMの1階のスタジオ前に、雑に作られた物販スペースがあり、僕は遠慮気味なのかB5サイズで印刷したその手紙を並べていた。酔っぱらった奴らがその上にビールグラスを置いているのを見て、許せなかったのを今でも覚えている。 それからしばらくは、ライブの度にその手紙を書いていた。”今日の手紙”なんて名前も、当時は何もついてなかった。ただ、自分にとって必要な行為だった。いつからか分からないが、今から5年前くらいから、ぱったりと書くのを辞めてしまった。それはライブに対する気持ちの変化と直結していたと思う。寂しいことです。 でも、僕は、やっぱりライブは辞めれなかったし、何か月もライブがない日々も、毎日毎日ライブや音楽の事を思って電車に乗ったり降りたりした。ライブだけがやりたいわけじゃないけど、ライブ以外の事がやりたい事なのかと自分に問うと、それはやっぱりライブや音楽の為にやってるんだという答えが何度も心の中で聞こえた。 何かに感化されて始めた訳じゃないこの手紙を書くという行為に、数年ぶりに自分で自分に感化されて、”今日の手紙”なんて名前まで付けて、また書き始めた大塚SOHOの夜。 ライブオファーの募集を見て連絡くれた店長の長谷部さんに感謝、めちゃくちゃ久しぶりだった。共演者はアコギで歌っていたが、僕はサンプラー、エレキギターで爆音でライブ。お客さんはシュンペイだけだった。でもとても嬉しくて来るのを入り口で待ち構えていた。 振り返ると、様々な出来事や行動の純度は低くなる一方だけど、未来を見てると、そんなことで走り始める事が出来なかった気持ちなんて、どこかへ吹き飛んでいた。 まだまだここからだと、

⑤本当の自由を。

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季節は過ぎて、東京は少し涼しくなっていた。 僕は何年か前に買ったジージャンとジーパンで、渋谷にあるライブハウスの前で、2025年2月1日に開催する予定のワンマンライブ”mind sound"に向けて写真を撮っていた。 2024年10月の事でした。 これより2か月ほど前に、元新宿JAMの店長で、今は渋谷ラママにいる石塚さんから、「自分が主人公になる瞬間を作った方が良い」と言われ、よし、いっちょやるか!とワンマンをやる事を決めた。簡単に書いてはいるが、簡単な事では無い、でも簡単に決められなければいけない時があるし、その時だったんだと思う。怖くてたまらない気持ちになるのは予想できるし、逃げたくなる時も何度もあるだろうけど、立ち向かって砕けてみようと思った。 ワンマンの発表と同時に、「リベレーション」という新曲も発表した。元々あった曲ではなく、ワンマンの発表を少しでも盛り上げれたらと思い、書いた曲だ。 MVの撮影は渋谷で、スクランブル交差点、代々木上原からの奥渋、センター街などで撮影した。曲の演奏や録音、MIXなども全て一人でやり遂げた。上京した時にMTRでリズムを打ち込んでた頃に比べると、成長した。 歌う場所を選ぶ曲だけど、この曲を思いきってやれる時は、調子が良い時だ。 この連続したブログをあげる前のブログが、ちょうど、2月1日のワンマンの発表の内容だから、時系列的に並んだ。もっと色んな瞬間を深く掘り下げて書ければいいんだけど。 今回も、もう少し頑張れるかな。 ラママでワンマンをやるってのはどういう事か。 僕は高校生の頃にGOINGSTEADYと出逢い、バンドに夢中になった。 しかしゴイステはちょうど解散してしまう時期で、その最後の映像作品として、 渋谷ラママで開催されたオナニーマシーンとの企画「童貞たちのクリスマスイブ」のDVDが発売されてて、それを毎日毎日見まくっていた。MCも完コピしてたし、峯田の影響でリッケンバッカーものちに買った。 DVDの中のラママには、溢れんばかりのお客さんと熱気が渦巻いていて、渋谷や東京に果てしなく憧れていた。 その頃の自分が、未来で、渋谷ラママでワンマンライブをする日が来るとは全く予想していない事で、それは今になったって凄い事なんだと思う。 怖い怖くないとか、逃げる逃げない、とかじゃないのだ。 ワンマンの開催を発表してから、その...

④雷

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2024年の8月になってすぐあたりに1通のメールが来ていた。浅草にある”Gold sounds”というライブハウスのブッキングをしている「としぞー」という方からだった。僕がライブオファーを待っている旨を知り、メールしてくれたみたいだ。ユーチューブなどで色々と曲を聞いてくれて、未完成の澤田さんとのツーマンの風知空知も見てくれていた。メールの文章が誠実ですぐに好感を持てて返信をした。その月の後半にすぐにイベントに出させてくれて、そういやある程度のキャパのあるライブハウスで歌うのが久しぶりだって事に気づき緊張していたのを覚えてる。 サンプラーとエレキギター、弾き語りの曲、インスト、その日自分に課した課題はクリアできたライブで、僕は少しだけ自信を取り戻していた。と同時に、この同期を交ぜたライブの辿り着く場所がどこなのか、ある程度イメージしなければいけないと感じていた。じゃないときっとまた同じことを繰り返す。 浅草という地は馴染みがなかった。ライブをするのも初めてだったし、なんというかうまく自分が混ざらないなと感じていた。としぞー君は毎月のようにイベントに呼んでくれた。10月になり、チリ共和国から「MAREO!」というユニットが来るとの事で出演させてもらった。「MAREO!」は以前にもGoldsoundsに出演した事があるようで、顔合わせ時の受け入れられ方を見て、僕よりも浅草に馴染みがあるように思えた。トップバッターでライブを終えると、MAREO!のメンバーの女性が話しかけてくれた。なんとなくライブを褒めてくれたのが伝わった。使ってるサンプラーを見て「SP。。?」と聞かれたので「404MK2」と答えると「オー!!ソーグット!」みたいなリアクションをしてくれて、この機材を使っていたのを嬉しく思った。 それからもとしぞー君は何度もライブに呼んでくれて、僕はその都度、ライブ映像を購入した。Goldsoundsの映像は、知る限り一番良いし、もちろん音も良い。 今だにまだうまく溶け込めない街だと感じる浅草、出演時間に遅れそうで走って思いっきし転んで、手を擦りむいたこともあったけど、今はほとんど治ってしまった。 まだまだ足りないのだと思う。もっとここで歌って、自分のストーリーを紡いでいかなければ、本当の擦りむいた傷は治らないのだと思う。 まだまだこのライブハウスとの続きを見たい。